ちょっとある意図があってーー私が比較的信頼してきた反米ネオコンクラスタ内で、その気合いはわかるし予測自体も否定するものではないにしろ、理論的にはとんでもない誤謬が流通している!(いまどき金やオイルを貨幣を裏付けるものとして語ってしまっている)のでーー岩井克人の基軸通貨をめぐる記述を引用列挙する。
◼️基軸通貨と自己循環論法
現在のグローバル資本主義は、米国の貨幣でしかないドルを世界全体の基軸貨幣としているシステムである。それは、すべての貨幣と同様に、世界中の人びとがドルを基軸貨幣として受け取るから世界中の人びとがドルを基軸貨幣として受け取るという、あの究極の美人投票としての自己循環論法によって支えられてい る。
今回のグローバル経済危機が、米国を震源地としたグローバルな危機であるという事実は、 基軸貨幣としてのドルの信用を揺るがせている。それがドル基軸貨幣体制の崩壊を引き起こし、30年代に匹敵する世界大恐慌につながる可能性は今のところ小さいが、消えてしまったわけではない。(岩井克人「グローバル経済危機と 二つの資本主義論」2009年)
|
※ケインズの美人投票論については、この岩井克人の論PDFを参照。
◼️基軸通貨の基本的意味内容
非基軸通貨国は、自国の生産に見合った額の自国通貨しか流通させることはできないのである。それ以上流通させても、インフレーションになるだけである。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』2000年)
|
ここで言う基軸国とは一体どういう意味なのでしょうか?ドルは世界の基軸貨幣です。だが、それは世界中の国々がアメリカと取引するためにドルを大量に保有しているという意味ではありません。ドルが基軸貨幣であるとは、日本と韓国との貿易がドルで決済され、ドイツとチリとの貸借がドルで行われるということなのです。アメリカの貨幣でしかないドルが、アメリカ以外の国々の取引においても貨幣として使われているということなのです。(岩井克人「アメリカに対するテロリストの誤った認識」朝日新聞2001年11月5日)
|
◼️基軸通貨と基軸言語の相同性
|
アメリカは世界で唯一の超大国です。それは世界最強の経済力と軍事力を持っているからだけではありません。いま世界のどの街を訪れても、意思の疎通はすべて英語で可能ですし、代金の支払いもすべてドルで済みます。ホテルに戻ってテレビのスイッチを入れるとCNNニュースが流れ、チャンネルを替えるとハリウッド映画が上映されています。ヨーロッパや日本に閉塞感が漂っている現在、アメリカはますますその存在感を大きくしているのです。
|
だが私は、それにも関わらず、世界がアメリカによって支配されているという世界認識は誤りだと考えます。いま世界の中でアメリカの存在感が突出しているのは、アメリカが世界の「基軸」国としての位置を占めているからにすぎないのです。
では、ここで言う基軸国とは一体どういう意味なのでしょうか?ドルは世界の基軸貨幣です。だが、それは世界中の国々がアメリカと取引するためにドルを大量に保有しているという意味ではありません。ドルが基軸貨幣であるとは、日本と韓国との貿易がドルで決済され、ドイツとチリとの貸借がドルで行われるということなのです。アメリカの貨幣でしかないドルが、アメリカ以外の国々の取引においても貨幣として使われているということなのです。
|
まさに同じことが英語に関してもいえます。英語が基軸言語であるとは、日本人と韓国人、ドイツ人とチリ人の間の対話がアメリカの言語でしかない英語を媒介として行われているということなのです。いやアメリカはいま、貨幣や言語だけでなく、文化や政治や軍事にいたるまで世界の基軸国となっているのです。世界は著しく対称性を欠いた構造をしています。一方には自国の貨幣や言語、さらには文化や政治や軍事がそのまま世界で流通する基軸国アメリカがあり、他方にはアメリカの貨幣や言語や文化や政治や軍事を媒介としてお互い同士の関係を結ぶ他のすべての非基軸国があるのです。
このような基軸国と非基軸国との間の関係は、すべての国に一票をという国連的な平等意識を逆撫でにします。だがそれを支配と従属の関係と見なしてしまうと、事の本質を見失ってしまうのです。(岩井克人「アメリカに対するテロリストの誤った認識」朝日新聞2001年11月5日夕刊)
|
◼️基軸通貨体制がつづく限り、本質的な矛盾はそのままつづく
貨幣が貨幣であるかぎり、その貨幣としての価値はモノとしての価値を大きく上回っている。ましてや、その生産費をはるかに上回っている。そしてそれは、100円硬貨や一万円札を発行している日本政府も、100万円の電子マネーを発行している民間企業も、それぞれ硬貨や紙幣や電子マネーを発行するたびに、その生産費を上回る貨幣の貨幣としての価値がそのままじぶんの利益となることを意味することになる。これは、なんの労力もなく手に入るまさにボロ儲けである。
貨幣の発行者が貨幣の発行によって手に入れるこの利益のことを、一般に「シニョレッジ(seigniorage)」という。それは、貨幣が貨幣であるかぎり、その発行に必然的にともなう利益である。
|
もちろん、グローバル市場経済の貨幣であるドルを発行しているアメリカも、このシニョレッジを多いに享受しているはずである。たとえば日本の円がなんらかの理由で海外にもちだされても、それは日本の製品しか買うことができず、いつかはかならず日本にもどってくることになる。非機軸通貨国は、自国の生産に見合った額の自国通貨しか流通させることはできないのである。(それ以上流通させても、インフレーションになるだけである。)これにたいして、アメリカ政府の発行するドル紙幣やアメリカの銀行が創造するドル預金は、そのまま外国製品の購入に使うことができ、しかもそのようにして外国に支払われたドルの一部は、それがまさに基軸通貨であることによって、タイからロシア、ロシアから韓国、韓国からブラジルへと回遊し続け、アメリカ製品の購入のために戻ってくることはない。アメリカはその分だけ、なんの労力もかけずに、自国で生産されている以上の商品を外国から手に入れたことになるのである。すなわち、基軸通貨として国外で保有されているドルの価値分が、基軸通貨国アメリカがうけとる「シニョレッジ」にほかならない。
|
註)上の議論は、基軸通貨として保有されているドルにはまったく利子率が支払われていないと仮定してある。もし外国によって保有されているドル預金にたいしてアメリカの銀行が利子を支払っているならば、その利子率とほかの通貨の預金に支払われる利子率との差異を現在価値化してものが、シニョレッジとなる。
|
……ドルを基軸通貨とするグローバル市場経済のもとでは、アメリカは自国通貨ドルを多く供給すればするほど、多くのシニョレッジが手に入る仕組みになっているのである。こんなにうまい話はほかにない。
しかし、もしこのシニョレッジの誘惑に負けて、アメリカが実際にドルを過剰に供給しはじめたらどうなるだろうか。そのとき、ドルは暴落をはじめてしまうだろう。〔・・・〕
近年では、国内産業の保護のために意図的にドルの価値を低めに誘導する、危険なゲームを試みたりするまでになっている。皮肉なことに、まさに社会主義という大きな「敵」の消滅が、アメリカからグローベル市場経済の基軸国としての自覚を奪いつつあるのである。そして、アメリカが純債務国に転落した1986年以降は、ドルの過剰発行はたんにシニョレッジを増やすだけではない。それがもたらすドル価値の下落は、対外債務の実質的な負担を軽減するという一石二鳥の効果までもつようになっている。ドル切り下げの誘惑はますます強まっているのである。〔・・・〕
|
いまヨーロッパや日本を中心として、ドルが基軸通貨を独占している体制から、ドルとユーロと円という複数の基軸通貨が共存する体制への移行をめざす動きがある。そしてそれは、1999年にユーロがEUの共通通貨として現実化してから、さらに強くなっている。だが、もしそのような動きが、複数の基軸通貨のあいだの勢力均衡をもとめているのならば、それはもっとも危険な筋書きである。
基軸通貨の問題にたいして、政治における覇権(hegemony)理論や勢力均衡(balance of power)理論を応用することほど愚かなことはない。ドルが基軸通貨であるのは、それが世界中の多くのひとびとに受け入れられているから世界中の多くのひとびとに受け入れられているという、一種の自己循環論法の結果にすぎない。それは、そのドルを発行しているアメリカという国の経済支配力とはかならずしも一対一対応していないのである。もしドル以外の通貨がドルより多くのひとに基軸通貨として受け入れられはじめるならば、さらに多くのひとびとがそれを基軸通貨として使いはじめ、その通貨がただちに基軸通貨という位置を独占してしまうだろう。基軸通貨体制とは、どの通貨であれ、ひとつの通貨が基軸通貨の地位を独占しはじめて安定(balance)するのである。複数の基軸通貨が競合している状態とは、言葉の真の意味での不安定(unbalanced)な状態であり、複数の基軸通貨の勢力均衡などありえない。事実、歴史は、複数の基軸通貨が競合していた時代がいかに不安定な時代であったかを教えている。(註:金と銀とが基軸通貨として共存するいわゆる二十金属本位制(Bimetalism)時代)
|
それだけではない、仮に大混乱のうちに基軸通貨がドルから別の通貨に移行するようなことがあったとしても、それは「ドル危機」を「ユーロ危機」や「円危機」におきかえるだけにすぎない。基軸通貨体制がつづく限り、基軸通貨をめぐる本質的な矛盾はそのままつづくことにならざるをえないのである。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』2000年)
|
◼️資本主義における効率性と安定性との間のもっとも根源的な二律背反 だれでも一万円札を受け取ると嬉しい。 だが、 それは、山羊のように食べたいためでも、福沢諭吉の肖像を眺めたいためでもない。人が貨幣を喜んで受け取るのは、いつかそれを本当の欲しいモノと引き換えに他の人に手渡すためで ある。すなわち、 それは言葉の真の意味での「投機」に他ならない。いや、金融市場の場合は、 そこで投機的に売り買いされる金融商品がどれだけ「派生」的であろうとも、最終的にはどこかで実体的な経済活動とつながっているのに対して、貨幣の場合は、モノとしては何の価値も持たない紙切れや金属片にすぎない。人が貨幣を貨幣として持つのは、意識しているかどうかは別にして、他人に渡すためだけに持つという、 もっとも純粋な「投機」活動なのである。
|
ところで、人が貨幣を受け取るのは、 他人がそれを貨幣として受け取ると予想しているからであるが、他の人がなぜ貨幣を受け取るかというと、やはりモノとして使うためではなく、 誰か他の人が貨幣として受け取ると予想しているからである。皆が貨幣を貨幣として受け取るのは、結局、皆が貨幣として受け取ると予想しているからにすぎない。ここにあるのは、ケインズの美人投票と同じ自己循環論法であり、 しかももっとも純粋な自己循環論法なのである。
|
このように貨幣が投機であるということは、 当然、貨幣にかんしても、バブルやパニックがあることを意味することになる。貨幣のバブルとは、実体経済における恐慌のことである。それは、人々が実際のモノよりも、モノを買う手段でしかない貨幣のほうを欲望するという、皮肉な状態である。 人びとがモノを買わないから、 モノが売れず、企業は雇用を減らし、投資を控える。その結果、人びとの所得が下がり、さらにモノを買わなくなり、モノが売れなくなるという悪循環に陥る。このような不況状態に伴うデフレが、さらなるデフレの予想を引き起こし始めると、 人びとは貨幣を一層ため込み始める。 その極限状態が、だれもモノを買おうとしない恐慌に他ならない。
|
貨幣にかんするパニックとは、逆に、貨幣の価値を人びとが疑い始めることである。はやく貨幣を手離してモノに換えようとすることが、 インフレに火を付け、貨幣価値を下げてしまうという悪循環を生み出す。さらなるインフレが予想されると、 「貨幣からの遁走」が始まってしまう。その極限状態が、誰も貨幣を貨幣として受け入れず、物々交換に戻ってしまうハイパーインフレなのである。
|
貨幣とは、この世にあるすべての商品の交換を可能にする一般的な交換手段である。物々交換経済においては、自分の欲しいモノをもっている人が同時に自分のもっているモノを欲しがっていなければ、交換は不可能である。だが、ひとたび貨幣が導入されると、どのようなモノを持っていても、それを欲している人さえ見つかれば、貨幣と交換に売ることができ、どのようなモノを欲していても、それを手放したい人さえ見つかれば、貨幣と交換に買うことができる。貨幣の存在は、物々交換経済の非効率性をとり除き、人間の交換活動の範囲は時間的にも空間的にも社会的にも飛躍的に拡大することになった。グローバル資本主義という壮大な経済社会システムは、貨幣がなければ、存在しえなかったはずである。だが、まさにその貨幣を持つことが、純粋の投機であることによって、恐慌やハイパーインフレといったマクロ的な不安定性を可能にしてしまうのである。
ここに、資本主義における効率性と安定性との間のもっとも根源的な二律背反が見いだされたことになるのである。(岩井克人「グローバル経済危機と 二つの資本主義論」2009年)
|
◼️お金の起源
■「受け取ってもらえる」の信用がお金をつくる
――「貨幣論」では、「お金とは何か」を論じています。
岩井克人)お金がお金となるのは、他の人も受け取ってくれると予想するから、だれもが受け取る、という自己循環論法です。他人が受け取ってくれれば、お金はお金として通用する。それを疑い始めたら、お金として通用しなくなる。日常的にはほとんど意識していないが、根底では、他の人がお金として受け取ってくれると信じていて、その他の人も他の人が受け取ってくれると信じている。深いところで信じ合っている仕組みに支えられているのです。
|
――お金の起源はどこにあるのでしょうか。
金や銀などの金属、もっと昔は貝などの、多くの人が欲しい商品が貨幣に変わったという「貨幣商品説」や、共同体の長老や王様、政府といった権威が「これを貨幣とする」と決めたという「貨幣法制説」、他にも貸し借りから始まったという説があります。もしかしたら歴史をさかのぼって、「貨幣が生まれた」という瞬間があるかもしれないが、理論的には決定できない。ただ、私が「貝がお金だ」と宣言しても、お金としては使えない。他の人がお金として受け取ってくれるからお金になる、1人や2人ではなく世の中の大多数の人が、貝をお金として受け取ってくれないといけない。
あるとき、何らかの理由で、水が沸騰して蒸気になるような瞬間が、大多数の人が貝をお金として受け取ってくれるようになった瞬間があるわけです。それは商品として価値があるから貨幣として使われるようになったのか、欧州共通通貨ユーロのように法律でバンッと決まったのか。ドルが基軸通貨として使われているのは、ユーロとは違い、きっかけは貨幣商品説と似ています。
|
――似ているというのは?
ドルを基軸通貨としたブレトンウッズ会議の前後、アメリカの国力は圧倒的で、世界中の人がドルを欲しがりました。アメリカの製品・商品が買えるドルが、世界で最も魅力的だったのです。
|
――ドルと金兌換を停止した1971年の「ニクソン・ショック」の後も、ドルは基軸通貨として君臨しています。
それまでドルが基軸通貨として広まっていたのは、それ自体が価値のある金(きん)とつながっていたからで、そのつながりを切れば、ドルは基軸通貨ではなくなると、多くの経済学者が考えていました。それで、ドルを金から切り離し、他の通貨との交換比率は外国為替市場で自由に決まるようになれば、円やマルクのような通常の通貨となると考えたのです。アメリカには当時、世界の資本主義の監督ではなく1人のプレーヤーになりたいという考え方が強かった。ドルを基軸通貨として維持するためには金を準備しておかなければならず、その負担が大変ですし、世界の中央銀行の役割を果たすのは責任が重すぎる、と考えたのです。
でも、アメリカは基軸通貨からおりようとしたのですが、予想に反して、日本とドイツ、ブラジルと韓国との取引でもドルが使われ、結局、貿易や外貨準備の6割ぐらいはドルが使われ続けたのです。ドルは、金との兌換によってでも、アメリカの経済力の強さによってでもなく、どの国の人間も他の国の人間がドルを基軸通貨として受け取ってくれるからだ、という自己循環論法によって基軸通貨であったのだということが明らかになったのです。
|
――2008年の「リーマン・ショック」のとき、これでドルの力が弱まると言われましたが、逆にドルの力が強まりました。
これも同じ理由です。リーマン・ショックの後、中国などいくつかの国が、基軸通貨から引きずりおろそうと揺さぶりをかけたが、世界経済の不安定性によって、結果的にドルが使われる率が増えました。それが貨幣の不思議なところで、アメリカの国力が弱まったらドルの流通が下がると常識的には考えがちだが、そうではなくて、貨幣というのは他の人が使っているから自分も使う、という自己循環論法で動いている。そんな証拠をなんべんも我々は突きつけられているのです。
|
〔・・・〕
|
基軸通貨というのは、一度、基軸通貨になると、かなり長い間、実体と離れて流通する。ただ、ドル基軸通貨体制が永久に続くかというと、アメリカがトランプ大統領のもと、あまり自己中心的に動くと、どこかで破綻する可能性はゼロではない。たとえば、選挙目当ての景気浮上策でドルの供給をどんどん増やしていますが、ドルの価値が乱高下したりすると、日本とブラジルが貿易するときに、ドルではなく円にしておこうとか、そういうふうに考え始めるかもしれない。しかも、大統領の意向で貿易や金融の規制が恣意的に行われるリスクが増えていて、その点で中国と少し似てきている。いくつかの国が考えているうちはいいが、たくさんの国が同時に考え始めたらバタバタといく可能性は皆無ではありません。
その場合、すぐに新しい基軸通貨ができるかは分からない。19世紀後半、イギリスの国力が落ちて、とっくにアメリカに抜かれていたけど、第1次世界大戦まではポンドが基軸通貨として使われ続けていた。第1次世界大戦でほとんどポンドの基軸通貨としての息の根が止められ、基軸通貨がない混乱状態が続いて、それが世界恐慌の一つの原因になったといわれている。第2次世界大戦でヨーロッパが疲弊し、アメリカが圧倒的な国力を持つことになって、ドルが遅ればせながら基軸通貨になった。それを追認したのが、1944年のブレトンウッズ会議です。もしドルが基軸通貨ではなくなったとしても、たとえ中国経済が超巨大になったとしても、すぐにパッと人民元が基軸通貨になるとは限りません。
|
(岩井克人『貨幣論』著者が説く「お金は信用がすべて。だからリブラは最悪だ」2019年)
|
|