そうそう、重要なのは愛だよ、それでよろしい。人間ってのは根のところでは、核爆弾が落ちて世界が滅びようと、基軸通貨ドル崩壊で世界大恐慌に陥ろうと、何処かの遠い国で犬コロのように人が殺され続けていようと知ったことじゃない。そういうもんさ。
で、愛とは男も女も女たちを愛することだ。これは異性愛でも同性愛でも同じだ。
定義上異性愛とは、おのれの性が何であろうと、女たちを愛することである。それは最も明瞭なことである[Disons hétérosexuel par définition, ce qui aime les femmes, quel que soit son sexe propre. Ce sera plus clair.] (LACAN, L'étourdit, AE467, le 14 juillet 72) |
同性愛において見られる数多くの痕跡がある。何よりもまず、母への深く永遠な関係である[Il y a un certain nombre de traits qu'on peut voir chez l'homosexuel. On l'a dit d'abord : un rapport profond et perpétuel à la mère. ](Lacan, S5, 29 Janvier 1958) |
この物珍しく言及されることの多いラカンの発言は既にフロイトにある(参照)。
例えば、異性愛の女たちが男を愛しているように見えるのはあれは嘘で、男に愛される自分自身を愛しているに過ぎない。つまり自己愛(ナルシシズム)、ときに自体性愛(自己身体愛=原ナルシシズム)に過ぎない。究極の自体性愛とは女性器愛あるいは母胎愛だ。
そもそも母への愛というが、実は母胎愛の代理だ、《心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている。[Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation.]》(フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)
男性の同性愛者は母への固着が強烈であり、母への愛に最も忠誠な者だ。彼らにとって他の女を愛することは母への裏切り行為であり、だから代わりに男を愛してる。
少なくともこれがフロイトラカンの愛の理論だね。
他にもミソジニーの男たちは、女たちへの強い愛の裏返しであり、連中は日々、その強烈な愛を告白しているに過ぎない。 |
愛は非常にしばしば「アンビヴァレンツ」に、つまり同一の対象にたいする憎悪衝動をともなって現れる[Liebe …daß sie so häufig »ambivalent«, d. h. in Begleitung von Haßregungen gegen das nämliche Objekt auftritt.] (フロイト『欲動とその運命』1915年) |
これはツイッターなんかで観察してるとすぐわかるよ。
いずれにせよ愛とは次の三種類しかない。
①愛する-憎む[lieben–hassen]
②愛する-愛される[lieben–geliebt ]
③愛憎-無関心[lieben und hassen-Indifferenz」
ーーフロイト『欲動とその運命』1915