芥川龍之介の『侏儒の言葉』はこういう時、ピッタリだなあ |
小児 軍人は小児に近いものである。英雄らしい身振を喜んだり、所謂光栄を好んだりするのは今更此処に云ふ必要はない。機械的訓練を貴んだり、動物的勇気を重んじたりするのも小学校にのみ見得る現象である。殺戮を何とも思はぬなどは一層小児と選ぶところはない。殊に小児と似てゐるのは喇叭や軍歌に鼓舞されれば、何の為に戦ふかも問はず、欣然と敵に当ることである。……(芥川龍之介『侏儒の言葉』) |
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武器 正義は武器に似たものである。武器は金を出しさへすれば、敵にも味方にも買はれるであらう。正義も理窟をつけさへすれば、敵にも味方にも買はれるものである。古来「正義の敵」と云ふ名は砲弾のやうに投げかはされた。しかし修辞につりこまれなければ、どちらがほんとうの「正義の敵」だか、滅多に判然したためしはない。〔・・・〕 武器それ自身は恐れるに足りない。恐れるのは武人の伎倆である。正義それ自身も恐れるに足りない。恐れるのは煽動家の雄弁である。武后は人天を顧みず、冷然と正義を蹂躪した。しかし徐敬業の乱に当り、駱賓王の檄を読んだ時には色を失ふことを免れなかつた。「一抔土未乾六尺孤安在」の双句は天成のデマゴオクを待たない限り、発し得ない名言だつたからである。(芥川龍之介『侏儒の言葉』) |
このところ気持ちが荒んでいて、なに読んでもなに聴いても(音楽を)、ダメだったんだが、『侏儒の言葉』は「世界とはもともとあの程度のものだよ」と言ってくれるようで、そうだな、そうだったな、と一言一句うなずいて読めたね。
暴力 人生は常に複雑である。複雑なる人生を簡単にするものは暴力より外にある筈はない。この故に往往石器時代の脳髄しか持たぬ文明人は論争より殺人を愛するのである。 しかし亦権力も畢竟はパテントを得た暴力である。我我人間を支配する為にも、暴力は常に必要なのかも知れない。或は又必要ではないのかも知れない。 |
政治的天才 古来政治的天才とは民衆の意志を彼自身の意志とするもののやうに思はれてゐた。が、これは正反対であらう。寧ろ政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするもののことを云ふのである。少くとも民衆の意志であるかのやうに信ぜしめるものを云ふのである。この故に政治的天才は俳優的天才を伴ふらしい。ナポレオンは「荘厳と滑稽との差は僅かに一歩である」と云つた。この言葉は帝王の言葉と云ふよりも名優の言葉にふさはしさうである。 又 民衆は大義を信ずるものである。が、政治的天才は常に大義そのものには一文の銭をも抛たないものである。唯民衆を支配する為には大義の仮面を用ひなければならぬ。しかし一度用ひたが最後、大義の仮面は永久に脱することを得ないものである。もし又強いて脱さうとすれば、如何なる政治的天才も忽ち非命に仆れる外はない。つまり帝王も王冠の為にをのづから支配を受けてゐるのである。この故に政治的天才の悲劇は必ず喜劇をも兼ねぬことはない。たとへば昔仁和寺の法師の鼎をかぶつて舞つたと云ふ「つれづれ草」の喜劇をも兼ねぬことはない。 |
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恋は死よりも強し 「恋は死よりも強し」と云ふのはモオパスサンの小説にもある言葉である。が、死よりも強いものは勿論天下に恋ばかりではない。たとへばチブスの患者などのビスケツトを一つ食つた為に知れ切つた往生を遂げたりするのは食慾も死よりは強い証拠である。食慾の外にも数へ挙げれば、愛国心とか、宗教的感激とか、人道的精神とか、利慾とか、名誉心とか、犯罪的本能とか、――まだ死よりも強いものは沢山あるのに相違ない。つまりあらゆる情熱は死よりも強いものなのであらう。(勿論死に対する情熱は例外である。)且つ又恋はさう云ふもののうちでも、特に死よりも強いかどうか、迂濶に断言は出来ないらしい。一見、死よりも強い恋と見做され易い場合さへ、実は我我を支配してゐるのは仏蘭西人の所謂ボヴアリスムである。我我自身を伝奇の中の恋人のやうに空想するボヴアリイ夫人以来の感傷主義である。 |
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輿論 輿論は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たとひピストルを用ふる代りに新聞の記事を用ひたとしても。 又 輿論の存在に価する理由は唯輿論を蹂躙する興味を与へることばかりである。 |
敵意 敵意は寒気と選ぶ所はない。適度に感ずる時は爽快であり、且又健康を保つ上には何びとにも絶対に必要である。 |
危険思想 危険思想とは常識を実行に移さうとする思想である。 |
悪 芸術的気質を持つた青年は、最後に人間の悪を発見する。 |
奴隷 奴隷廃止と云ふことは唯奴隷たる自意識を廃止すると云ふことである。我我の社会は奴隷なしには一日も安全を保し難いらしい。現にあのプラトオンの共和国さへ、奴隷の存在を予想してゐるのは必しも偶然ではないのである。 又 暴君を暴君と呼ぶことは危険だつたのに違ひない。が、今日は暴君以外に奴隷を奴隷と呼ぶこともやはり甚だ危険である。 |
強弱 強者とは敵を恐れぬ代りに友人を恐れるものである。一撃に敵を打ち倒すことには何の痛痒も感じない代りに、知らず識らず友人を傷けることには児女に似た恐怖を感ずるものである。 弱者とは友人を恐れぬ代りに、敵を恐れるものである。この故に又至る処に架空の敵ばかり発見するものである。 |
芸術 〔・・・〕 芸術も女と同じことである。最も美しく見える為には一時代の精神的雰囲気或は流行に包まれなければならぬ。 |
兵卒 理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加へぬことである。即ち理想的兵卒はまづ理性を、失はなければならぬ。 又 理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に責任を負はぬことである。即ち理想的兵卒はまづ無責任を好まなければならぬ。 |
芸術至上主義者 古来熱烈なる芸術至上主義者は大抵芸術上の去勢者である。丁度熱烈なる国家主義者は大抵亡国の民であるやうに――我我は誰でも我我自身の持つてゐるものを欲しがるものではない。 |
女の顔 女は情熱に駆られると、不思議にも少女らしい顔をするものである。尤もその情熱なるものはパラソルに対する情熱でも好い。(芥川龍之介『侏儒の言葉』) |
一字一句しっかりと刻まれてるよ。そしてニーチェをよく読んでたんだろうな、この当時の芥川は。
偶然かもしれないが、例えば《敵意は寒気と選ぶ所はない。適度に感ずる時は爽快であり、且又健康を保つ上には何びとにも絶対に必要である》なら、ーー |
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抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである[Der Einwand, der Seitensprung, das froehliche Misstrauen, die Spottlust sind Anzeichen der Gesundheit:](ニーチェ『善悪の彼岸』154番、1886年) |
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学問の目標について なんだって? 学問の究極の目標は、人間に出来るだけ多くの快楽と出来るだけ少ない不快をつくりだしてやることだって? ところで、もし快と不快とが一本の綱でつながれていて、出来るだけ多く一方のものを持とうと欲する者は、また出来るだけ多く他方のものをも持たざるをえないとしたら、どうか? Vom Ziele der Wissenschaft. ― Wie? Das letzte Ziel der Wissenschaft sei, dem Menschen möglichst viel Lust und möglichst wenig Unlust zu schaffen? Wie, wenn nun Lust und Unlust so mit einem Stricke zusammengeknüpft wären, dass, wer möglichst viel von der einen haben will, auch möglichst viel von der andern haben muss,(ニーチェ『悦ばしき知識』12番、1882年) |
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あるいは《弱者とは友人を恐れぬ代りに、敵を恐れるものである。この故に又至る処に架空の敵ばかり発見するものである》なら、ーー |
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ある意味で、民主主義的社会において最も容易に維持され発展させられることがある。…それは、強者を破滅しようとすること、強者の勇気をなくそうとすること、強者の悪い時間や疲労を利用しようとすること、強者の誇らしい安心感を落ち着きのなさや良心の痛みに変えようとすること、すなわち、いかに高貴な本能を毒と病気にするかを知ることである。 In einem gewissen Sinne kann dieselbe sich am leichtesten in einer demokratischen Gesellschaft erhalten und entwickeln:…Daß es die Starken zerbrechen will, daß es ihren Muth entmuthigen, ihre schlechten Stunden und Müdigkeiten ausnützen, ihre stolze Sicherheit in Unruhe und Gewissensnoth verkehren will, daß es die vornehmen Instinkte giftig und krank zu machen versteht](ニーチェ『力への意志』草稿、 Herbst 1887 - Anfang 1888 ) |
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繰り返せば偶然かも知れず、芥川龍之介は自らの知力でニーチェ同じような洞察をより凝縮した文で書いたのかも知れない。 |
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作家としての彼が、文学史的にいかなる位置を占めるかは、公平なる第三者の判断に委すとして、僕などでも次のことは言えると思う。彼のごとき高い教養と秀れた趣味と、和漢洋の学問を備えた作家は、今後絶無であろう。古き和漢の伝統および趣味と欧州の学問趣味とを一身に備えた意味において、過渡期の日本における代表的な作家だろう。我々の次の時代においては、和漢の正統な伝統と趣味とが文芸に現われることなどは絶無であろうから。 彼は、文学上の読書においては、当代その比がないと思う。…… (菊池寛「芥川の事ども」1927(昭和2)年) |
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