このところ2回にわたって、国際安全保障リアリスト派重鎮と呼ばれるシカゴ大学教授ミアシャイマーMearsheimer が指摘する「ロシアのウクライナ侵略」の主要原因を示した。
ボロメオの環で示せばこういうことだ。
上部構造だけを見れば、明らかにウクライナの民主主義を脅かすロシアのヘゲモニー的軍事侵攻が「絶対悪」である。だが下部構造の侵略の原因はそうではないとミアシャイマーは言っているのである。
ラカンのボロメオの環の読み方は種々あるが、最もベースにある読み方は次の通り。
ボロメオの環において、想像界の環(赤)は現実界の環(青)を覆っている。象徴界の環(緑)は想像界の環(赤)を覆っている。だが象徴界自体(緑)は現実界の環(青)に覆われている(支配されている)。これがラカンのトポロジー図の一つであり、多くの臨床的現象を形式的観点から理解させてくれる。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE, DOES THE WOMAN EXIST? 1999) |
そして現実界とは原因のことである。 |
われわれが現実界という語を使うとき、この語の十全な固有の特徴は「現実界は原因である」となる[quand on se sert du mot réel, le trait distinctif de l'adéquation du mot : le réel est cause. ](ジャック=アラン・ミレール J.-A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN - 26/1/2011) |
ウクライナのネオナチ化とは新しい反ユダヤ主義を意味せず、むしろ新しいファシズムを指す。民主化を推し進めれば、ときにファシズムに移行しーーそもそもファシズムの原義は「結束」という意味であるーー、場合によっては、同質性を脅かす異質なものの排除または殲滅に向かう。これがナチスの天才理論家シュミットの洞察である。
ボルシェヴィズムとファシズムとは、他のすべての独裁制と同様に、反自由主義的であるが、しかし、必ずしも反民主主義的ではない。民主主義の歴史には多くの独裁制があった。Bolschewismus und Fascismus dagegen sind wie jede Diktatur zwar antiliberal, aber nicht notwendig antidemokratisch. In der Geschichte der Demokratie gibt es manche Diktaturen, (カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1923年版) |
民主主義に属しているものは、必然的に、まず第ーには同質性であり、第二にはーー必要な場合には-ー異質なものの排除または殲滅である。[…]民主主義が政治上どのような力をふるうかは、それが異邦人や平等でない者、即ち同質性を脅かす者を排除したり、隔離したりすることができることのうちに示されている。Zur Demokratie gehört also notwendig erstens Homogenität und zweitens - nötigenfalls -die Ausscheidung oder Vernichtung des Heterogenen.[…] Die politische Kraft einer Demokratie zeigt sich darin, daß sie das Fremde und Ungleiche, die Homogenität Bedrohende zu beseitigen oder fernzuhalten weiß. (カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1923年版) |
少なくともウクライナの民族主義的勢力が、東ウクライナとくにドンバスで、この民主主義=ファシズムを実践してきたのはまがいようがない。
ゼレンスキー大統領自身、体制批判を続けていた親ロシアのテレビチャンネルを3局、2021年初めに閉鎖させている[参照]。
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※付記
なお柄谷行人やジジェクはボロメオの環を次の形で使っている。
二人は現実界の箇所をマルクス的に資本あるいは経済に当てているのである。
イラクへの攻撃の三つの「真の」理由(①西洋のデモクラシーへのイデオロギー的信念、②新しい世界秩序における米国のヘゲモニーの主張、③石油という経済的利益)は、パララックスとして扱わねばならない。どれか一つが他の二つの真理ではない。「真理」はむしろ三つのあいだの視野のシフト自体である。それらはISR(想像界・象徴界・現実界)のボロメオの環のように互いに関係している。民主主義的イデオロギーの想像界、政治的ヘゲモニーの象徴界、エコノミーの現実界である。[the Imaginary of democratic ideology, the Symbolic of political hegemony, the Real of the economy](ジジェク Zizek, Iraq: The Borrowed Kettle, 2004) |
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ここでの話からいくらか外れるが、ーーボロメオの環は論者によっていろんな使い方があり、基本的には構造論的思考のもとにあり、形式さえ掴んでしまえば要素の変換はいくらでも可能であるーー、フロイトラカンの現実界=エスの原点は身体(欲動の身体)である。 |