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2023年1月11日水曜日

誰もが知っている「男女の愛の相違」

 

ボクは何回も言っているつもりだがな、重要なのは男の愛と女の愛は異なることだよ



男の愛と女の愛は、心理的に別々の位相にある、という印象を人は抱く[Man hat den Eindruck, die Liebe des Mannes und die der Frau sind um eine psychologische Phasendifferenz auseinander.](フロイト『新精神分析入門講義』第33講「女性性 Die Weiblichkeit」 1933年)



で、フロイトの思考の下では、女は主にナルシシズム(自己愛)、男は対象愛だ。


◼️女の愛におけるナルシシズムあるいはエディプスコンプレクス

われわれは女性性には(男性性に比べて)より多くのナルシシズムがあると考えている。このナルシシズムはまた、女性による対象選択に影響を与える。女性には愛するよりも愛されたいという強い要求があるのである。

Wir schreiben also der Weiblichkeit ein höheres Maß von Narzißmus zu, das noch ihre Objektwahl beeinflußt, so daß geliebt zu werden dem Weib ein stärkeres Bedürfnis ist als zu lieben.〔・・・〕

もっとも女性における対象選択の条件は、認知されないまましばしば社会的条件によって制約されている。女性において選択が自由に行われる場では、しばしば彼女がそうなりたい男性というナルシシズム的理想にしたがって対象選択がなされる。もし女性が父への結びつきに留まっているなら、つまりエディプスコンプレクスにあるなら、その女性の対象選択は父タイプに則る。

Die Bedingungen der Objektwahl des Weibes sind häufig genug durch soziale Verhältnisse unkenntlich gemacht. Wo sie sich frei zeigen darf, erfolgt sie oft nach dem narzißtischen Ideal des Mannes, der zu werden das Mädchen gewünscht hatte. Ist das Mädchen in der Vaterbindung, also im Ödipuskomplex, verblieben, so wählt es nach dem Vatertypus. (フロイト『新精神分析入門』第33講「女性性」1933年)


ーー《ナルシシズムあるいは自己愛[ »Narzißmus« oder Selbstliebe ]》(フロイト『自己を語る』1925年)



根にある核心はオメコのありなしだ。そんなことは人はみな知っているんじゃないかね、ハッキリ口に出していう人が少ないだけで。



◼️男の対象愛(アタッチメント型)と女のナルシシズム(女性器への愛)

男性と女性とを比較してみると、対象選択の類型に関して両者のあいだに、必ずというわけではもちろんないが、いくつかの基本的な相違の生じてくることが分かる。アタッチメント型[Anlehnungstypus]にのっとった完全な対象愛[volle Objektliebe]は、本来男性の特色をなすものである。このような対象愛は際立った性的過大評価をしているが、これはたぶん小児の根源的ナルシシズム[ursprünglichen Narzißmus に由来し、したがって性対象への転移に対応するものであろう。

Die Vergleichung von Mann und Weib zeigt dann, daß sich in deren Verhältnis zum Typus der Objektwahl fundamentale, wenn auch natürlich nicht regelmäßige, Unterschiede ergeben. Die volle Objektliebe nach dem Anlehnungstypus ist eigentlich für den Mann charakteristisch. Sie zeigt die auffällige Sexualüberschätzung, welche wohl dem ursprünglichen Narzißmus des Kindes entstammt und somit einer Übertragung desselben auf das Sexualobjekt entspricht.〔・・・〕

女性の場合にもっともよくみうけられ、おそらくもっとも純粋一で真正な類型と考えられるものにあっては、その発展のぐあいがこれとは異なっている。ここでは思春期になるにつれて、今まで潜伏していた女性の性器[latenten weiblichen Sexualorgane]が発達するために、根源的ナルシシズム[ursprünglichen Narzißmus ]の高まりが現われてくるように見えるが、この高まりは性的過大評価をともなう正規の対象愛を構成しがたいものにする。

Anders gestaltet sich die Entwicklung bei dem häufigsten, wahrscheinlich reinsten und echtesten Typus des Weibes. Hier scheint mit der Pubertätsentwicklung durch die Ausbildung der bis dahin latenten weiblichen Sexualorgane eine Steigerung des ursprünglichen Narzißmus aufzutreten, welche der Gestaltung einer ordentlichen, mit Sexualüberschätzung ausgestatteten Objektliebe ungünstig ist. 


彼女が求めているものは愛することではなくて、愛されることであり、このような条件をみたしてくれる男性を彼女は受け入れるのである[Ihr Bedürfnis geht auch nicht dahin zu lieben, sondern geliebt zu werden, und sie lassen sich den Mann gefallen, welcher diese Bedingung erfüllt. ](フロイト『ナルシシズム入門』第2章、1914年)



◼️男女両性の愛の基盤にある原ナルシシズム(一次ナルシシズム)

人間は二つの根源的な性対象を持つ。すなわち、自分自身と世話をしてくれる女性である。この二つは、対象選択において最終的に支配的となるすべての人間における原ナルシシズムを前提にしている[der Mensch habe zwei ursprüngliche Sexualobjekte: sich selbst und das pflegende Weib, und setzen dabei den primären Narzißmus jedes Menschen voraus, der eventuell in seiner Objektwahl dominierend zum Ausdruck kommen kann. ](フロイト『ナルシシズム入門』第2章、1914年)



◼️出生とともに喪われた原ナルシシズム(喪われた子宮内生活)

自我の発達は原ナルシシズムから距離をとることによって成り立ち、自我はこの原ナルシシズムを取り戻そうと精力的な試行錯誤を起こす[Die Entwicklung des Ichs besteht in einer Entfernung vom primären Narzißmus und erzeugt ein intensives Streben, diesen wiederzugewinnen.](フロイト『ナルシシズム入門』第3章、1914年)

人は出生とともに絶対的な自己充足をもつナルシシズムから、不安定な外界の知覚に進む[haben wir mit dem Geborenwerden den Schritt vom absolut selbstgenügsamen Narzißmus zur Wahrnehmung einer veränderlichen Außenwelt  (フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)

喪われた子宮内生活 verlorene Intrauterinleben](フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)



◼️原ナルシシズムの原像=享楽の原像=子宮内生活

子宮内生活は、まったき享楽の原像である。原ナルシシズムはその始まりにおいて、自我がエスから分化されていない原状態として特徴付けられる。

La vie intra-utérine est l'archétype de la jouissance parfaite. Le narcissisme primaire est, dans ses débuts, caractérisé par un état anobjectal au cours duquel le moi ne s'est pas encore différencié du ça.  (Pierre Dessuant, Le narcissisme primaire, 2007)

子宮内生活は原ナルシシズムの原像である[la vie intrautérine serait le prototype du narcissisme primaire (Jean Cottraux, Tous narcissiques, 2017)




原ナルシシズム(一次ナルシシズム)の別名は自体性愛(自己身体愛)だが、究極の自己身体とは喪われた母の身体のこと[参照]。



後期フロイト(おおよそ1920年代半ば以降)において、「自体性愛/ナルシシズム」は、「一次ナルシシズム/二次ナルシシズム」におおむね代替されている。Im späteren Werk Freuds (etwa ab Mitte der 20er Jahre) wird die Unter-scheidung »Autoerotismus – Narzissmus« weitgehend durch die Unterscheidung »primärer – sekundärer Narzissmus« ersetzt.(Leseprobe aus: Kriz, Grundkonzepte der Psychotherapie, 2014)




自己愛をフロイトは二次ナルシシズム[sekundärer Narzißmus]自我のナルシシズム[ Narzißmus des Ichs]とも言っており、ラカン派語彙では、この自己愛としての二次ナルシシズムは想像界、自体性愛(一次ナルシシズム)は現実界だ(対象愛は象徴界の欲望)。



以下、ラカンからもいくつか。


◼️現実界の享楽の対象=喪われた胎盤

享楽は現実界にある。現実界の享楽である[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel](Lacan, S23, 10 Février 1976)

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976)

享楽の対象としてのモノは、快原理の彼岸にあり、喪われた対象である[Objet de jouissance …La Chose…au niveau de l'Au-delà du principe du plaisir…cet objet perdu](Lacan, S17, 14 Janvier 1970、摘要)

モノの中心的場に置かれるものは、母の神秘的身体である[à avoir mis à la place centrale de das Ding le corps mythique de la mère], (Lacan, S7, 20  Janvier  1960)

例えば胎盤は、個人が出産時に喪なった己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象の象徴である[le placenta par exemple …représente bien cette part de lui-même que l'individu perd à la naissance, et qui peut servir à symboliser l'objet perdu plus profond.  ](Lacan, S11, 20 Mai 1964)


享楽の対象=欲動の対象であり、フロイトにとっての究極の欲動の対象は母胎。



◼️喪われた母胎と母胎回帰欲動

母なる対象の喪失[Verlust des Mutterobjekts] (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

出産行為をはっきりした切れ目と考えるよりも、子宮内生活と原幼児期のあいだには連続性があると考えるべきである[Intrauterinleben und erste Kindheit sind weit mehr ein Kontinuum, als uns die auffällige Caesur des Geburtsaktes glauben läßt]。心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な母胎内状況の代理になっている[Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation.  ](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である[Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, ](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, …eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)





このあたりは、大衆向けの通俗解説書の記述とほとんど変わらない「一般常識」だよ。

多くの学者が指摘しているが、西洋の究極の性のシンボル、ハートは、ヴァギナを表したものにほかならない。確かに生殖器が興奮し、自分の意志で陰唇が開いた状態にあるとき、ヴァギナの見える部分の輪郭は紛れもなくハートの形をしている。(キャサリン・ブラックリッジ『ヴァギナ 女性器の文化史 』2005 年)