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2022年3月12日土曜日

戦争は破壊の悦が渦巻く場

 

肝腎なのは、人がみなもっている破壊欲動、あるいは破壊の悦をしっかり認めているかだ。

本当のことを言うとね、空襲で焼かれたとき、やっぱり解放感ありました。震災でもそれがあるはずなんです。日常生活を破られるというのは大変な恐怖だし、喪失感も強いけど、一方には解放感が必ずある。でも、もうそれは口にしちゃいけないことになっているから。(古井由吉「新潮」2012年1月号又吉直樹対談) 


私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。(中井久夫「「踏み越え」について」2003年『徴候・記憶・外傷』所収)



一般には「口にしちゃいけないことになっている」から、多くの人は悟っていないかもしれないけど、とくに戦争なんてのは攻撃する側も攻撃される側も、そしてわれわれ観客もこの破壊の悦が渦巻く場だよ。


………


以下、今まで何度か示してきたが、ドストエフスキー・ニーチェを軸にフロイトラカンを絡めて破壊の悦をかんたんにまとめたもの。



ドストエフスキーこそ、私が何ものかを学びえた唯一の心理学者[einzigen Psychologen]である。すなわち、彼は、スタンダールを発見したときにすらはるかにまさって、私の生涯の最も美しい幸運に属する。浅薄なドイツ人を軽蔑する権利を十倍ももっていたこの深い人間は、彼が長いことその仲間として暮らしたシベリアの囚人たち、もはや社会へ復帰する道のない真の重罪犯罪者たちを、彼自身が予期していたのとはきわめて異なった感じをとったーーほぼ、ロシアの土地に総じて生える最もすぐれた、最も堅い、最も価値ある木材から刻まれたもののごとく感じとった。(ニーチェ「ある反時代的人間の遊撃」第45節『偶然の黄昏』1888年)


1888年のニーチェは上のように、ドストエフスキーを唯一の心理学者[einzigen Psychologen]として絶賛しているが、彼がドストエフスキーの書に初めて出会ったのは、1866-1867年の冬のニースであり、本屋で仏訳の『地下室の手記(L’esprit souterrain)』を手に取ったことから始まる。1844年10月生まれのニーチェであり、43歳の時である。ーー《四十三歳の時、偶然仏訳を手にしたドストエフスキイの「地下室の手記」、この三番目の書を読んだ当時の手紙で、彼(ニーチェ)は昂奮して書いている、他に言いようがないから言うのだが、これは私を歓喜の頂まで持って行った血の声だと言う。》(小林秀雄「ニーチェ雑感」)


とはいえニーチェはドストエフスキーから具体的に何を学んだのか。当時のニーチェは既に『ツァラトゥストラ』も『善悪の彼岸』も書き終えている。そこに書いた以上のものをドストエフスキーのなかに見出したのか、それとも自らの思想と同じものがドストエフスキーのなかに具体的に記されていることを発見して狂喜したのか。私は後者だと考えている。


『地下室の手記』には「苦痛のなかの快」の記述がある。


心ひそかに自分を責めさいなみ、われとわが身を噛み裂き、引き挘るのだ。そうするとしまいにはこの意識の苦汁が、一種の呪わしい汚辱に満ちた甘い感じに変わって、最後にはそれこそ間違いのない真剣な快楽になってしまう! そうだ、快楽なのだ、まさに快楽なのである!〔・・・〕

諸君、諸君はこれでもまだわからないだろうか? 駄目だ、この快感のありとあらゆる陰影を解するためには、深く深く徹底的に精神的発達を遂げて、底の底まで自覚しつくさなければならないらしい!(ドストエフスキー『地下生活者の手記』)



この苦痛のなかの快は、ニーチェにとって力への意志であり、フロイトのマゾヒズム、ラカンの享楽である。


苦痛と快(悦)は力への意志と関係する[Schmerz und Lust im Verhältniß zum Willen zur Macht.  ](ニーチェ遺稿、1882 – Frühjahr 1887)

苦痛のなかの快(悦)はマゾヒズムの根である[Masochismus, die Schmerzlust, liegt …zugrunde](フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年、摘要)


フロイトは書いている、「享楽はその根にマゾヒズムがある」と。[FREUD écrit : « La jouissance est masochiste dans son fond »](ラカン, S16, 15 Janvier 1969)

疑いもなく、苦痛が現れはじめる水準に享楽はある[Il y a incontestablement jouissance au niveau où commence d’apparaître la douleur](Lacan, LA PLACE DE LA PSYCHANALYSE DANS LA MÉDECINE, 1966)

享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムから構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはこれを見出したのである[ la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il l'a découvert] (Lacan, S23, 10 Février 1976)



とすれば《唯一の心理学者、ドストエフスキー[Dostojewskis, des einzigen Psychologen]》(「ある反時代的人間の遊撃」第45節、1888年)とはマゾヒストとしての「力への意志の心理学者、ドストエフスキー」のことではないか。


ニーチェはドストエフスキーと出会う直前の1886年に既にこう書いている。


これまで全ての心理学は、道徳的偏見と恐怖に囚われていた。心理学は敢えて深淵に踏み込まなかったのである。生物的形態学[morphology]と力への意志 [Willens zur Macht] 展開の教義としての心理学を把握すること。それが私の為したことである。誰もかつてこれに近づかず、思慮外でさえあったことを。…


心理学者は…少なくとも要求せねばならない。心理学をふたたび「諸科学の女王 [Herrin der Wissenschaften]」として承認することを。残りの人間学は、心理学の下僕であり心理学を準備するためにある。なぜなら,心理学はいまやあらためて根本的諸問題への道だからである。(ニーチェ『善悪の彼岸』第23番、1886年)


もし「力への意志の心理学者、ドストエフスキー」という観点を取るなら、ニーチェは既に心に温めていたものをあらためてドストエフスキーのなかに再発見したということになる。


力への意志という究極の心理学ーーフロイト用語ならメタ心理学Metapsychologie]ーー、これがニーチェにとって諸科学の女王 [Herrin der Wissenschaften]である。この前提で以下の記述を続ける。



なおニーチェは1888年には力への意志と欲動を等置している。


すべての欲動力(すべての駆り立てる力 alle treibende Kraft)は力への意志であり、それ以外にどんな身体的力、力動的力、心的力もない[Daß alle treibende Kraft Wille zur Macht ist, das es keine physische, dynamische oder psychische Kraft außerdem giebt... ](ニーチェ「力への意志」遺稿 Kapitel 4, Anfang 1888)

私は、ギリシャ人たちの最も強い本能、力への意志[Willen zur Macht] を見てとり、彼らがこの「欲動の飼い馴らされていない暴力[unbändigen Gewalt dieses Triebs]に戦慄するのを見てとった。ーー私は彼らのあらゆる制度が、彼らの内部にある爆発物[ihren inwendigen Explosivstoff]に対して互いに身の安全を護るための保護手段から生じたものであることを見てとった。

(ニーチェ「私が古人に負うところのもの Was ich den Alten verdanke」第3節『偶然の黄昏』所収、1888)


力への意志[Willen zur Macht] =「欲動の飼い馴らされていない暴力[unbändigen Gewalt dieses Triebs]であり、これがフロイトの欲動あるいは欲動蠢動 [Triebregung]である。


荒々しい「自我によって飼い馴らされていない欲動蠢動 」を満足させたことから生じる幸福感は、家畜化された欲動を満たしたのとは比較にならぬほど強烈である[Das Glücksgefühl bei Befriedigung einer wilden, vom Ich ungebändigten Triebregung ist unvergleichlich intensiver als das bei Sättigung eines gezähmten Triebes.] (フロイト『文化のなかの居心地の悪さ』第2章、1930年)


そしてこの欲動蠢動ーー《エスの欲動蠢動[Triebregung des Es]》 (『制止、症状、不安』第3章、1926年)ーーが、フロイトにとって自己破壊欲動=マゾヒズムである。


自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)



もっともフロイトは、原欲動としてのマゾヒズム的自己破壊欲動はサディズム的他者破壊欲動に反転することが多いことを示している。


マゾヒズムはその目標として自己破壊をもっている。〔・・・〕そしてマゾヒズムはサディズムより古い。サディズムは外部に向けられた破壊欲動であり、攻撃性の特徴をもつ。或る量の原破壊欲動は内部に残存したままでありうる。

Masochismus …für die Existenz einer Strebung, welche die Selbstzerstörung zum Ziel hat. …daß der Masochismus älter ist als der Sadismus, der Sadismus aber ist nach außen gewendeter Destruktionstrieb, der damit den Charakter der Aggression erwirbt. Soundsoviel vom ursprünglichen Destruktionstrieb mag noch im Inneren verbleiben; 〔・・・〕


我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊傾向から逃れるために、他の物や他者を破壊する必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい開示だろうか!

es sieht wirklich so aus, als müßten wir anderes und andere zerstören, um uns nicht selbst zu zerstören, um uns vor der Tendenz zur Selbstdestruktion zu bewahren. Gewiß eine traurige Eröffnung für den Ethiker! (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


フロイトのドストエフスキー論における次の記述は、上の文脈のなかで読むことができる。


ドストエフスキーの途轍もない破壊欲動…彼は小さな事柄においては、外に対するサディストであったが、大きな事柄においては、内に対するサディスト、すなわちマゾヒストであった[daß der sehr starke Destruktionstrieb Dostojewskis, …also in kleinen Dingen Sadist nach außen, in größeren Sadist nach innen, also Masochist, das heißt der weichste, gutmütigste, hilfsbereiteste Mensch. ] (フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年)




ドストエフスキーには先に掲げた『地下室の手記』だけではなく、マゾヒズム的自己破棄欲動の記述がふんだんにある。ここでは『悪霊』からふたつ掲げよう。


夜の大火は人をいらだたすと同時に、心を浮き立たせるような効果を常に生むものである。花火はこの効果を応用したものだ。しかし花火の場合は、火が優美な、規則正しい形にひろがり、しかも自分の身はまったく安全なので、ちょうどシャンパン・グラスを傾けたあとのように、遊び半分の軽やかな印象しか残さない。ほんものの火事となると、話は別である。この場合は、夜の火の心浮き立たせる効果もさることながら、恐怖心と、やはりわが身に迫るなにがしかの危機感とが、見物人との間に(もちろん、家を焼かれている当人たちの間にではない)ある種の脳震盪めいた作用を惹き起こし、彼らの内なる破壊本能を刺激するような結果になる。しかも、この破壊本能は、悲しいかな! どんな人間の心の底にも、謹厳実直そのもののような家族持ちの九等官の心の底にさえひそんでいるものなのだ……この隠微な感覚は、ほとんどの場合、人を陶酔させる傾きがある。「火事というものを多少の満足感なしに眺められるものかどうか、ぼくはあやしいと思うね」とは、かつてステパン氏が、たまたま出くわした夜の火災からの帰り道、まだその引用がなまなましかったおりに、私に語った言葉そのままの引用である。(ドストエフスキー『悪霊』江川卓訳 新潮文庫 下 P272)


ーー「夜の大火はある種の脳震盪めいた作用を惹き起こし、彼らの内なる破壊本能を刺激するような結果になる」とあるが、これは911でも311でも起こったし、現在も映像としてはまだ(?)物足りないかもしれないが、われわれに起こっていることだ、《2001911日後の数日間、われわれの視線が世界貿易センタービルに激突する飛行機のイメージに釘づけになっていたとき、誰もが「反復強迫」がなんであり、快原理を越えた享楽がなんであるかをむりやり経験させられた。そのイメージを何度も何度も見たくなり、同じショットがむかつくほど反復され、そこから得るグロテスクな満足感は純粋の域に達した享楽だった。》(ジジェク『 現実界の砂漠へようこそ』)。これが冒頭の古井由吉が言っている「口にしちゃいけないことになっている」事だが、少しでも省みる力があるなら、誰もがこの破壊の悦を自らの中に認めるだろう。


さてもうひとつ『悪霊』から。こちらは自己破壊欲動がマゾヒズムであることが『地下室の手記』と同様によくわかる記述。


これまでの生涯にすでに何度かあったことであるが、私は、極度に不名誉な、並はずれて屈辱的で、卑劣で、とくに、滑稽な立場に立たされるたびに、きまっていつも、度はずれな怒りと同時に信じられないほどの快感をかきたれらててきた。これは犯罪の瞬間にも、また生命の危険の迫ったときにもそうなのである。かりに私が何か盗みを働くとしたら、私はその盗みの瞬間、自分の卑劣さの底深さを意識することによって、陶酔を感じることだろう。私は卑劣さを愛するのではない(この点、私の理性は完全に全きものとしてあった)、ではなくて、その下劣さを苦しいほど意識する陶酔感が私にはたまらなかったのである。同様に、決闘の場に立って、相手の発射を待ち受ける瞬間にも、私はいつもそれと同じ恥辱的な、矢も盾もたまらぬ感覚を味わっていた。とくに一度はそれがことのほか強烈であった。白状すると、私はしばしば自分から進んでこの感覚を追い求めたこともある、というのは、それが私にとってはその種のもののなかでももっとも強烈に感じられたからである。(ドストエフスキー 『悪霊』下 P550-551)




ニーチェにおいてはこの破壊本能(破壊欲動)は例えば次のような形で表れている。

より深い本能としての破壊への意志、自己破壊の本能、無への意志[der Wille zur Zerstörung als Wille eines noch tieferen Instinkts, des Instinkts der Selbstzerstörung, des Willens ins Nichts](ニーチェ遺稿、den 10. Juni 1887)


生への意志[der Wille zum Leben]ーーこれをわたしはディオニュソス的と呼んだのであり、これをわたしは、悲劇的詩人の心理を理解するための橋と解したのである。詩人が悲劇を書くのは恐怖や同情から解放されんためではない、危険な興奮から激烈な爆発によっておのれを浄化するためーーそうアリストテレスは誤解したがーーではない。そうではなくて、恐怖や同情を避けずに乗り越えて、生成の永遠の悦そのものになるためだ[die ewige Lust des Werdens selbst Zusein]、破壊の悦[die Lust am Vernichten]をも抱含しているあの悦に……(ニーチェ「私が古人に負うところのもの」第5節『偶像の黄昏』1888年)


生への意志[der Wille zum Leben]=破壊の悦[die Lust am Vernichten]を含んだ生成の永遠の悦[die ewige Lust des Werdens]とあるが、この生への意志が力への意志である。


生への意志? 私はそこに常に力への意志を見出だす[Wille zum Leben? Ich fand an seiner Stelle immer nur Wille zur Macht. ](ニーチェ「力への意志」遺稿、ー1882 - Frühjahr 1887 )


ニーチェ自身には私の知る限り、悦への意志 [Wille zur Lust]いう表現は直接的にはないが、力への意志を悦への意志と言い換えてもよいだろう。


欲動〔・・・〕、それは「悦への渇き、生成への渇き、力への渇き」である[Triebe […] "der Durst nach Lüsten, der Durst nach Werden, der Durst nach Macht"](ニーチェ「力への意志」遺稿第223番、1882 - Frühjahr 1887 )


すなわちニーチェにおいて、欲動[Triebe]=悦への意志 [Wille zur Lust]=力への意志 [Wille zur Macht]であり、破壊への意志[Wille zur Zerstörung](自己破壊の本能[Instinkts der Selbstzerstörung])でもある。



これらはすべて破壊の悦[Lust am Vernichten]にかかわる表現群である。


そして究極的には、この破壊悦が、フロイトの原欲動としての自己破壊欲動=死の欲動であり、ラカンの享楽の意志(悦の意志)である、《享楽の意志は欲動の名である[Cette volonté de jouissance est un des noms de la pulsion]》(J.-A. Miller, LES DIVINS DETAILS, 17 MAI 1989)



我々が、欲動において自己破壊を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動の顕れと見なしうる。それはどんな生の過程からも見逃しえない。

Erkennen wir in diesem Trieb die Selbstdestruktion unserer Annahme wieder, so dürfen wir diese als Ausdruck eines Todestriebes erfassen, der in keinem Lebensprozeß vermißt werden kann. (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


※より詳しくは、「フロイトにおける自己破壊欲動の四つの記述」参照。


……………


ここに記したことは実はプラトン=ソクラテスのなかに既にある。


いつかぼくはある話を聞いたことがあって、それを信じいているのだよ。それによると、アグライオンの子レオンティオスがペイライエウスから、北の城壁の外側に沿ってやって来る途中、処刑吏のそばに屍体が横たわっているのに気づき、見たいという欲求にとらえられると同時に、他方では嫌悪の気持がはたらいて、身をひるがそうとした。そしてしばらくは、そうやって心の中で闘いながら顔をおおっていたが、ついに駆り立てる力に打ち負かされて、目をかっと見開き、屍体のところへ駆け寄ってこう叫んだというのだ。「さあお前たち、呪われたやつらめ、この美しい観物を堪能するまで味わうがよい!」(プラトン『国家』439c )


ソクラテス) 諸君、ひとびとがふつう快楽と呼んでいるものは、なんとも奇妙なものらしい。それは、まさに反対物と思われているもの、つまり、苦痛と、じつに不思議な具合につながっているのではないか。


この両者は、たしかに同時にはひとりの人間には現れようとはしないけれども、しかし、もしひとがその一方を追っていってそれを把えるとなると、いつもきまってといっていいほどに、もう一方のものをもまた把えざるをえないとはーー。(プラトン『パイドン』60B)