昨晩、粕谷栄市の詩を読んでいたのだな、 この詩せいだな、故郷の町の市電の夢は。 |
家から百米先の市電通りの向うに、うどん屋があった。 母がとても好きだった鰹節のよく薫るうどん屋の出前。 |
当時、精神を病み寝たきりの母のためによく注文した。 |
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以下の粕谷栄市の詩は、ネット上で断片を拾ったものであり、 たぶん連のあいだの歯抜けがある。そのつもりで読まれたし。 |
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「もぐら座」 たぶん、できないだろうが、もし、できることなら、 私は、遠いその田舎町で、一日だけ、うどん屋になって 過ごしたい。とは言っても、私は怠け者だ。本当は、何 もしないで、ぼんやりしていたい。 |
「一生」 若し、おれが、南国の港の町で、何にでもなれる男だ 水夫といっても、名ばかりで、べつに、働くことはな |
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「九月」 ずい分、永いこと一緒に暮らしたから、九月になった ら、妻とふたり、ちょうちん花を見にゆきたいと思う。 特に、何があるというわけでもない、その夜、私は、 ただ、それだけのことをしておきたいと思うのだ。 懐かしい古里の逢瀬川の夜の河原に、ちょうちん花は、 咲いている。二、三本ずつ、かたまって、青い茎に、水 色のちょうちんの花の簪を吊るしている。 ずい分、永いこと一緒に暮らしたから、ふたりは、そ れを知っている。月明かりの吊橋の上から、それを眺め てから、小石ばかりの河原を歩いてゆくのだ。 |
そこは、ほかに、誰もいない河原だ。ここに、再び、 来ることはないだろう。永いこと、地獄と極楽の日々を、 一緒に暮らしたから、ふたりは、それを知っている。 だからといって、ちょうちんの花に変わりがあるわけ ではない。水色のちょうちんの花の簪。その一つ一つを、 ふたりは、丹念に、腰をかがめて見てまわる。 それができるのは、あるいは、ふたりが、本当は、ど こか、遠い町で、仮に、死んでいるからかもしれない。 深く、一切を、忘却しているからかも知れない。 |
「秋の花」 静かな秋の日、遠い昔、別れた女に逢いに行った。風 の便りに、この世を去ったと聞いていたが、思いがけな く、死ぬ前に、一度、顔が見たいと言ってきたからだ。 永いこと、音信不通で過ごしてきたのだ。逢ったとこ ろで、何があるわけでもないが、急に、懐かしく、逢い たくなった。自分も、もう先のない老人だ。 それができたのは、たぶん、それが夢のなかのことだ ったからだろう。初めて訪れる町なのに、萩の花の咲く、 彼女の家への細い小径を、私は知っていたから。 |
私にできることと言えば、黙って、そこに坐っている ことだけだった。二人、並んで坐って、広い湖とそのほ とりで、風に吹かれる萩の花を見ているだけだった。 (彼女は、本当に私の昔の彼女だったのだろうか。) この世で、人間は、さまざまな時間を過ごすが、こう して、遥かな日々、睦み合って暮らした女と過ごす、自 分だけの淋しい花のようなひとときもある。 二人は、いつまでも、そうして坐っていた。日が暮れ、 あたりが暗くなって、遠い夢のなかで、二人が見えなく なるまで、そうしていた。 |
そこは、ほかに、誰もいない河原だ。ここに、再び、 来ることはないだろう。永いこと、地獄と極楽の日々を、 一緒に暮らしたから、ふたりは、それを知っている。 だからといって、ちょうちんの花に変わりがあるわけ ではない。水色のちょうちんの花の簪。その一つ一つを、 ふたりは、丹念に、腰をかがめて見てまわる。 それができるのは、あるいは、ふたりが、本当は、ど こか、遠い町で、仮に、死んでいるからかもしれない。 深く、一切を、忘却しているからかも知れない。 |
「死んだ女房」 その日、どういうわけか、何度も、同じ女に会った。 淋しそうな顔立ちのきれいな痩せた女で、小笊をかかえ て、ぼんやり、佇んでいる。 自分のように、車を曳いて、干魚を売る商いをしてい ると、いろいろなことがある。女は、掘割の柳の陰にい たり、横町の煙草屋の角にいたりした。おれが稲荷の社 で弁当を食っているときも、遠くで、おれを見ていた。 車を曳いてゆくと、いなくなっている。結局、それだ けのことだった。その日、家で、銭を数えながら、その 女のことを思い出したが、全く、心当たりはなかった。 誰だったろう。死んだ女房の知り合いだったか。それ にしても、その後、その女を見ることはなかったのだ。 |
次に、久しぶりに、その女を見たのは、おれが、病気 で寝ているときだった。夕暮れ、女は、おれの家にいて、 台所で、蕪を洗っていた。 おれは、布団から頭を上げて、それを見た。たしかに、 あの女だと分かったが、今度は、女は、居間で、足袋を 縫っていて、おれに気づかなかった。そのうちに、あた りが暗くなって、何もかも見えなくなった。 おれは死病だと言われて、寝たきりだったのだ。高熱 が出て、何度も気が遠くなったから、それは、そのとき だけの幻だったかもしれない。 |
人間は一回しか生きられない。この世の巡り合わせは、 さまざまだ。本当は、おれは、どこかで、あの痩せた女 と一生を共にしていたのかも知れない。ほんの一度だけ、 その暮らしの有りようを垣間見たのかもしれない。 息を引き取る前に、何かが、おれにそれを知らせたの だ。いずれにせよ、死んだ女房に話したら、気の強い女 のことだ。すぐ、ぶちのめされるようなはなしだ。 この世を去るめのときまで、そんな頬を張り倒される ような、ばかな夢を見たりして、結局、おれは、死んだ 女房のところへゆくのだ。 |