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2023年1月6日金曜日

浅田彰なる「正しいおばさん」

 

田中康夫と浅田彰の年末対談《憂国呆談 第6回 》を今頃読んだが、相変わらずすごい情報量だ。Part1からPart6まであって、最後のPart6は「プーチンは魅力的な思想家なのか? ウクライナ問題のリアリティを真面目に考える」と銘打たれている。

ところどころ難癖つけたくなるところが私にはあるのだがーー、とくにラカンに触れているところは限りなくいただけない、浅田は勉強するのをどこかでやめてしまったのだろう、ジジェク的「パンドラの箱」にとどまってしまっている。だが、文句を言えば、これはたんなる「呆談」だよ、と浅田は返す筈だーー、ま、それはさておき彼らが提供する「情報」だけでも充分に読む価値がある、と言っておこう。

・・・とはいえ、である。浅田彰はどうしてしまったのだろう、かつてのキレがなくなってしまっていると感じるのは私だけだろうか。


2000年の段階ではこう言っていた浅田である。

浅田)僕は「湾岸戦争に反対する文学者の署名」に参加していません――「文学者」ではないから。ただ、あのとき見ていて、柄谷さんのようなひとが田中康夫ごときと一緒にやるのが、すごくいいことだと思っていたんです。彼は柄谷さんの理論を何も理解していない・・・。


柄谷)僕もそう思っていますよ(笑)。


浅田)しかし、田中康夫は、自分で記者会見の会場を予約し、記者たちに連絡し、ファックスで情報を流し、中上健次が編集者に「おい、タバコ買って来い」といったら、 「中上さんタバコぐらい自分で買って来なさいよ」という人物です。要するに、正しい「おばさん」のようなひとですよ。柄谷さんのような理論家とああいうひとが呉越同舟でやるというのが、それこそ潜在的にNAM的だったと思う。ただ、ある段階で、柄谷さんはやはり田中康夫のような「俗物」を排し、自分の理論をわかってくれるかに見える忠実な子分のような連中を重視するようになったと僕には見える。そういう傾向が、今回のNAMの成立当初のいろいろなごちゃごちゃにも波及しているのではないかという気もするんですね。(『倫理21』と『可能なるコミュニズム』「シンポジウム」浅田彰・柄谷行人・坂本龍一・山城むつみ、2000年11月27日 於紀伊國屋ホール『NAM生成』所収)



発表媒体のせいもあるのだろうが、浅田彰自身が「正しいおばさん」のようにしか感じられない面が多分にあるのだ、繰り返せば、少なくとも私には。例えば、なぜウクライナロシア紛争における米ネオコン、その軍産複合体の「戦争機械」の相にもっと突っ込んでいかないのか。そうしないのは対談相手が「俗物」のせいだけなのか?


問題は、戦争機械がいかに戦争を現実化するかということよりも、国家装置がいかに戦争を所有(盗用)するかということである [La question est donc moins celle de la réalisation de la guerre que de l'appropriation de la machine de guerre. C'est en même temps que l'appareil d'Etat s’approprie la machine de guerre]〔・・・〕

国家戦争を総力戦にする要因は資本主義と密接に関係している「les facteurs qui font de la guerre d'Etat une guerre totale sont étroitement liés au capitalisme ]。

現在の状況は絶望的である。世界的規模の戦争機械がまるでS Fのようにますます強力に構成されている[Sans doute la situation actuelle est-elle désespérante. On a vu la machine de guerre mondiale se constituer de plus en plus fort, comme dans un récit de science-fiction ;](ドゥルーズ &ガタリ『千のプラトー』「遊牧論あるいは戦争機械』1980年)