2022年3月29日火曜日

自由主義と民主主義の相違(柄谷行人)


 1990年に書かれた「歴史の終焉について」は後年の柄谷行人の政治論ーー例えば『トランスクリティーク』(2001年)、『世界共和国へ』(2006年)、『世界史の構造』(2010)ーーの最初の一歩のようなところがあると私は思う。民主主義とは何か、自由主義とはどう違うのか、ファシズムは民主主義なのか、民族主義は事実上ファシズムではないのか等々、実に原理的な思考が示されている。

以下、「歴史の終焉について」後半部分を引用する。柄谷は何度かカール・シュミットに触れているが、これにかかわるシュミットの直接の言葉は「シュミット・フロイト・ファシズム」を参照。


人々は自由・民主主義が勝利したといっている。しかし、自由主義や民主主義を、資本主義から切り離して思想的原理として扱うことはできない。いうまでもないが、「自由」と「自由主義」は違う。後者は、資本主義の市場原理と不可分離である。さらにいえば、自由主義と民主主義もまた別のものである。ナチスの理論家となったカール・シュミットは、それ以前から、民主主義と自由主義は対立する概念だといっている (『現代議会主義の精神史的地位』)。民主主義とは、国家(共同体)の民族的同質性を目指すものであり、異質なものを排除する。ここでは、個々人は共同体に内属している。したがって、民主主義は全体主義と矛盾しない。ファシズムや共産主義の体制は民主主義的なのである。


それに対して、自由主義は同質的でない個々人に立脚する。それは個人主義であり、その個人が外国人であろうとかまわない。表現の自由と権力の分散がここでは何よりも大切である。議会制は実は自由主義に根ざしている。


歴史的にいって、アテネの民主主義(デモクラシー)は貴族支配(アリストクラシー)に対立するものである。それは異質な且つ外国とつながる貴族の支配の否定である。また、それが奴隷を除外していることはいうまでもない。このデモクラシーが独裁者(僭主)を生み出すことがあるとしても、それは貴族支配とは別である。デモクラシーのみがそのような独裁者を可能にするのだから。ある意味で、プラトンのいう哲学者=王とは、そのような独裁者である。


近代においても、同じようなことがいえる。近代西欧の民主主義は、貴族、すなわち諸侯や教会といった封建的諸勢力を制限し解体する一連の過程によって生まれている。先ず絶対主義的な君主制が、多元的な封建的諸勢力を解体し同質的な国民国家を実現するために要請され、次にそれが解体される。そのあとで、イギリスのように王制が回復されても、それはもはや議会に従属するものでしかない。したがって、その政体が見かけの上で共和制であろうと、君主制であろうと、独裁制であろうと、問題ではない。要するに、民主主義は「国家」主権と切り離すととができないのだ。それは、国民的同質性をおびやかすものの排除を要求する(たとえばどんな国家でも、外国人はいかにその国の経済に関与してい ても、参政権を与えられていない)。


一方、自由主義は「国家」に無関心である。ギリシャの文脈でいえば、アテネの共同体をおびやかした外国人の「思想家」(ソフィスト)はこの意味で自由主義的であった。彼らはいわば思想を「売る」者であり、それは地中海の資本主義と結びついている。したがって、自由主義は本来世界資本主義的な原理であるといってもよい。そのことは、近代思想にかんして、反ユダヤ主義者カール・シュミットが、自由主義を根っからユダヤ人の思想だと主張したことにも示されている。


むろん、自由主義や民主主義が純粋にあるわけでないし、また超歴史的な理念や原理としてあるのでもない。近代西洋の民主主義は、それが市民(ブルジョアジー)による封建的諸勢力との階級闘争として実現された以上、当然「自由主義」的でもあった。いわゆる「民主主義」は、こうした民主主義と自由主義の拮抗し合うバランスにおいて形成されたのであり、現在もそのようにある。それらは、資本主義が「世界的」でありながら、同時に一国の経済としてしか実存しないという矛盾に対応するものとして、つねに具体的な局面においてあるのだ。


今日、国家主権をおびやかすのは封建的勢力ではなく、多国籍資本である。それは海外からの輸入によって国内市場を破壊し、また税金を払わな い。アメリカが直面している双子の赤字と呼ばれる事態の本当の原因はそこにある。「自由主義」を保持するならば、それは「国民経済」を空洞化する。この事態はいずれ日本においても生じるだろう。


現在日本で起っているのは、農産物の自由化や海外労働力の導入といった「自由主義」と、それが国民的経済と同質性をおびやかすことに反発する「民主主義」の対立である。日本で自由民主党と名乗る政党が長く独裁してこれたのは、この矛盾が露呈しなかったからである。今やそれは、一方でアメリカや諸外国からの「自由主義」の要求を実現せねばならない。日本の資本は現実に多国籍企業として世界で自由にふるまっているのに、日本の市場は外からみればまったく「自由主義」に反しているからだ。他方「自由化」を実現すれば、これまでの基盤であった支持階層を失わざるをえない。さらに、多国籍企業化した(日本の)資本の行動が日本の国民経済にはねかえってくる事態は避けられない。


社会主義圏は「民主化」された。それは実は資本主義的自由主義を受け入れることと同義である。が、それがうまく行くという保証はない。それは今後の世界資本主義の状況に依存している。それが悪化すれば、民主主義要求が強まるにきまっている。民族主義もそのあらわれである。この意味で、日本の政治状況もふくめて、自由・民主主義が勝利したというのはまったく当たっていない。むしろ各所で自由主義と民主主義の相克がはじまったというべきなのだ。それは、資本がもはや一国のものとはいえないほどに世界各国に網目を広げてしまったからである。


注意すべきことは、このトランスナショナルな資本が、一方で、一国(共同体)に限定されてきた「共産主義」を崩壊させるとともに、他方で、国境をこえたトランスナショナルな交通を生みだしていることである。べつの観点からいえば、それは一方で国家を解体するとともに、他方で国家主義を強化している。われわれはこの両義性に注目しなければならない。


自由主義と民主主義は、資本主義の具体的な局面を抜いて語ることはできないと、私はいった。しかし、それをたんに原理として検討するとしても、決して和解しえない対立をはらんでいる。たとえば、自由主義と民主主義は、「真理」にかんする根本的な態度にかんして対立している。民主主義は、真理が存在あるいは神から直接的に来るという考え、あるいは、真理は個々人が議論や競争によって決めるものではなく、すべてを代表する傑出した指導者あるいは個別利害を越えた一般者のみが見いだしうるとみなすものである。民主主義においては、決定は無記名投票によってではなく、いわば喝采によってなされる(たとえば、これは「全共闘」の集会でも同じである。そして、それが反民主主義的であるとは誰もいうまい)。


一方、自由主義は、真理が、競争による均衡を通して予定調和的に示されるという考えにもとづいている。つまり、これは本質的な「真理」なるものを形而上学として斥けるとはいえ、真理が均衡を通してあらわれるという、もう一つの形而上学に根ざしている。それは、本質的な価値なるものはなく競争による均衡としての相対的な価格しかない、しかもそこに「見えざる神の手」が働いているという古典経済学的な「自由主義」と結びついている。


自由主義にかんして重要なのは、たんにそれが「表現の自由」を強調することではない。「表現の自由」はむしろ人間的本質に属する。要は、それがいかに制度的に保証されるかということである。その場合、自由主義において不可欠なのは、意見の公開性よりも、匿名制(無記名制)であるといえる。匿名が人を「自由」にする、あるいは「個人」にする。アテネにおいては、それは僭主の出現を避けるために採用された。しかし、これは奇妙なことではないだろうか。ロに出してものをいわない(いえない) ような人たちの多数意見が「真理」を決定するとは。実際、ヘラクレイトスからプラトン、アリストテレスにいたるまでのギリシャの哲学者はこのようなデモクラシーに反対していた。


そもそも「真理」は多数決によるのではないと思う者は、暗黙に反「自由主義」的である。たとえば、真に「プロレタリアート」の立場に立ったレーニン主義者は、個々の労働者・農民の意見に反して「一般意志」を代行しなければならない。共産党とはプラトンの いう哲学者=王の一種である。したがって、このような発想はレーニン主義者にかぎらない。どの国でも、官僚たちは議会を公然とあるいは暗黙に敵視している。彼らにとっては、自分たちが私的利害をこえて考えたと信ずる最善の案を議会によってねじ曲げられることは耐え難いからである。官僚が望むのは、彼らの案を実行してくれる強力且つ長期的な指導者である。また、政治家のみならず官僚をも批判するオビニオン・リーダーたちは、自分たちのいうととが真理であるのに、いつも官僚や議会といった「衆愚」によって邪魔されていると考えている。だが、「真理」は得体の知れない均衡によって実現されるというのが自由主義なのだ。


もちろん、こうした「真理」論は、いずれも近代の主観性の哲学にもとづくものでしかないと批判することができる。ソクラテスあるいはデカルト以後の「真理」観を批判し、古代ギリシャにおいて「真理」は存在の「隠れ無さ」であると言った、ハイデッガーはつぎのように演説している、


ドイツの教職員諸君、ドイツ民族共同体の同胞諸君。 ドイツ民族はいま、党首に一票を投じるように呼びかけられている。ただ し党首は民族から何かをもらおうとしているのではない。そうではなくてむしろ、民族の全体がその本来の在りようをしたいと願うか、それともそうしたいと思わないのかという至高の決断をおのがじし下すことのできる直接の機会を、民族に与えてくれているのである。民族が明日選びとろうとしているのは他でもない、自分自身の未来なのである。(ハイデガー  「アドルフ・ヒットラーと国家社会主義体制を支持する演説」1933年)


これは、深遠な形而上学がどのような政治とつながるかを端的に示している。ハイデッガーにとっては、指導者を「選ぶ」といった自由主義的原理そのものが否定されなければならないのであり、真の「自由」は喝采によって決断を表明することにある。そのときのみ、「民族の全体」の「本来の在り様」としての真理があらわれる、というのである。表象representationとしての真理観を否定することは、議会(=代表制representation)を否定することに導かれる。


したがって、自由・民主主義は西洋の原理であるというなら、それに敵対する原理の方も西洋の原理である。ハイデッガーもシュミットも標的としているのは、英米の「自由主義」である。普通に「民主主義」と呼ばれているのは本来自由主義であり、ナチズム(国家社会主義)こそ真に民主主義的なのだといいたいのだ。しかし、シュミットの鋭い原理的分析にもかかわらず、アングロ・サクソン系の「民主主義」が強いのは、もともとそれが原理的ではないからである。


すでにのべたように、イギリスにおいて、「民主主義」は歴史的に市民(ブルジョアジー)の階級闘争のなかで形成されたものである。いいかえれば、それは「原理」としてではなく、具体的な歴史のなかで経験的な事実性として出来上がった制度である。原理をめぐる殺し合い からきた知恵であって、どこかから演繹されたものではない。たとえば、イギリスには成文法としての憲法はない。彼らは原理化するととを極力避けてきたのである。それは、「原理」として語られるならば、たちまち矛盾に追い込まれてしまうようになっているからだ。むろん、ホッブスのような傑出した理論家がいなかったわけではない。しかし、それは例外であって、ロック以後の政治論は原理とはいいがたいほど折衷的なものとなる。

哲学でいえば、それは経験論的なものである。ただし、それは「原理」をめぐる空しい論議に対して経験をもってくるというべーコン的意味においてであって、一切は感覚に始まるといった、もう一つの原理ではない。かえって、それは原理として立てられると、「民主主義」と同様にたちまち矛盾に追い込まれてしまう。


しかし、イギリスで形成された制度はそれ以外のところで模範として、あるいは規範として見られると、それ自体原理として扱われざるをえない。フランスの啓蒙主義者においてすでにそうであった。これはアメリカの革命において引き継がれる。だが、それは「原理」としてみると、ただちに、矛盾、つまり自由主義と民主主義の矛盾に引き裂かれる。たとえば、ルソーの『社会契約論』はこの二つの原理を融合させている。もともと社会契約は異質な個人のあいだでなされるもの(自由主義)であるのに、彼は他方で、同質的な個人を前提した一般意志なるものを主張しているからである(民主主義)。したがって、ルソーから「全体主義」が派生しても必ずしも誤解ではない。


さらに、ドイツにおいては、この矛盾は哲学的に矛盾として意識され乗りこえられる。たとえば、ヘーゲルにおいて、自由主義は市民社会の「欲求の体系」にすぎず、それは国家理性(ルソーのいう一般意志)によって乗りこえられねばならない。しかも、それはたんなる国家ではなく、「民族」の政治形態としての国家でなければならない。ヘーゲルが歴史の目的(終り)を「自由」の実現に見たとき、彼の考えていた「自由」は、自由主義(市民社会)なのではなかった。それは民族的な「有機体」に根ざしているのでなければならなかった。


自由主義と民主主義の対立とは、結局個人と国家あるいは共同体との対立にほかならない。そして、個と類という回路のなかでのこうした思考が取りうる形態は、個人主義か、全体主義か、個がそのまま全体であるといったモナドロジーか、ヘーゲル的な有機体論かの いずれかである。「原理的」に考える者は、必ずこの四つのうちのどれかを取ることになる。この意味で、思想が取りうる形式はコジェーヴがいったように、ヘーゲルの体系のなかに尽くされている。それゆえ、またヘーゲルにおいて歴史は終ったといわねばならなくなる。


だが、それは歴史を原理あるいは理念の実現として見るからである。そうした原理は、歴史的な資本主義経済の発展の中で、そとに生じ且つ変動する諸階級の闘争の結果として実現されたものであり、またつねにそとに属している。資本主義が「終り」を無限に endlessly先送りするものである以上、「歴史の終焉」などありはしない。マルクスがいったように、「共産主義」とは「現実の諸条件」がもたらす「現状を止揚する現実の運動」としてしか無いとするならば、さらに「共産主義」とは「個と類」という回路のなかに閉じこめられた思考に対する否定にあり、すなわち類(共同体)に属さないような個の単独性と社会性にあるとするならば、それもまた「終り(目的)」なき闘争としてしか無い。(柄谷行人「歴史の終焉について」1990年『終焉をめぐって』所収)




上で柄谷がマルクスの共産主義の定義を示しているのは『ドイツイデオロギー』から。

共産主義とは、われわれにとって成就されるべきなんらかの状態、現実がそれに向けて形成されるべきなんらかの理想ではない。われわれは、現状を揚棄する現実の運動を、共産主義と名づけている。この運動の諸条件は、いま現にある前提から生じる。Der Kommunismus ist für uns nicht ein Zustand, der hergestellt werden soll, ein Ideal, wonach die Wirklichkeit sich zu richten haben [wird]. Wir nennen Kommunismus die wirkliche Bewegung, welche den jetzigen Zustand aufhebt. Die Bedingungen dieser Bewegung ergeben sich aus der jetzt bestehenden Voraussetzung (マルクス&エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』1845-1846 )




…………………


次に山内昌之の1993年の講演「いま、なぜ民族なのか?」から引用するが、民主主義が柄谷=シュミットの《民主主義とは、国家(共同体)の民族的同質性を目指すものであり、異質なものを排除する》であるならば、多民族国家に民主主義ってありかね?


民主主義に属しているものは、必然的に、まず第ーには同質性であり、第二にはーー必要な場合には-ー異質なものの排除または殲滅である。[…]民主主義が政治上どのような力をふるうかは、それが異邦人や平等でない者、即ち同質性を脅かす者を排除したり、隔離したりすることができることのうちに示されている。Zur Demokratie gehört also notwendig erstens Homogenität und zweitens - nötigenfalls -die Ausscheidung oder Vernichtung des Heterogenen.[…]  Die politische Kraft einer Demokratie zeigt sich darin, daß sie das Fremde und Ungleiche, die Homogenität Bedrohende zu beseitigen oder fernzuhalten weiß. (カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1923年版)


米国のような歴史の浅い移民国家なら人はみな平等であるという形式的理念でまとまりうるが、長い歴史をもった民族を抱えた国が民主主義を採用したって、互いに排除し合う「民族の火薬庫」にしかならないんじゃないか。とくにウクライナのような国が純粋な民主化を求めたら、「バンデラ主義化=ファシスト化」して、自国内のロシア人(ロシア語話者)の排除、殲滅傾向をもたずにはいられないんじゃないか。



かつてロシア帝国は、「民族の牢獄」と呼ばれる時期がありました。私は依然、この解体し分裂する前のソ連を「民族の火山」あるいは「民族の戦場」になぞらえたことがあります。しかし、いまとなってみますと、この形容すらおとなしすぎた感があります。セルビア人のように、他の民族の居住地域を実力で併合しようとするケースを見るにつけ、バルカン半島などは、さながら「民族の火薬庫」とも言えるような極めて悲惨な状況にあると思えます。〔・・・〕


さらに現在、旧ソ連における民族問題の焦点は、たとえば中央アジア、コーカサス、ベラルーシ(白ロシア)やウクライナといったロシア連邦共和国以外の地域に住む2500万人のロシア人、かつて帝国や連邦の支配的、指導的な民族であったロシア人たちが、今度は逆に少数民族として旧ソ連の共和国に住むことになっているという現実があります。 


とくにウクライナには、全人口5200万人のうちロシア人が1100万人も住み、ウクライナの全人口の約20%を占めているわけです。せっかく成立したこのウクライナという国民国家が、実はその内部にたいへん強力なライバルとして、20%ものロシア人たちを抱え込むことになったのです。〔・・・〕


ヨーロッパで統合が比較的スムーズにいっているケースを、西のほうから見ていきますと、イギリス、フランス、スペインなどは、民族の形成、集団の在り方、かれらの住んでいる地域が、中世から近世へ脱皮していくプロセスで、そのまますんなり近代国家へと成長を遂げることができた国々です。これらは自分たちの住む社会と国家の重なりとが、比較的容易であり、ネーションという言葉が、民族、国民、国家という意味を重ねているような国なのです。  


東にさらに進むと、ベルリン、ローマになります。そこでは、かつての神聖ローマ帝国の版図で、ローマ帝国が分裂したあと、教皇領の存在などによって国の統一が分断されていた地域です。それでもドイツ語やイタリア語という共通言語を基にして、人々の交流が可能であり、国は分裂していても、あるまとまりをなし得る国でした。ですから、これらの国は19世紀の半ば過ぎに統一を完成してのち、共通の言語や文化によって、国の建設がスムーズに運び得たのです。  


さらに東の方のロシアやウクライナといった国々になりますと、事態がすこぶる違ってきます。それらの国は、まさに自前の国家を創ろうとしたときに、中に少数民族をたくさん抱え込むといった、ある種の歴史の大きなねじれが起きたわけです。それは本来果たすべきであったロシアあるいはウクライナの国民国家としての成長が、ソビエト社会主義共和国連邦という国家の成立によって、コースがずれていって、そのズレが、いま大きな「悪しき遺産」として残っているのです。(山内昌之「いま、なぜ民族なのか?」1993年ーー学士会講演特集号)




先のシュミットの話に戻れば、岩井克人が《ぼくは日本人は百パーセント、レイシストだと思いますよ》と柄谷との対談で言ってたが、つまりは島国日本は世界に冠たる「民主主義国家」ということだ。今でも移民や難民受け入れが大嫌いな反自由主義的ファシスト国家だ。



岩井)ぼくは日本人は百パーセント、レイシストだと思いますよ。日本のコマーシャルに典型的に出てくるあの白人崇拝というのが、逆方向のレイシズムでしょう。アジア蔑視、白人優越主義の裏返しですよね。もちろん、いろいろな肌の色の有名人も出ますけれど、それは有名人だからなだけです。つまり下士官根性の現われなわけですよね。上に媚びて、下に威張るというね。明治以来、日本は常にそうだったと思うんですね。そして、それと同時に、白人もふくめた意味での外人排斥的なレイシズムもある。(柄谷行人 岩井克人対談集『終わりなき世界』1990)




結局、日本的ムラ社会とは、岩井や柄谷=シュミットに従えば、ファシスト社会に近似する。

日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。〔・・・〕


労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)



丸山真男が示した組織の蛸壺構造や共感の共同体も、きわめて「民主主義的=ファシズム的な」日本的特徴であろう、➡︎「共感の共同体という不可視の牢獄