初期ラカンーー初期と言っても既に52歳のラカンだが、セミネールを始める以前のラカンという意味で最初期のラカンーーはこう書いてる。 |
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想定された本能的ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史のスティグマである。恥のページは忘れられる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique : page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige. Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953) |
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この文は後期ラカン観点ーー欲望から欲動へ移行したラカンーーからは核心的文のひとつで、ジャック=アラン・ミレールは次のように注釈している。 |
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ラカンは欲動的対象との関係[le rapport à l'objet pulsionnel ]において「抑圧されたもの」のモデルを考えようとした。これが次の凝縮された叙述が意味していることである。《このページは忘れられている。だが行為として呼び戻される[cette page est oubliée mais elle se rappelle dans les actes ]». (Lacan,E262)これが意味するのは、抑圧されたものの回帰は欲動的享楽に関係する[le retour du refoulé dans le rapport à la jouissance pulsionnelle]ということである。(J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 3/02/99) |
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抑圧されたものの回帰は、欲動的享楽の回帰だとある。 |
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ラカンはセミネールⅩⅦで、《反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]》(Lacan, S17, 14 Janvier 1970)と言っているが、これが抑圧されたものの回帰に相当する。 |
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抑圧されたものの回帰は享楽の回帰と相同的である[retour du refoulé…symétriquement il y a retour de jouissance](J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 10/12/97、摘要) |
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実はこの思考は1953年の冒頭の文だけでなく、セミネールⅠ でも既に現れている。 |
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抑圧されたものの回帰と抑圧は同じものということには驚かないでしょうね? [Cela ne vous étonne pas, …, que le retour du refoulé et le refoulement soient la même chose ? ](Lacan, S1, 19 Mai 1954) |
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抑圧は何よりもまず固着である[le refoulement est d'abord une fixation](Lacan, S1, 07 Avril 1954) |
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つまり抑圧されたものの回帰は固着の回帰と言っている。そして、《享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. 》(J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009)、つまり固着の回帰[retour de la fixation]=享楽の回帰[retour de la jouissance]なのである。 ………………
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ここでふたたびラカンに戻って確認しておこう。先ほどセミネールⅩⅦに「享楽の回帰」という表現があるのを示した。 |
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反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970) |
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この享楽とは穴=トラウマのことである。 |
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享楽は、抹消として、穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970) |
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現実界は穴=トラウマを為す[le Réel …fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974) |
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したがって享楽の回帰[le retour de la jouissance]とは穴の回帰[le retour du trou]、トラウマの回帰[le retour du traumatisme]である。 |
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享楽は現実界にある[la jouissance c'est du Réel. ](Lacan, S23, 10 Février 1976) |
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問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ](Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
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こうしてフロイトの(原)抑圧されたものの回帰=トラウマへの固着の回帰と享楽の回帰(トラウマの回帰=固着の回帰)の全き一致があることが示された筈である。 なおトラウマとは、上に示したようにフロイトにおいて異者(異者身体[ Fremdkörper] )であり、トラウマの回帰は異者の回帰(異者身体の回帰[le retour du corps étranger])とも呼びうる。 最後にジャック=アラン・ミレールの注釈にて再確認しておこう。
以上、享楽の回帰とは、自我の治外法権にある異者=トラウマ的なエスの欲動蠢動の反復強迫である。 |