今回の戦争において、軍事評論家や防衛省研究員の戦況分析はためにはなるが、彼らはもともと戦争や武器が好きなんだろうからーーそもそも若い頃にその原動因がなければ、その研究領野に入り込まないのではないか、ほかに愛国心という要因はあるかもしれないがーー、単純化の謗りを受けるだろうことを引き受けて、敢えて言ってしまえば、彼らの分析には根のところにある筈の戦争好きゆえに危ういところがある。 |
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他方、国際政治学者たちはどうだろうか。これは単純化しては言えない。若い頃から政治学に首を突っ込みたくなる人の元来の気質は、ときに、英雄的な政治家への憧憬もあるだろうが、ときに、或る政治主体への憎悪から始まることもあろう。その他、地政学的関心、宗教的関心、民族的関心、戦争心理学等だけでなく、実に多様な領野にまたがる。 |
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私は国際政治学全般にはあまり関心がない方だが、とはいえ、いくらかは持っている関心の起源を問うなら、ベトナム戦争とそれに伴った反米である。米国という政治主体への憎悪がある。この意味で私の書くことも偏っており危うい。 |
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今回のロシアのウクライナ侵略で私が見出したのは、現在の中堅国際政治学者たちの多くは、この米国という政治主体への憎悪があまり見られないことであるとともに、かなりの割合の国際政治学者たちがゼレンスキーというウクライナの大統領に同一化する傾向が見られることである。 |
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戦争は有限期間の「過程」である。始まりがあり終わりがある。多くの問題は単純化して勝 敗にいかに寄与するかという一点に収斂してゆく。戦争は語りやすく、新聞の紙面一つでも作 りやすい。戦争の語りは叙事詩的になりうる。 指導者の名が頻繁に登場し、一般にその発言が強調され、性格と力量が美化される。それは 宣伝だけではなく、戦争が始まってしまったからには指導者が優秀であってもらわねば民衆は たまらない。民衆の指導者美化を求める眼差しを指導者は浴びてカリスマ性を帯びる。〔・・・〕民衆には自己と指導層との同一視が急速に行われる。(中井久夫「戦争と平和ある観察」 2005年) |
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「シュミット・フロイト・ファシズム」でも示したが、この戦争指導者との同一化は、私の観点では、最も避けなければならないことである。だが中堅の国際政治学者たちのかなりの割合はその罠に嵌ってしまっており、一般公衆の熱狂との距離がなく、批評精神を失ってしまっているように見える。 この図の究極的な日本様式は「おみこしの熱狂と無責任」である。
前回も何人かの名前を掲げたが、ここでは池内恵、篠田英朗、細谷唯一、中山俊宏、岩間陽子を掲げて、こう言っておこう、ーー「おい、君たち、ダイジョウブかい?」 そうか、そうか、ライトアップか。 ゼレンスキー大統領、11の親ロシアの野党に活動停止命令 Ukrainian President Zelensky Moves Against Kremlin-Linked Parties The Wall Street Journal, 18-20, 2022 あれら国際政治学者諸君に対してこそ活動停止命令が必要かもな
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