実に明晰だな、特に現在の文化まで含めた反ロシア風潮を批判し、普通のロシア人に同情する者たちは、第三の大前提を忘れがちだ。
@HosakaSanshiro 2022年03月07日(月) 普通のロシア人をプーチンと一緒にしないで!という声がある。私は家族にロシア人がいるのでこの問題はもう8年間気が狂うほど議論してきた。 ①第一の大前提として加害者・被害者関係を曖昧にしてはならない。加害者はロシア、被害者はウクライナ(自分もプーチン政権の被害者というのは別問題。「世界平和・戦争反対」等の一般的スローガンで加害者・被害者関係を曖昧にしていないかに注意する。) |
②第二の大前提。いろいろな立場のロシア人がいるので「ロシア人は~だ」という一般化が一番危険であり、それは「ウクライナ人はナチスだ」と言って軍事侵攻を正当化するプーチンと変わらない。 ③第三の大前提。2022年2月24日に突如「悪魔」が降臨したわけではない。2000年(アパート爆破事件を口実に開始したチェチェン戦争で一気に人気を得たとはいえ、)「悪魔」は選挙で選ばれた。86%のロシア人が8年前のクリミア侵攻・違法併合を支持。目を覚ますには遅すぎた(ロシア人だけではないが) 結論はない。 以上は、記者から「普通のロシア人の思い」について聞かれたので、このような状況で誤解を与えやすい、極めてセンシティブな問題について私の考え方を伝えたもの(活字にはならなかったが)。 |
ロシア人ってのは一般に人がいいからなあ 強い自己主張者に対して起てないんだろうなあ (・・・と記したら第二の大前提に反してるよ、 という人がいるんだろうけどさ) |
新潟に人に会いに行った。四月に入ったというのに長岡までは屋根に雪があった。どうかなと思っていたが、河口の町新潟にはさすがに雪がなかった。しかし、太陽は雪もよいの薄雲の向うにおよそのありかを示すのみであった。空も、街も、囲む丘や山も乳白色にかすんでいた。すべては、やわらかく、あたたかな真珠色であった。〔・・・〕 |
東京から転勤して二年の知人は、ここの人はロが重いので診察に困るよ、と語った。それはさっそく証明された。知人の夫人を加えて三人でつい話し込んだ私たちは、時間を忘れていた。ひと気のなさに気づいて、たずねると、この料亭は九時が看板だという。十時を廻っていたのに、 ふつうは何らかの形で示す、ぼつぼつですよという気配は誰一人見せなかった。詫びる私たちに「いいえ、かまいませんから」とおだやかな微笑が返って来た。着物の着こなしのいい人たちだった。出ロで記念撮影のシャッター押しを頼んだ夫人に、こころよく応じてから「一枚でいいですか」とにこやかに念さえ押した。 |
そのとき私は思い起こした。公害は、人のおだやかな地帯に烈しいという、かねての私の感想を。静岡がそうであったし、三重もそうであった。私は工業都市になる前の四日市の、眠気をさそう春の海辺を思い出していた。強い自己主張者に対して起てないのであろうか。この街でもーー今、埋め立てが問題になっている潟は新聞で想像していたような葦の茂るさびしい沼ではなかった。遅い桜に囲まれて春の市民の行楽地だった。東京で井之頭池を利権がらみで埋め立てるということがあるだろうか。(中井久夫「信濃川の河口にて」1985年『記憶の肖像』所収) |
耐えちゃ絶対ダメな「悪魔」に長く耐え過ぎたんだろうなあ |
十数年前のこと、十月初旬のモスクワはもう横なぐりの吹雪であった。国際空港は悪天候のために閉鎖された。「今日はここで泊まってくれ」「どこで寝ろというのか」係官は事もなげに答えたーー「ズジェーン」(ここでだ)。群集の信じられらないという顔がすぐ激しい抗議に変わった。結局スイス人のねばり強い理性的交渉により外国人に限りホテルが手配された。その間、ロシア人は黙々とその場で寝る準備をととのえ、やがて誰からともなく、ロシア民謡の合唱が始まった。ロシア人の強さである。同じ場面がロシア史に数知れない苦痛に際してあったことであろう。この耐える強さを何度外国人は誤算したことか。 |
絶望的に音痴である私には閉ざされた方法だが、合唱こそロシア人とわかり合えるチャンスではないか。ロシア人とは何かがもう一つはっきりしないのも、「ハモる」ことを通じて解けあえる「ことば以前」「意識以前」の何ものかがあるからではないか。歌を通さなくとも、ロシア語自体がこの言葉を解さない者にも訴える力を持つ特異な言語であると私は思う。それは、単なる美しさでなく、脊髄と内臓からの戦慄をよびおこす。(中井久夫「ロシア人」1991年『記憶の肖像』所収) |
美点は欠点と裏表のことが多いからなあ
日本人も共感の共同体という美点の裏にある
とんでもない欠点に自覚的でないとなあ
国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。(中井久夫「戦争と平和についての観察」2005年『樹をみつめて』所収) |
………………… ※付記 普通のロシア人だけじゃなく、世界がプーチンに妥協してきたんだよなあ で、日本人はこういうこと言うヤツに8年も「妥協」したんだよなあ 「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」(安倍晋三、2019年9月) |