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2022年4月25日月曜日

人はみな「歩く抑圧されたものの回帰」

 神の穴」で書いたことは難しいよ、ふつうの人には。日本フロイトラカン派プロパだって難しいかもしれない。だからちょっとラカンを齧っただけの人にはなんのことかわからないのは当たり前。



この表現群は全部「原抑圧=外立=排除」にかかわるということを示したつもりだけれど、ここではもっとずっと前の基本を記すから、これ消化してからまだ問いがあるなら聞いてきてくれるかな。


…………


症状形成の全ての現象は、「抑圧されたものの回帰」として正しく記しうる[Alle Phänomene der Symptombildung können mit gutem Recht als »Wiederkehr des Verdrängten« beschrieben werden.](フロイト『モーセと一神教』3.2.6、1939年)

症状のない主体はない[il n'y a pas de sujet sans symptôme](Colette Soler, Les affects lacaniens , 2011)



まず人はみな歩く抑圧されたものの回帰だよ。これが大前提。ニーチェの永遠回帰だって抑圧されたものの回帰・・・という話はしたらだめだな



もっとも、「抑圧」というのは訳語が悪い。圧するなどという意味はない。


中井久夫)「抑圧」の原語 Verdrängung は水平的な「放逐、追放」であるという指摘があります。とすれば、これをrepression「抑圧」という垂直的な訳で普及させた英米のほうが問題かもしれません。もっとも、サリヴァンは20-30年代当時でも repression を否定し、一貫して神経症にも分裂病にも「解離」(dissociation)を使っています。(「共同討議」トラウマと解離」(斎藤環/中井久夫/浅田彰)批評空間2001Ⅲー1)


ここで中井久夫の言っている神経症の抑圧は、後期抑圧[Nachverdrängung]、分裂病の抑圧が原抑圧[Urverdrängung]である。


われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen (Nachverdrängung) sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


原抑圧は排除と等価。


《原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe]》『症例シュレーバー』1911年

=《排除された欲動 [verworfenen Trieb]》『快原理の彼岸』1920年


したがって原抑圧されたものの回帰とは、排除されたものの回帰[Wiederkehr des Verworfenen]と呼んでもいい。


サリヴァンも解離という言葉を使っていますが、これは一般の神経症論でいる解離とは違います。むしろ排除です。フロイトが「外に放り投げる」という意味の Verwerfung という言葉で言わんとするものです。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)


①原抑圧=排除とは「自我の外のエスに放り投げること」

②後期抑圧は「自我内部の横に追い出すこと」


抑圧という語の本来の意味はこの誰もがやっていること。記憶はその典型で、身体的な忘却とは外に放り投げている、言語的な忘却は横に追い出している。


ラカン語彙でいえば、①が現実界のトラウマの症状(サントーム)、②が象徴界の言語の症状(隠喩としての症状)。


したがって回帰の形式は、①がトラウマの回帰、②が隠喩の回帰。


フロイトにおいてトラウマ=固着であり、①は固着の回帰(反復)と呼んでもよい。


サントームは身体の出来事として定義される[Le sinthome est défini comme un événement de corps](J.-A. MILLER,, L'Être et l'Un, 30/3/2011)

身体の出来事はフロイトの固着の水準に位置づけられる。そこではトラウマが欲動を或る点に固着する[L’événement de corps se situe au niveau de la fixation freudienne, là où le traumatisme fixe la pulsion à un point] ( Anne Lysy, Événement de corps et fin d'analyse, NLS Congrès présente, 2021/01)

サントームは固着の反復である。サントームは反復プラス固着である。[ le sinthome c'est la répétition d'une fixation, c'est même la répétition + la fixation]. (Alexandre Stevens, Fixation et Répétition ― NLS argument, 2021/06)



②の象徴界の症状は、繰り返せば、隠喩の症状。


症状は隠喩である。つまり意味の効果である[Le symptôme est une métaphore, c'est-à-dire, un effet de sens.  ](Jean-Louis Gault , Le parlêtre et son sinthome , 2016)



①は欲動(=享楽)のサントーム、②は欲望の症状。


われわれは症状からサントームへの道を取っている。それはまた、欲望から欲動への道、欠如から穴への道である[nous avons fait le chemin du symptôme au sinthome, qui est aussi un chemin du désir à la pulsion ou du manque au trou] (J.-A. MILLER, Conclusion des Leçons du sinthome, avril 2006)


欲動の穴のリアルな症状とは、トラウマの症状。


現実界は穴=トラウマをなす[le Réel … ça fait « troumatisme ».](Lacan, S21, 19 Février 1974)

欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能に還元する[il y a un réel pulsionnel …je réduis à la fonction du trou](Lacan, Réponse à une question de Marcel Ritter, Strasbourg le 26 janvier 1975)

サントームは現実界・無意識の現実界に関係する[(Le) sinthome,  …ce qu'il a à faire avec le Réel, avec le Réel de l'Inconscient ]  (Lacan, S23, 17 Février 1976)


欲望の欠如のシンボリックな症状は、ファルス(言語・シニフィアン化)の症状。


ファルスはそれ自体、主体において示される欠如の印以外の何ものでもない[  (le) phallus lui-même … n'est rien d'autre que ce point de manque qu'il indique dans le sujet. ](Lacan, LA SCIENCE ET LA VÉRITÉ, E877, 1965)

ファルスの意味作用とは実際は重複語である。言語には、ファルス以外の意味作用はない[Die Bedeutung des Phallus  est en réalité un pléonasme :  il n'y a pas dans le langage d'autre Bedeutung que le phallus.  ](ラカン, S18, 09 Juin 1971)



ファルス化とは欲動の身体のシニフィアン化。


享楽のシニフィアン化をラカンは欲望と呼んだ[la signifiantisation de la jouissance…C'est ce que Lacan a appelé le désir. ](J.-A. Miller, Les six paradigmes de la jouissance, 1999)

ラカンは、享楽によって身体を定義するようになる Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance。(J.-A. MILLER, L'Être et l 'Un, 25/05/2011)


基本的には、現実界=モノ=享楽=エス=サントーム(厳密には欲動的享楽は「神の穴」で記したようにエスの境界表象のポジションにあるがそれはここでは割愛)。


フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976)

フロイトのモノ、これが後にラカンにとって享楽となる[das Ding –, qui sera plus tard pour lui la jouissance]。…フロイトのエス、欲動の無意識。事実上、この享楽がモノである。[ça freudien, l'inconscient de la pulsion. En fait, cette jouissance, la Chose](J.A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009)

ラカンがサントームと呼んだものは、ラカンがかつてモノと呼んだものの名、フロイトのモノの名である[Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens](J.-A.MILLER,, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009)



在庫があるので、これも付け加えておこう。



現実界/象徴界(プラス想像界)は基本的には、レミニサンス[réminiscence]/想起[remémoration]の相違(トラウマの身体のレミニサンスについては初期からフロイトにある[参照])。そしてこれが原抑圧(排除)と通常の抑圧(後期抑圧)の違い。




繰り返せば、

抑圧されたものの回帰[Wiederkehr des Verdrängten]の原点にあるのは、


原抑圧されたものの回帰[Wiederkehr des Ur-Verdrängten]

=排除されたものの回帰[Wiederkehr des Verworfenen]であり、


より具体的には、

原抑圧された欲動の回帰[Wiederkehr des primär verdrängten Triebe]

=排除された欲動の回帰 [Wiederkehr des verworfenen Trieb]


である。


象徴界の欲望とはこの現実界の欲動に対する防衛。


以上、これが基本。