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2022年10月9日日曜日

トルストイだけを読み給え

 

若い人々から、何を読んだらいいかと尋ねられると、僕はいつもトルストイを読み給えと答える。すると必ずその他には何を読んだらいいかと言われる。他に何にも読む必要はない、だまされたと思って「戦争と平和」を読み給えと僕は答える。だがかつて僕の忠告を実行してくれた人がない。実に悲しむべきことである。あんまり本が多過ぎる、だからこそトルストイを、トルストイだけを読み給え。文学において、これだけは心得て置くべし、というようなことはない、文学入門書というようなものを信じてはいけない。途方もなく偉い一人の人間の体験の全体性、恒常性というものに先ず触れて充分に驚くことだけが大事である。(小林秀雄「トルストイを読み給え」1951年、小林秀雄全作品第19集所収)


最近の人はどうなんだろ、『戦争と平和』を読んでいるのだろうか。一度か二度は読んでいるーー読み流しているーーのかもしれない。だがあの小説は、人生の折に触れて再三読む「べき」小説だよ。戦争と平和を再読したまえ!



カンブルメール夫人が、「再読すべきだわ、ショーペンハウアーが音楽について述べていることを」といっているのを耳にはさむと、彼女はげしい口調でこう言いながらその文句に私たちの注意をうながした「再・読とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない、だまそうとしたってだめなの、私たちを」老アルボンはゲルマントの才気の形式の一つを認めてにっこりした。

comme Mme de Cambremer disait : « Relisez ce que Schopenhauer dit de la musique », elle nous fit remarquer cette phrase en disant avec violence : « Relisez est un chef-d'œuvre ! Ah ! non, ça, par exemple, il ne faut pas nous la faire. » Alors le vieux d'Albon sourit en reconnaissant une des formes de l'esprit Guermantes.

(プルースト「見出された時」)




ところで、1915年生まれ、1980年に自動車事故であっけなく死んでしまったロラン・バルトは、1978年の講演で、「私の人生の半ば」という表現を口にしながら、次のように語っている。


今、私の人生の半ば、私の個人的なものの頂点にあって、二つの本の読み方を再発見したのです(実は、いく度も読み返すので、正確にいつとはいえないのですが)。第一は、残念ながら、もう書かれることのないような大小説、トルストイの『戦争と平和』です。今、お話するのは作品についてではなく、それから受ける衝撃についてです。この衝撃は、私にとって、ボルゴンスキ老公爵の死で、彼が娘のマリアに語りかける最後の言葉で、死が迫って、愛の言葉(おしゃべり)を一度も交わすことなく愛し合っていたこの二人が引き裂かれ、どっと愛情がほとばしる所で、頂点に達します。第二は、『失われた時』の、祖母の死のエピソードです(この作品はこの講演の最初の部分とは別の資格でここに登場します。私は、今度は、作家にではなく、「話者」に同一化しています)。これはこの上なく純粋な物語です。私が申し上げたいのは、ここでは、苦しみが(『失われた時』の他のエピソードとは逆に)注釈を加えられていないだけに、そして、やがて来る、永久に引き裂こうとする死の残忍さが、シャンゼリゼのあずまやへの立ち寄りとか、フランソワーズに髪をとかしてもらって揺れる哀れな頭といった間接的な事物や事件を通してしか語られないだけに、純粋であるということです。


C'est ici, à ce milieu de mon chemin, à cette cime de mon particulier, que j'ai retrouvé deux lectures (à vrai dire, faites si souvent que je ne puis les dater). La première est celle d'un grand roman, comme, hélas, on n'en fait plus: Guerre et paix de Tolstoï. Je ne parle pas ici d'une œuvre, mais d'un bouleversement; ce bouleversement a pour moi son sommet à la mort du vieux prince Bolkonski, aux derniers mots qu'il adresse à sa fille Marie, à l'explosion de tendresse qui, sous l'instance de la mort, déchire ces deux êtres qui s'aimaient sans jamais tenir le discours (le verbiage) de l'amour. La seconde lecture est celle d'un épisode de La Recherche (cette œuvre intervient ici à un tout autre titre qu'au début de cette conférence : je m'identifie maintenant au Narrateur, non à l'écrivain), qui est la mort de la grand-mère; c'est un récit d'une pureté absolue; je veux dire que la douleur y est pure, dans la mesure où elle n'est pas commentée (contrairement à d'autres épisodes de La Recherche) et où l'atroce de la mort qui vient, qui va séparer à jamais, n'est dit qu'à travers des objets et des incidents indirects: la station au pavillon des Champs-Elysées, la pauvre tête qui balance sous les coups de peigne de Françoise.

(ロラン・バルト《長い時にわたって、私は早くから寝たものだ》1978年)

Roland Barthes, « Longtemps, je me suis couché de bonne heure», 1978




なぜ62歳のバルトにとって、人生の半ばなのか。それはこの年が1977年10月25日の母の死の翌年だからだ。



年齢というのは、年代的与件、年月の連鎖であるとしても、それはほんの部分的でしかありません。途中、ところどころに、仕切りがあり、水面の高低差があり、揺れがあります。年齢は漸進的なものではありません。突然変異するものです。〔・・・〕私の年齢が潜め、また、動因しようとしている現実的な力はどういうものか。これが、最近、突然生じた問いです。そして、この問いが、今、この時点を《私の人生の道の半ば》としたように思えるのです。

L'âge, faut-il le rappeler - mais il faut le rappeler, tant chacun vit avec indifférence l'âge de l'autre, l'âge n'est que très partiellement un donné chronologique, un chapelet d'années; il y a des classes, des cases d'âge : nous parcourons la vie d'écluse en écluse; à certains points du parcours, il y a des seuils, des dénivellations, des secousses; l'âge n'est pas progressif, il est mutatif: (…) quelles sont les forces réelles que mon âge implique et veut mobiliser? Telle est la question, surgie récemment, qui, me semble-t-il, a fait du moment présent le « milieu du chemin de ma vie ».


なぜ今なのでしょうか。

《残された時間が少ない》、明確でなくとも、不可逆的な秒読みが始まる時が来るものです(これこそ意識の問題です)。人は自分が死ぬものであることを知っていました(人の話が聞けるようになった時から、そう教え込まれてきました)。それが、突然、自分が死ぬものであると感ずるのです(これは自然な感情ではありません。 自然なのは自分は死なないと思うことです。だから、不注意による事故が沢山起こるのです)。この明白な真理が実感されると、世界の光景が一変します。私は、否応なしに、一つの仕切りの中に自分の仕事を収めなければなりません。その仕切りの輪郭は不明確ですが、しかし、私はそれが有限であることを知っています(新たな意識です)。つまり、最後の仕切りなのです。あるいは、むしろ、仕切りがはっきり眼に見えてきたから、もう《仕切りの外》はないからこそ、私がそこに収める仕事は一種の荘厳さを帯びてくるのです。 病身で、死に脅かされていた(あるいは、そう思っていた)プルーストのように、私たちは、『サント=ブーヴに反対する』の中にやや不正確ながら引用されている聖ヨハネの言葉、《光のある間に働け》を改めて思い起こすのです。


Pourquoi aujourd'hui ?


Il arrive un temps (c'est là un problème de conscience) où « les jours sont comptés » : commence un compte à rebours flou et cependant irréversible. On se savait mortel (tout le monde vous l'a dit, dès que vous avez eu des oreilles pour entendre); tout d'un coup on se sent mortel (ce n'est pas un sentiment naturel; le naturel, c'est de se croire immortel; d'où tant d'accidents par imprudence). Cette évidence, dès lors qu'elle est vécue, amène un bouleversement du paysage: il me faut, impérieusement, loger mon travail dans une case aux contours incertains, mais dont je sais (conscience nouvelle) qu'ils sont finis: la dernière case. Ou plutôt, parce que la case est dessinée, parce qu'il n'y a plus de «hors case », le travail que je vais y loger prend une sorte de solennité. Comme Proust malade, menacé par la mort (ou le croyant), nous retrouvons le mot de saint Jean cité, approximativement, dans le Contre Sainte-Beuve : « Travaillez pendant que vous avez encore la lumière. »

(ロラン・バルト《長い時にわたって、私は早くから寝たものだ》1978年)



《残された時間が少ない》んだよ、バルトの話ではなく私の話だ。母は私が24歳のとき50歳で死んでいるので、1905年に母が死んだ34歳のプルーストのようにでもなく、ましてや62歳のバルトのように「人生の半ば」なんて思ったことはないが、人生の大半を騙されていたという気分に強烈に襲われたこの2022年だな。とくに1990年ーー当時32歳だったーー以降だな、元から悪いにおいはしていたんだが、なんとなくやりすごしていたんだ。それがまがいようもなく鮮明化されたのがこの2022年だ。高橋悠治がこの6月の水牛だよりで、《グローバリズムは1990年代から潮が引いて、民主主義は Change! と唱えながら、 クーデターと暗殺と買収の別名になったようだ。歴史は海から大陸へ、西から東へ移っていくのか》と言っているが、この感慨を今ごろ如実に感じたよ。おい、若いの、お前らあのネオコンなんとかしろ、そうしないと君たちの未来はないぜ。ボクぐらいの齢になるとな、金子光晴の心境にならないでもないんだが、きみらはまだ違うだろ?



おもうふこと。―あゝ、けふまでのわしの一生が、

そっくり騙されてゐたとしてもこの夕栄のうつくしさ    金子光晴



この年になって、もっとしっかり女性器を見ておくんだった、と後悔している。目もだいぶみえなくなってきたが、女性器の細密画をできるだけ描いてから死にたい。(金子光晴、79歳 死の前年(吉行淳之介対談集『やわらかい話』より)