女性の享楽ってのは事実上、超自我の享楽だよ |
症状の享楽は超自我の核である[La jouissance du symptôme …C'est ce nexus-là qu'on a appelé le surmoi. ](J.-A. MILLER, LA CLINIQUE LACANIENNE, 24 MARS 1982) |
ひとりの女とは何か? ひとりの女は症状である![ « qu'est-ce qu'une femme ? » C'est un symptôme ! ](Lacan, S22, 21 Janvier 1975 ) |
この症状は原症状(リアルな症状)であり、別名サントームだ。《ひとりの女はサントームである[ une femme est un sinthome] (Lacan, S23, 17 Février 1976) |
超自我というのは乳幼児の最初の世話役ーー主に母ーーによってなされる身体の上への不変の刻印のことで、これを固着の症状という。 |
症状は刻印である。現実界の水準における刻印である[Le symptôme est l'inscription, au niveau du réel.] (Lacan, LE PHÉNOMÈNE LACANIEN, 30. Nov.1974) |
症状は固着である[Le symptôme, c'est la fixation] (J.-A. MILLER, - Orientation lacanienne III, 10 - 26/03/2008) |
「ひとりの女は症状」ってことは「ひとりの女は刻印」ってことだ、このリアルな刻印が固着だ。幼児の欲動の奔馬を飼い馴らす最初の鞍だ。 実際、フロイトは超自我と固着を結びつけている。 |
超自我が設置された時、攻撃欲動の相当量は自我の内部に固着される[Mit der Einsetzung des Überichs werden ansehnliche Beträge des Aggressionstriebes im Innern des Ichs fixiert ](フロイト『精神分析概説』第2章、1939年) |
で、この超自我への固着が、女ーー事実上、母ーーへの固着。 |
女への固着(おおむね母への固着)[Fixierung an das Weib (meist an die Mutter)](フロイト『性理論三篇』1905年、1910年注) |
超自我=固着=原症状(サントーム)=ひとりの女(≒母)であり、これが女性の享楽の核だ。 |
この超自我=原症状としてのサントームのマテームはS(Ⱥ)。 |
S(Ⱥ)に、フロイトの超自我の翻訳を見い出しうる[S(Ⱥ) …on pourrait retrouver une transcription du surmoi freudien. ](J.-A.MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses Comités d'éthique - 27/11/96) |
シグマΣ、サントームのシグマは、シグマとしてのS(Ⱥ) と記される[c'est sigma, le sigma du sinthome, …que écrire grand S de grand A barré comme sigma] (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001) |
で、このS(Ⱥ)=超自我=サントームというのは斜線を引かれた女性の享楽のマテームだ。 |
S(Ⱥ) にて示しているものは「斜線を引かれた女性の享楽」に他ならない。たしかにこの理由で、私は指摘するが、神はいまだ退出していないのだ。[S(Ⱥ) je n'en désigne rien d'autre que la jouissance de LȺ Femme, c'est bien assurément parce que c'est là que je pointe que Dieu n'a pas encore fait son exit. ](ラカン, S20, 13 Mars 1973) |
「斜線を引かれた」というのは象徴界(言語秩序)の外にある現実界(欲動の身体)にあるということ。このS(Ⱥ)というのは、「エスの形象」を意味する。 |
このS(Ⱥ)が、女なる神という超自我のマテームだ。 |
大他者はない。…この斜線を引かれた大他者のS(Ⱥ)…「大他者の大他者はある」という人間にとってのすべての必要性。人はそれを一般的に神と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである。 [il n'y a pas d'Autre…ce grand S de grand A comme barré [S(Ⱥ)]…La toute nécessité de l'espèce humaine étant qu'il y ait un Autre de l'Autre. C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». ](ラカン, S23, 16 Mars 1976) |
人が一般的に神と呼ぶもの、それは超自我と呼ばれるものの作用である[on appelle généralement Dieu …, c'est-à-dire ce fonctionnement qu'on appelle le surmoi.] (Lacan, S17, 18 Février 1970) |
「神さん」って言うだろ、女性の享楽は「神さんの享楽」のことだよ。神さんが身体に刻印した徴の反復強迫だ。どいつもこいつも両性ともみんなその反復的享楽をやっている。死ぬまで消えない刻印の反復さ。 ラカンが性別化の式で捏ね回した「ファルス享楽/女性の享楽」を今どきマガオでまだ信じて込んでるヤツは、たんにマヌケに過ぎないよ。あれは構造主義に入れ込んだ時期の二次的構築物に過ぎず、フロイトの思考からはかけ離れている。1974年前後からようやく目を覚ましたんだ。 |
もっとも前期ラカンはフロイトやクラインに忠実でまともなこと言ってたときもあったよ |
私の観点では、乳房の取り入れは、超自我形成の始まりである。したがって超自我の核は、母の乳房である[In my view…the introjection of the breast is the beginning of superego formation…The core of the superego is thus the mother's breast, ](Melanie Klein, The Origins of Transference, 1951) |
母の乳房の、いわゆる原イマーゴの周りに最初の固着が形成される[sur l'imago dite primordiale du sein maternel, par rapport à quoi vont se former …ses premières fixations](Lacan, S4, 12 Décembre 1956) |
超自我の核は母の乳房だとクラインが言ってるのを母の乳房への固着と言い直しているんだ。で、翌年、《母なる超自我 ・太古の超自我 、この超自我は、メラニー・クラインが語る「原超自我 」 の効果に結びついている[Dans ce surmoi maternel, ce surmoi archaïque, ce surmoi auquel sont attachés les effets du surmoi primordial dont parle Mélanie KLEIN]》 (Lacan, S5, 02 Juillet 1958)と言う。 実際は、母の乳房には限らずもっと広く「母の身体」ーー母の物質的な意味外の言葉も含むーーだが、この母の身体への固着が超自我の核であり[参照]、男女両性にある女性の享楽だ。 ま、ラカンはしつこく頑張ってフロイトを読んだし、ラカンがいなかったらフロイトなんてとっくの昔に消えてなくなってしまっているということがあるかもしれないけど、いかんせん寄り道が多すぎる。おバカな哲学頭を喜ばせるサービスの部分があるんだろうが、いまでもそれに引っかかったままのボウヤが何人か日本にはいるようだな・・・(以下略) 以上 |
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