音楽はヨーロッパ人に感性を教えたばかりでなく、もろもろの感情と感性的自我を尊ぶ能力をも教えた。〔・・・〕音楽。魂をふくらませるポンプ。異常発達し、並はずれて大きな風船となったいくつもの魂がコンサートホールの天井を下をただよい、信じがたい雑踏のなかでぶつかりあう。 マーラーは、まだ率直に、そして直接にホモ・センチメンタリスに訴えかける最後の大作曲家である。マーラー以後、音楽において感情はうさんくさいものになる。ドビュッシーはわれわれを魅惑しようとはするが、心を揺りうごかそうとはしないし、ストラヴィンスキーは感情を恥じている。(クンデラ『不滅』) |
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メトロポリタンオーケストラ、まだやってんだな、ウクライナ国歌を。
For Ukraine: Ukrainian National Anthem, Met Orchestra; Met Chorus |
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一年前もやっていたが。
近代国家はオーケストラを必要とする オーケストラだけではなく ーー音の静寂静寂の音(2000)高橋悠治 4.20世紀の終わりに |
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わたくしには、人々に雷同する強い傾向があります。わたくしは生れつきごく影響されやすい、影響されすぎる性質で、とくに集団のことについてそうでございます。 J’ai en moi un fort penchant grégaire. Je suis par disposition naturelle extrêmement influençable, influençable à l’excès, et surtout aux choses collectives. |
もしいまわたくしの前で二十人ほどの若いドイツ人がナチスの歌を合唱しているとしたら、わたくしの魂の一部はたちまちナチスになることを、わたくしは知っております。これはとても大きな弱点でございます。けれどもわたくしはそういう人間でございます。生れつきの弱点と直接にたたかっても、何もならないと思います。 Je sais que si j’avais devant moi en ce moment une vingtaine de jeunes Allemands chantant en chœur des chants nazis, une partie de mon âme deviendrait immédiatement nazie. C’est là une très grande faiblesse. Mais c’est ainsi que je suis. Je crois qu’il ne sert à rien de combattre directement les faiblesses naturelles.〔・・・〕 |
わたくしはカトリックの中に存在する教会への愛国心を恐れます。愛国心というのは地上 の祖国に対するような感情という意味です。わたくしが恐れるのは、伝染によってそれに染まることを恐れるからです。教会にはそういう感情を起す価値がないと思うのではありません。 わたくしはそういう種類の感情を何も持ちたくないからです。持ちたくないという言葉は適当ではありません。すべてそういう種類の感情は、その対象が何であっても、いまわしいものであることをわたくしは知っております。それを感じております。 J’ai peur de ce patriotisme de l’Église qui existe dans les milieux catholiques. J’entends patriotisme au sens du sentiment qu’on accorde à une patrie terrestre. J’en ai peur parce que j’ai peur de le contracter par contagion. Non pas que l’Église me paraisse indigne d’inspirer un tel sentiment. Mais parce que je ne veux pour moi d’aucun sentiment de ce genre. Le mot vouloir est impropre. Je sais, je sens avec certitude que tout sentiment de ce genre, quel qu’en soit l’objet, est funeste pour moi. |
(シモーヌ・ヴェイユ書簡--ペラン神父宛『神を待ちのぞむ Attente de Dieu』所収) |
ウクライナ国歌もロシア国歌もとても美しいね。
プーチン大統領 ~ 祖国を守る者たちへの栄光のコンサート (2023年2月22日)フルスピーチ - Glory to Defenders of the Fatherland -(日本語字幕) |
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実によくないね、ひどく魂をふくらませるポンプで。
雨期のダラムサラで
ダライラマ法王と音楽の話をした
音楽は文化に属する
だがブッダの教えは心の訓練で
それはつまり瞑想だ
ブッダの頃は
修行に音楽はなかった
長く引き延ばした声で経文を歌うのは
よいこととは言えない
教えより声の美しさに心が向いてしまうから
教えが他の土地に伝えられ
その土地の文化によって表現されたとき
音楽も礼拝や儀式につかわれるようになった
チベットや中国で
また日本でも
音楽によって
慈悲や平和と非暴力のメッセージを伝えるのはひとつのやりかただ
と法王は言われた
他方では
音楽はひとを戦いに駆り立て
民族主義に引き込むこともある
音楽は人びとの感じ方に影響をあたえることができる
だから
あなたには責任があります
と法王は言われた
とりわけ若い人たちに対しては
ーー高橋悠治 音の静寂静寂の音(2000)
十数年前のこと、十月初旬のモスクワはもう横なぐりの吹雪であった。国際空港は悪天候のために閉鎖された。「今日はここで泊まってくれ」「どこで寝ろというのか」係官は事もなげに答えたーー「ズジェーン」(ここでだ)。群集の信じられらないという顔がすぐ激しい抗議に変わった。結局スイス人のねばり強い理性的交渉により外国人に限りホテルが手配された。その間、ロシア人は黙々とその場で寝る準備をととのえ、やがて誰からともなく、ロシア民謡の合唱が始まった。ロシア人の強さである。同じ場面がロシア史に数知れない苦痛に際してあったことであろう。この耐える強さを何度外国人は誤算したことか。 絶望的に音痴である私には閉ざされた方法だが、合唱こそロシア人とわかり合えるチャンスではないか。ロシア人とは何かがもう一つはっきりしないのも、「ハモる」ことを通じて解けあえる「ことば以前」「意識以前」の何ものかがあるからではないか。歌を通さなくとも、ロシア語自体がこの言葉を解さない者にも訴える力を持つ特異な言語であると私は思う。それは、単なる美しさでなく、脊髄と内臓からの戦慄をよびおこす。(中井久夫「ロシア人」『記憶の肖像』所収) |
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ロシア人というよりスラブ人だね
街角で国歌を歌い出すロシア人たち、ウクライナ人たちの声の戦慄
Russian people sing Russian national anthem (subtitles) |
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Slava Ukraini! |