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2023年1月26日木曜日

クチナシとサンザシ

 谷中一丁目に「くちなしの小径」があるそうだ。



私は学生時代、谷中のそばに2年ほど住んで、あの界隈をしばしば散歩したのだが知らなかったね。



いやあいい匂いがするんだろうな、花の季節に歩いたら。

どのあたりかと調べてみたら、次の地図の「ヒマラヤ杉」のそばらしい。




私が下宿していた学生寮は、地下鉄根津駅をこの地図の左下に言問通りの坂を上がって南側の路地に入った東大本郷の裏手にある弥生町という処だった。誤解を招かないように言っておけば、私は東京大学とはまったく縁がなく、故郷の町の友人の祖父が東大生向けに、四畳半の部屋が二十何室ある古風な寮を運営しており、友人と私だけが非東大生の身分で住んでいたという所以がある。風呂はなく便所や洗面所も共有で、根津駅の角近くに銭湯があったので、その界隈をしばしばうろついた(銭湯への近道として東大工学部の構内を通ることが多かったが、そこにも何本かのクチナシが植えてあった)。晩飯も近辺の一膳飯屋で食うことが多く、さらに谷中霊園に行く途中の生垣が続く路地を好んだりした。洋風建の洒落た家から可憐な少女が出てきて互いに立ち止まって見つめあう、というか私の眼差しの強度に少女が驚いて彼女もその場に釘付けになったという風に言ったほうがいいか。そのときの少女の顔は今でもひどく印象深い。後にプルーストを読んだとき、ああ、あの少女がここにいると思ったものだ。


《突然私は立ちどまった、もう動けなかった、あたかもある視像が、ただわれわれのまなざしに呼びかけるばかりでなく、もっと深い知覚を要求し、われわれの全存在を手中におさめてしまうときのように。赤茶けたブロンドの女の子が一人散歩がえりのような恰好で、園芸用のシャベルを手にし、ばら色のそばかすがちらばった顔をあげて、私たちを見つめているのであった。》(プルースト「スワン家のほうへ」)



さて、少しだけ北に向かえば「クチナシの小径」に行き当たったんだが、そっちのほうは足が向かず、言問通りを上野動物園や芸大の方に向うほうが多かった。そのあたりは温泉マーク付きの連れ込み旅館が何軒かあり、玄関でいささか居心地にわるい数分を過ごした思出がある。「ごめんください」と何度も呼んでも音沙汰がなく、傍らの女友達と互いに顔を見交わせて、さてどうしよう、ひきかえそうか、あるいは、別の客が入ってくるんじゃないか、などと背後の引戸の向うの気配にさえ敏感になって、冷汗が滲んだ何分かの後に、廊下を近づいてくる足音がきこえて、遣手婆風の渋い和服をきた初老の女が現われ、こちらの顔をじろりと見回しながら丁寧な挨拶をされるのにビビッってしまうなどという具合だった。





《旅館の玄関に立って、案内を乞うと、遠くで返事だけがあってなかなか人影が現れてこなかった。少女と並んで三和土に立って待っている時間に、彼は少女の軀に詰まっている細胞の若さを強く感じた。そして、自分の細胞との落差を痛切に感じた。少女の頸筋の艶のある青白さを見ると、自分の頸の皮が酒焼けで赤黒くなっており、皮がだぶついているような気持になった。》(吉行淳之介『砂の上の植物群』)


もっとも吉行の記述とは異なり、傍の少女だけでなく当時の私の細胞もすぐさま弾けそうであり、「2時間休憩」という短い時のあいだに3回ほどは細胞のエキスが羽搏いた。



ところでクチナシとサンザシはどう違うんだったか。






どっちも美しい花だが、クチナシのほうは葉肉が厚く雄蕊もしっかりしていてほどよく成熟した女って感じだ、サンザシのほうは《そばかすがちらばった顔》のジルベルト、あるいは散らされた処女かも(仏語のさんざし[aubepine]は、aubeーー東の空が白むころ、「夜明け」ーーを含意している)。





「サンザシの小径」ってのはないのかね、検索しても出てこないな。「クチナシの小径」はよさそうに見えてその濃密さに飽きがくるんじゃないか(いや、精力を吸い取られそうな花ってのかな)。サンザシの処女だったらいくらたくさん咲いてても大丈夫さ、《私はその小道がさんざしの花の大群で一面にうなりをあげながら匂っているのを見出した[Je le trouvai tout bourdonnant de l'odeur des aubépines]》(プルースト「スワン家のほうへ」)


あの当時は「記憶の固着」とでもいうべき出来事がいくつかある(すべて女との遭遇に関わる)。

きょう私が目にしてきた人たちのすべてを、そしてジルベルト自身をも、変えてしまった歳月の作用は、いま生きのこっている少女たちのすべてを、アルベルチーヌが死んでしまっていなかったら彼女をもふくめて、私の思出とはあまりにもちがった女たちにしてしまったことは確実だった。私は自分ひとりで元の彼女らに到達しなくてはならない苦しみを感じた、なぜなら、人間たちを変化させる時も、われわれが記憶にとどめている彼らのイマージュを変更することはない。人間の変質と記憶の固着[la fixité du souvenir]とのあいだの対立ほど痛ましいものはない。そんな対立に気づくとき、われわれは否応なく納得させられるのだ、記憶のなかにあれほどの新鮮さを残してきたひとが、実生活ではもはやそれをもちこたえることができないのを、そしてわれわれの内部であのように美しく見えるひと、もう一度会いたいというそれも非常に個人的な欲望をわれわれのなかにそそりたてるひと、そういうひとに外部に近づくことができるには、いまそれとおなじ年齢のひと、すなわち別人のなかに、そのひとを求めるよりほかはないのを。

L'action des années qui avait transformé tous les êtres que j'avais vus aujourd'hui, et Gilberte elle-même, avait certainement fait de toutes celles qui survivaient, comme elle eût fait d'Albertine si elle n'avait pas péri, des femmes trop différentes de ce que je me rappelais. Je souffrais d'être obligé de moi-même à atteindre celles-là, car le temps qui change les êtres ne modifie pas l'image que nous avons gardée d'eux. Rien n'est plus douloureux que cette opposition entre l'altération des êtres et la fixité du souvenir, quand nous comprenons que ce qui a gardé tant de fraîcheur dans notre mémoire n'en peut plus avoir dans la vie, que nous ne pouvons, au dehors, nous rapprocher de ce qui nous parait si beau au dedans de nous, de ce qui excite en nous un désir, pourtant si individuel, de le revoir, qu'en le cherchant dans un être du même âge, c'est-à-dire d'un autre être.

(プルースト「見出された時」)


くちなしとさんざしは西脇順三郎の花樹でもある。


くちなしの藪がしげる窓

からのぞいてみた。


ーー「梅のにがさ」



青ざめた旅人は

片目を細くして

破れたさんざしの生垣の

穴をのぞいている


ーー「坂の五月」


閑話休題するが? 重要なのは、破れてしまったさんざしの穴、散ってしまったさんざしの薮さ。


突然、幼時のある甘美な回想に胸を打たれて、私は小さな窪道のなかに立ちどまった[Tout d'un coup dans le petit chemin creux, je m'arrêtai touché au cœur par un doux souvenir d'enfance : ]、私は気づいたのであった、ふちの切れこんだ、色つやの美しい葉の、しげりあって、道ばたにのびでているのが、さんざしのしげみだということに、それは春のおわりもとっくに過ぎて、ああ、その花も散ってしまったさんざしのしげみなのであった。私のまわりには、昔のマリアの月や、日曜日の午後や、忘れられたいろいろな信仰や過失などの雰囲気がただよってきた。私はその雰囲気をとらえたかった。私は一瞬のあいだ立ちどまった、するとアンドレは、私の心をやさしく占って、私がその灌木の葉とひととき言葉を交すのを、そっと見すごしてくれた。私は花たちの消息を、それらの葉にたずねた、そそっかしくて、おしゃれで、信心深い、陽気な乙女たちにも似た、あのさんざしの花たちの消息を。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」)


くもの巣のはる藪をのぞいてもいいことないさ


・・・で、プルーストってのはマドレーヌでもさんざしでも穴の隠喩だよ。そんなのはいい加減もう気づかないとな、ーー《隠喩のみが文体に一種の永遠性を与えることができる[la métaphore seule peut donner une sorte d'éternité au style]》(Marcel Proust, A propos du « style » de Flaubert, 1920)


穴の別名はブラックホールだ、《口の中にマドレーヌをころがす話者、その繰り返し、無意志的回想のブラックホール[Le narrateur mâchouille sa madeleine : redondance, trou noir du souvenir involontaire]》(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「零年ーー顔貌性」1980年)



きらりとひらめく一瞬の持続ーー純粋状態にあるわずかな時間の不動化[…d'immobiliser – la durée d'un éclair – ce qu'il n'appréhende jamais : un peu de temps à l'état pur.]

あのような幸福の身ぶるいでもって、皿にふれるスプーンと車輪をたたくハンマーとに同時に共通な音を私がきいたとき、またゲルマントの中庭の敷石とサン・マルコの洗礼堂との足場の不揃いに同時に共通なもの、その他に気づいたとき、私のなかにふたたび生まれた存在は、事物のエッセンスからしか自分の糧をとらず、事物のエッセンスのなかにしか、自分の本質、自分の悦楽を見出さないのである。 

L'être qui était rené en moi quand, avec un tel frémissement de bonheur, j'avais entendu le bruit commun à la fois à la cuiller qui touche l'assiette et au marteau qui frappe sur la roue, à l'inégalité pour les pas des pavés de la cour Guermantes et du baptistère de Saint-Marc, cet être-là ne se nourrit que de l'essence des choses, en elles seulement il trouve sa subsistance, ses délices.〔・・・〕

記憶のそんな復活のことを考えたあとで、しばらくして、私はつぎのことを思いついた、――いくつかのあいまいな印象も、それはそれで、ときどき、そしてすでにコンブレーのゲルマントのほうで、あのレミニサンスréminiscencesというやりかたで、私の思想をさそいだしたことがあった、しかしそれらの印象は、昔のある感覚をかくしているのではなくて、じつは新しいある真実、たいせつなある映像をかくしていて、たとえば、われわれのもっとも美しい思想が、ついぞきいたことはなかったけれど、ふとよみがえってきて、よく耳を傾けてきこう、楽譜にしてみようとわれわれがつとめる歌のふしに似ていたかのように、あることを思いだそうと人が努力する、それと同種の努力で私もそうした新しい真実、たいせつな映像を発見しようとつとめていた、ということを。

Cependant, je m'avisai au bout d'un moment et après avoir pensé à ces résurrections de la mémoire que, d'une autre façon, des impressions obscures avaient quelquefois, et déjà à Combray, du côté de Guermantes, sollicité ma pensée, à la façon de ces réminiscences, mais qui cachaient non une sensation d'autrefois, mais une vérité nouvelle, une image précieuse que je cherchais à découvrir par des efforts du même genre que ceux qu'on fait pour se rappeler quelque chose, comme si nos plus belles idées étaient comme des airs de musique qui nous reviendraient sans que nous les eussions jamais entendus, et que nous nous efforcerions d'écouter, de transcrire. (プルースト『見出された時』)


さんざしの小道や薮自体、ブラックホールだよ、ハイデカーの杣径Holzwegeかもね。