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2023年4月3日月曜日

無邪気に偽装された侮蔑

 

少しワケアリでかつてメモした北野武の発言を探っていたら、失念していたが、タケシは次のように言っている。


たった1枚の絵画だけで20分も30分もその場に人を釘付けにできるのだとしたら、映画も少ないカットでそういう事ができるのを感覚的に目標にしている。(「This is 読売」北野武監督対談蓮實重彦 19982月号)

究極の映画とは、10枚の写真だけで構成される映画であり、回ってるフィルムをピタッと止めたときに、2時間の映画の中の何十万というコマの中の任意の1コマが美しいのが理想だと思う。(北野武「週刊ポスト」 200221日号)


少し前、エドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』のいくつかの場面を掲げたが、私がこの映画に魅せられたのは、(私にとって)「その場に人を釘付けにできる」カットがあまたあったせいであり、殺人事件の物語自体にはほとんど興味がない。


…………………



上の話は派生物であり、探していたのは以下の内容である。



北野武はバイク事故ーー1994年8月2日の深夜、新宿区安鎮坂付近でガードレールに激突ーーをめぐってこう言っている。


《注目されたわたしが落ちていく姿、それを誰もが見たいんだから……。自分は事故のとき痛切に感じたですね……。マスコミから一般の人たちの憶測に秘められた嬉しさ……、ちょっとゾッとしますね……》と。


さらに蓮實重彦の自殺願望ではなかったのかの問いに、そのときのことは記憶にないが、《もしかしたら自分は自殺を図ったのかなあという感じはあります》と答えている。


➡︎動画:北野武 with 蓮實重彦


………………




大江健三郎は伊丹十三がモデルの「吾良の死」をめぐるマスコミの対応、ーーさらに付加的にコメディアン出身の監督(つまり北野武)の発言ーーに関わってこう書いている。


吾良の死以後の短い間に古義人がテレヴィ局や新聞社、また週刊誌の人間から受けとった印象は特殊なものだった。それは、かれらに自殺者への侮蔑の感情が共有されている、ということだ。


侮蔑の感情は、マスコミの世界で王のひとりに祭り上げられていた吾良が引っくり返り、もう金輪際、王に戻って反撃することはないという、かれらの確信から来ていた。


吾良の死体に向けて集中した侮蔑はあまりに大量だったので、ついにはみ出すようにして、マスコミのいう吾良の関係者にも及んだ。書評委員会の集まりなどでは親身にあつかってくれた女性記者から、取材申し込みが留守番電話に入っていたが、そこに浮びあがるのは、やはり権威が揺らいだにせの王への、無邪気に偽装された侮蔑だった。〔・・・〕


……古義人は、吾良の死を映画の仕事の行き詰まりに帰している記事に納得しなかった。イタリアの映画祭で賞を得たコメディアン出身の監督が、受賞映画のプロモーションにアメリカへ出かけて、おおいに受けたという、

――吾良さんが屋上から下を見おろした時、私の受賞が背中をチョイと押したかも知れない、というコメントを読んだ時も、こういう品性の同業者かと思っただけだ。(大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』)


タケシの発言、《注目されたわたしが落ちていく姿、それを誰もが見たい》、そして大江の記述、《権威が揺らいだにせの王への、無邪気に偽装された侮蔑》、これはほとんど同じことを言っている。


本日、この同じ現象を垣間見たのでーー「誰も」ではなく「一部」にだがーー、ここに備忘として掲げておく。