柄谷行人の自由主義と民主主義の捉え方のいくつかは、すこし前、「それが壊れたからって騒ぐなよ、初めからわかり切ってるじゃない」にいくらか引用したが、以下の『〈戦前〉の思考』における語りは一般にはとてもわかりやすいのでないか。同じような考え方は、2001年の『トランスクリティーク』に現れているだけではなく、既に1990年の「歴史の終焉について」にもあるが、ここに掲げておく(私はこの書は手元になく、ネット上で拾ったもの)。
なおカール・シュミットの名が何度も出てくるが、彼の思考のいくらかは、「カール・シュミット引用若干」を参照されたし。
◼️民主主義・大衆の支配・「代表」の難問 |
民主主義(デモクラシー)とは、大衆の支配ということです。これは現実の政体とは関係ありません。たとえば、マキャヴェリは、どのような権力も大衆の支持なしに成立しえないといっています。これはすでに民主主義的な考え方です。彼はたしかに『君主論』を書いた人ですが、もともと共和主義者でした。 しかし、問題は、どのようにして大衆の意志が最もよく「代表」されるかということにあります。 デモクラシーにおいて重要なのは、人民の意志が基底にありながら、それが何であるかを誰にもいえないことにあるのです。なぜなら、現実に存在する人々は、さまざまな利害の対立のなかにあるからです。 |
議会とは、それらを調整する場所だといってもいいでしょう。そして、そこでは公開的な討論を経て多数決によって「人民の意志」が実現されることになっています。 しかし、ここに問題があります。それは、多数だからといって、それが真に人民の意志を実現するとはいえないということです。むしろ、少数者の方がそれをあらわすということがあります。 これは、プラトン以来の難問です。それは、真理は、多数決で決定できるのかという問題です。真理はいつも少数の者によって把握されるのではないか、しばしば真理は多数が同意するものに反しているのではないか、というような問題です。 |
プラトンは、政治形態に関してもそれを拡張し、議会制に反対して、哲学者=王こそ真理を代表すると考えました。 同じ問題は、ルソーが個々人の意志を超えた「一般意志」を推定したときにもあらわれています。これは、市民社会が利害の対立のなかにあるのに対して、そこから中立的な国家官僚こそ一般意志を実現するという見方につながります。 具体的にいえば、それは、国家機構が議会あるいは諸政党の上に存在することです。ルソーは民主主義の祖といわれますが、この意味では国家主義の祖でもあります。 |
現在でも、日本の官僚は、議会を自分たちの政策を承認させる単なる手続きとして、また、しばしば民間的な特殊利害によって「一般意志」をゆがめるものとして見ているはずです。 ところで、マルクスは、議会制を、実は特殊な意志(ブルジョア階級の意志)であるものを一般意志たらしめるものだと考えました。それに対して、マルクスは「プロレタリア独裁」を主張しました。それは「プロレタリアートの解放が人類の解放である」がゆえに、プロレタリアートの特殊意志が一般的たりうるということを意味しています。 しかし、マルクスはその具体的な内容については何も語らなかったのです。しかし、そこに、それならプロレタリア階級の「真の意志」は、どのように代表されるのかという問題が出てくるはずです。その場合、晩年エンゲルスやカウツキーは、議会制をとっていました。 |
それに対して、レーニンは、少数の前衛としての党がそれを代表するという考えを出しました。したがって、共産党はプラトンのいうような哲学者=王ということになります。このレーニンの考え(ボルシェヴィズム)が、俗に知られているマルクス主義です。こうして、「プロレタリア独裁」は「党独裁」、さらに「スターリン独裁」ということに帰結します。 しかし、それはスターリンの誤りということではすみません。それは実質的には官僚の支配なのですから。さらに、それは、「真の意志」を誰がいかにして代表するかという問題にかんする、一つの考え方の帰結ですから。さらに、それは「民主主義的」でないとはいえないからです。 |
シュミットは、共産主義的な独裁形態が民主主義と反するものではないといっています。もちろん、彼はヒットラー総統の独裁は民主主義的であるというのです。 «ボルシェヴィズムとファシズムとは、他のすべての独裁制と同様に、反自由主義的ではあるが、しかし、必ずしも反民主主義的であるわけではない» 。 実際、ヒットラーはクーデターではなく、議会的選挙を経て合法的に権力を握ったのです。そして、その政策は、基本的に官僚による統制経済です。それはワイマール体制(議会民主主義)においてなすすべもなかった失業問題を一挙に解決して、「大衆の支持」を獲得したわけです。 こうして見ると、逆に、自由主義が何であるのかが見えてきます。それは、「人民の意志」が公開討議による合意によって決定されるという考え方にもとづいています。もちろん、このことは、哲学における「真理」の問題とつながってきます。 |
自由主義によれば、真理はとりあえず合意によって承認された暫定的なものでしかありません。この意味では、近代科学における真理は、暗黙に自由主義にもとづいています。 それを批判したのがハイデッガーです。彼によれば、真理は、討議や多数決によってあるのではない。また、それは表象(代表)によってつかまれるものでもない。 真理は「存在の隠れ無さ」であり、それは少数の者(詩人)の言葉において開示される、というのです。〔・・・〕 |
ハイデッガーもシュミットも、議会という形態そのものではなく、そこに対する自由主義に反対しているということができます。彼は、真の「自由」は喝采によって決断を表明することにあるというわけです。 ハイデッガーの近代哲学・近代科学への批判が標的としているのは、実際は、表象=代表 representation によってもたらされるような真理なのです。 |
(柄谷行人『〈戦前〉の思考』1994年) |
■自由主義・沈黙の自由・飢える自由等 |
議会制といっても、それはたんに議会があるということではありません。たとえば、旧ソ連や中国にも議会はありますが、それはたんに、党の決定を「喝采」をもって支持するという形態です。 それに反して、自由主義としての議会制は、根本的に、無記名投票(秘密投票)にもとづいています。また、「真の意志」はそうした「統計的な装置」によって決定されると言う考えです。〔・・・〕 |
ここに、議会主義というものが、民主主義とは別の起源をもった考えであるということが明らかになります。基本的に、その本質は秘密投票にあります。「表現の自由」という言葉がありますが、しかし、そこで本当に重要なのはむしろ黙っている自由です。沈黙の自由がなければ、表現の自由はないということです。〔・・・〕 ところで、「表現の自由」が沈黙の自由だということはあまり理解されていません。たとえば、どんな宗教の団体も、あるいは全共闘の集会でも、誰も自分が表現の自由を抑圧されているとは思っていないのです。何かを決めるのは拍手喝采によってであり、各人はそれを自由な行為だと思っています。つまり、それは民主主義的です。 |
ところが、その場合に、無記名の投票などをやったらどういうことになるか。会社でも大学でも、何かの決定を無記名の投票でやるとき、突然緊張がおとずれます。互いが互いに不透明であり、それぞれが他人の知りえない「私的」な部分をもつからです。つまり、秘密投票が各人を「個人」たらしめる。 議会制における自由主義とはこうした個人主義であり、逆にいうと、後者は秘密投票性によって確保されるのです。しかし、一般的にいって、こうした制度が人に好まれるわけではありません。なぜなら、ここでは、会議において意見を少しもいわないような人たち、ある意味で「卑怯な」人たちが、最終的に勝つからです。 しかし、「表現の自由」は、あえてものをいう人たちによって獲得されるものではない。何もいわないでもいいという自由によってこそ獲得される。人が互いにのぞき込めないような「私」をもっていることを前提にし、また、そのように仕向けていくことによって、獲得されるのです。共産主義あるいはファシズムが、議会制をブルジョア的自由主義・個人主義と呼んで嫌う理由は、そこにあります。〔・・・〕 |
「牧人型」というのは、羊を飼う牧人のような支配です。たとえば、イエスが「九九匹の羊より迷える一匹の羊を」といった有名な言葉がある。それは、個人を重視するものですが、しかし、逆にいえば、どの羊も牧人のもとに「救われてしまう」ように強いられているわけです。観点を変えていえば、フーコーの指摘は、自由主義と民主主義の問題につながっています。 牧人型権力においては、すべての者が告白=表現せねばならず、そのことによって自由な主体となります。その意味で、基本的に、民主主義は、牧人型権力に由来する。しかるに、自由主義は、いわば、告白しない自由、救済を拒む自由にかかわっているのです。 |
たとえば、自由主義者のハイエクはこういっています。 «われわれは自由であっても、しかし不幸であることがありうることを認めなければならない。自由とは、よいことばかりを、あるいは災いの少しもないことを意味するものではない。自由であることは、ある場合には、飢える自由、高価な過ちを犯す自由、または命がけの危険を冒す自由を確かに意味するかもしれない。 » (『自由の条件』) |
共産主義的な体制が再起不能なまでに崩壊した今日においても、依然として支配的な観念は、社会民主主義あるいは福祉国家です。それは、どの個人をも生かし、救済せずにはいない牧人型権力だといえます。つまり、「民主主義」は個々人を救済します。もちろん、そのためには、彼らが羊=国民であることが必須です。 したがって、「民主主義」は、人々を「国家」にますます内属させるのです。自由主義者は、彼らにとって「非国民」に見えます。 |
(柄谷行人『〈戦前〉の思考』1994年) |
■「自然法」と「国家の法」 |
シュミットは、ホッブスの『リヴァイアサン』を高く評価しました。なぜなら、ホッブスは、国家が法に由来するのではなく、国家があってはじめて法があるという考えを出したからです。 ホッブスの考えでは、人間は自然状態、つまり普通の状態においては互いに敵対しています。その状態をまぬがれるために、とりあえず自分の自然権を誰かに譲渡しますが、その相手が絶対的な主権者(リヴァイアサン)ということになります。ホッブスは、法は主権者=国家の中で成立するものであり、これを超えた法はないといっています。 しかし、ホッブスは必ずしも国家の絶対性を主張しているわけではない。というのは、彼は、特に宗教にかんして、内面的なものと外面的なものを区別しているからです。つまり、個人は、内面ではどんな信仰をしていてもかまわない、ただ外面的には国家に従わねばならないという考え方です。 |
カール・シュミットはホッブスのこの点を批判します。内面と外面の分離は誰も知らない「私」の部分を認めてしまうことであり、個人主義であり自由主義である、と。 事実、ホッブスのこの綻びはスピノザによって広げられました。つまり、各個人は国家に権利を譲渡するけれども、それは各個人の固有の「自然権」までを譲り渡すものではない。 スピノザの考えでは、国家はいわば政府 government になっています。それはリヴァイアサンとしての国家、強大な主権としての国家を崩壊させてしまう。これこそ「ユダヤ的陰謀」だと、シュミットはいうわけです。いうならば、カール・シュミットはホッブスのような人にさえも、自由主義を見いだすのです。 |
一方、ハイエクはホッブスを嫌っています。彼にとって、ホッブスはイギリス的でない、建築的体系的な思想家であり、国家主義者です。ハイエクは、ホッブスが否定した「自然法」を重視します。それは諸国家の法を超えるものです。 こうして見ると、ホッブスは両義的に見えます。彼はイギリスのなかでは例外的に構築的な思想家ですが、シュミットから見るとあいまいであり、自由主義的な要素をふくんでいるということになってしまう。他方、ハイエクはホッブスのなかに国家主義のみを見いだしている。 しかし、ホッブスのあいまいさ(両義性)は、彼が現実的に生成してきたイギリスの経験にもとづいていることによるのです。 |
(柄谷行人『〈戦前〉の思考』1994年) |
■危うさをはらんだ「交換」「代表制」と「ボナパルティズム」 |
「交換」は共同体の間でなされるのですが、そこにある「法」は、いわば自然法あるいは国際法なのです。ローマの自然法というのは、多数の国家の間でできた交換の規則、いわば国際法を認知することでした。 自然法は、どこでも(シルク・ロードのように)交易が広範囲になされているところでは、「自然に」成立します。別にそれを規制する権力がなくても、暗黙にそういう法があり、どの国家もそれには手を出さなかった。ローマ帝国は、それを原理として明文化しただけです。 つまり、起源的に遡行しても、敵対することと交換することとは、どちらが先行するとはいえないものです。カントは、世界に始まりがあると始まりがないという形而上学の命題について、それらがいずれも成立すること、その結果二律背反に陥ることを示しました。敵対することと交換することのいずれが先行するかという議論は、その意味で、「形而上学」的です。つまり、どちらも虚偽なのです。 |
したがって、ここで発想を変えて見るべきです。それは、「交換」が先行するとしても、それが根本的に無根拠で危ういものだと考えることです。その結果として、交換がうまくなされるか、あるいは戦争になる。つまり、敵対と交換は、「交換」そのものの危うさに根ざしているのだ、と。 たとえば、シュミットの見方では、ホッブスは敵対が先行するという考えに立っています。しかし、別の観点から見ると、ホッブスが国家を導きだした論理は、マルクスが『資本論』の「価値形態論」で、商品交換から貨幣を導きだした論理と同型です。つまり、すべての商品のなかから、一つの商品が超越的なもの(貨幣)として析出され、それ以外の商品はこの商品=貨幣を通してのみ交換されるようになる。 ホッブスは、すでに自然権の「所有者」としての各人を想定し、そこから交換について考えた思想家といえるのです。 |
一方、ハイエクにおいては、自由主義の根拠は、市場体系が自動調整的な機構をもつということにあります。しかし、そのような「市場」の働きは、まさにこの貨幣=リヴァイアサンにもとづいているわけです。 しかし、ハイエクはそれを、アダム・スミスと同様に「見えざる神の手」にしてしまっている。彼は「交換」に存する根本的な危うさを見ていないのです。 同じことが代表制についてもいえます。それにかんしては、私は、マルクスの『ブリュメール十八日』が最も鋭く分析していると思います。この本は、一八四八年の革命で成立した憲法制定国民議会から、それまでナポレオンの甥という以外に何者でもなかったボナパルトが、いかにして大統領になり且つナポレオン三世という皇帝になったかを、見事に分析したものです。 |
そのなかで、彼がいっていることで最も重要なのは、代表する者、すなわち政党諸派と、代表される者、すなわち社会的階級との間には、必然的な固定的な結合関係はないということです。 したがって、そこにはつねにずれが生じます。いいかえれば、代表=表象が機能しなくなる。ボナパルトが「すべてを代表する者」として皇帝になったのは、このためです。 この分析は、ファシズムを考えるときに大変重要です。重要なのは、ファシズムが「代表制」の危機においてあらわれるということです。この代表制そのものにある危うさ、代表する者とされる者の結合の危うさは、先に述べた「交換」の危うさと類似するのです。 |
実際、資本主義が持っている「交換」の危うさが露呈したのは、一九三〇年代の大不況においてでした。それは、同時に、代表制(議会制)の失調と並行しています。 人々は、無能化し腐敗した代表者の議会を嫌い、彼らを真に「代表」する者を求めたわけです。 たとえば、ある時期、代表者(政党)はある階級なり集団を代表しているかのように見えます。しかし、社会的な関係や構造が変わってくると、その代表関係は成立しない。代表者(代議士)がそのままで地位を維持しようとすれば、それは腐敗でしかありえない。 |
ところで、どの政党にも代表(代弁)されないような階層があります。一八四八年のフランスでは、分割地農民(貧農)でした。自分を代表するものをもたない階級は、誰かに代表されなければならない、とマルクスはいっています。 たとえば、一九三〇年代の日本においては、窮乏化していた貧農層は、議会に彼らを代表する者を持っていませんでした。だから、議会の外でクーデターを起こした皇道派将校らは、議会に対して、それを代表したわけです。同時に、それは、立憲君主制としての天皇を、「すべてを代表する者」として超越化するものであったわけです。むろん、それは天皇が、歴史的に諸階級の利害対立に汚れていない中性的な存在であると思われたからです。 それは天皇制ファシズムと呼ばれています。が、なかには、日本には西洋的な意味でのファシズムなど無かったという人もいます。しかし、私は、別の観点から、そもそもファシズムという言葉をあまり一般的に使わないほうがいいと思っています。というのは、ファシズムという概念は、いつも軍事独裁や圧制のようなものと混同されてしまうからです。 |
それよりも、これを代表=表象機能の失効から生じるボナパルティズムとして見たほうがいいと思います。そうすると、一見して過去のファシズムと違ったような形態をとるファシズムが今後にありうることがわかります。 ファシズムの本質は、「すべてを代表する」ことによって、議会制における諸党派のの対立を「止揚」してしまうような形態にあります。つまり、それがボナパルティズムです。実際は、それは官僚、あるいは行政権力の支配に帰結します。 私の考えでは、一九三二年に登場したアメリカのルーズベルト大統領も、一種のボナパルティストであり、左翼から右翼まで、あるいは種々のマイノリティの階層を「すべて代表する者」として、あらわれました。これは、それまでのアメリカの大統領になかったことです。 |
日本では、中野正剛が『国家改造計画綱領』(一九三三年)を発表しているのですが、そのなかで、彼は、自由主義的資本主義が崩壊したこと、さらに「資本主義の無力はいっさいの既成政党の無力である」ことをいっています。そこで、彼は「国家統制経済」を唱えるのですが、まず第一に、「いっさいの既成政党政治と絶縁して、強力内閣を組織し、合法的手段により、独裁的に非常時的国策を断行すべし」というのです。 彼は、「原則として民主主義の原理を否定するものではない」けれども、「現下の政党政治は全く腐朽せる資本主義の傀儡となり、ともに公正なる国民的利益の振興を断ずることはできぬ」というわけです。〔・・・〕 |
中野正剛がいうように、アメリカでも、事実上、議会は大統領に権限を委譲していたわけです。シュミットやハイデッガーが「代表制」を攻撃したのは、そのような経済的危機においてです。それをハイエクがいうような自由主義によって批判することはできません。なぜなら、自由主義経済が破綻したからこそ、そのような主張が支持されたわけですから。 私は、ここまで、自由主義と民主主義を両極化する思考について考察してきました。それは、あいまいに自由・民主主義と呼ばれるものがどのような要素によって成立しているかを明らかにするものです。 しかし、この「あいまいさ」を軽視することはできません。 最初にいったように、こうした極限を考えるのは、日常的なノーマルなものが、どんなに複雑であるか、またそれが堅固に見えてどんなに脆弱であるか、そういったことを知るためです。〔・・・〕 |
われわれはすでに、自由・民主主義というあいまいなものが、どのような論理で解体されていったかを歴史的に経験しています。それが別のレベルで反復されることは今後避けがたいでしょう。 したがって、理論的にそれを考えておくことが必要です。さもないと、自由主義とか民主主義といった概念があいまいなままふりまわされ、それらの概念とは裏腹な事態に陥ることになるからです。 |
(柄谷行人『〈戦前〉の思考』1994年) |
最も注意せねばならぬのは、引用の最後にあるように、現在に至るまで、《自由主義とか民主主義といった概念があいまいなままふりまわされ》過ぎていることだ。これは政治家だけでなく、政治学者や社会学者などにおいてもそうである。
※前回、ニーチェの「自由主義と民主主義」をめぐる記述を引用したがそれも参考されたし。