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2022年4月29日金曜日

戦前の亡霊が回帰しても堪える他なし


余この頃鳥語装置を眺めるに、岸田内閣や国際政治学者なる種族の米ポチ症状極まれる如く、さらには《余この頃東京住民の生活を見るに、彼等は其生活について相応に満足と喜悦とを覚ゆるものの如く、軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、寧これを喜べるが如き状況なり》(永井荷風「断腸亭日乗」1937年8月24日) 


余あらためて観念する事しきり也。過去の亡霊なるは、危機に際して、悲劇であれ笑劇であれ、必ず回帰することわりを。


ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇[Tragödie]として、二度目はみじめな笑劇[Farce]として、と。〔・・・〕


人間は自分自身の歴史を創るが、しかし、自発的に、自分が選んだ状況の下で歴史を創るのではなく、すぐ目の前にある、与えられた、過去から受け渡された状況の下でそうする。すべての死せる世代の伝統が悪夢のように生きているものの思考にのしかかっている。そして、生きている者たちは、自分自身と事態を根本的に変革し、いままでになかったものを創造する仕事を携わっているように見えるちょうどそのときでさえ、まさにそのような革命的危機の時期に、不安そうに過去の亡霊[Geister der Vergangenheit]を呼び出して自分のたちの役に立てようとし、その名前、鬨の声、衣装を借用して、これらの由緒ある衣装に身を包み、借り物の言葉で、新しい世界史の場面を演じようとしているのである。(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』Der 18te Brumaire des Louis Bonaparte、1852年)




此処にマルクス翁の言葉を羅漢を通して少しく考証をなさんとす。


想定された本能的ステージにおけるどの固着も、何よりもまず歴史のスティグマである。恥のページは忘れられる。あるいは抹消される。しかし忘れられたものは行為として呼び戻される[toute fixation à un prétendu stade instinctuel est avant tout stigmate historique :  page de honte qu'on oublie ou qu'on annule, ou page de gloire qui oblige.  Mais l'oublié se rappelle dans les actes](Lacan, E262, 1953)


ーー《抑圧されたものの回帰は固着点から始まる[Wiederkehr des Verdrängten…erfolgt von der Stelle der Fixierung her]》(フロイト『症例シュレーバー』1911年、摘要)


ラカンは欲動的対象との関係[le rapport à l'objet pulsionnel ]において「抑圧されたもの」のモデルを考えようとした。これが次の凝縮された叙述が意味していることである。《このページは忘れられている。だが行為として呼び戻される[cette page est oubliée mais elle se rappelle dans les actes ]».  (Lacan,E262)これが意味するのは、抑圧されたものの回帰は欲動的享楽に関係する[le retour du refoulé dans le rapport à la jouissance pulsionnelle]ということである。(J.-A. MILLER, L'expérience du réel dans la cure analytique - 3/02/99)


欲動の穴なるものは行為として常に呼び戻される也。ーー《彼らはそれを知らないが、そうする Sie wissen das nicht, aber sie tun es》(マルクス 『資本論』第1篇第1章第4節「商品のフェティシズム的性格とその秘密(Der Fetischcharakter der Ware und sein Geheimnis」)


欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する。…穴は原抑圧と関係がある。il y a un réel pulsionnel […] je réduis à la fonction du trou.[…]La relation de cet Urverdrängt(Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)

現実界は、穴=トラウマをなす[le Réel. …ça fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)


ご覧の通り、戦争トラウマの屁屎尿ノ穢臭の穴は回帰する理あり。


抑圧されたものの回帰は、トラウマと潜伏現象の直接的効果に伴った神経症の本質的特徴としてわれわれは叙述する[die Wiederkehr des Verdrängten, die wir nebst den unmittelbaren Wirkungen des Traumas und dem Phänomen der Latenz unter den wesentlichen Zügen einer Neurose beschrieben haben. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.3, 1939年)


故に戦前の阿呆政治家やら知識人やら大衆やらのお祭り騒ぎと無責任の亡霊が回帰してもやむなきこととして堪える他なし。