羽場久美子さんは広島サミット自体、日本は懸け橋の役割をすべきだと言っているんだが、なぜこういう当たり前のことが言えないんだろうね、あれらの連中は。
一年前、羽場久美子さんの次の発言に対して、鈴木一人、池内恵、中山俊宏、東野篤子という、篠田英朗曰くの「浅はかな若造御用学者」が次のように反応しているのを拾ったことがあるがね。
こういう連中がさ、ーー男前の中山俊宏は死んじゃったけどーー、戦争前夜の発言繰り返してるんだけど。
知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本人に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と、思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。(渡辺一夫『敗戦日記』1945 年 3 月 15 日) |
昔も今も変わらないんだよ、中山俊宏曰くの「日本の変わらない、変わろうとしない」学者の姿だね。
文学部のなかで、長い戦争に対して疑問をもつ、あるいは反対だということをはっきりとした姿勢で考えていた人は教員80人近くいたと思いますが、ふたりだけ。渡辺一夫先生と、それから言語学科の神田先生。そのふたりは、はっきりと戦争全体に反対。ぼくも、そうですけれどね。 あとは、いわゆる日支事変段階ではね「この戦争は一体どこまで泥沼に入ってしまうのか」と懸念をもっている人はいくらかいた。しかし日米戦争で空気はがらっと変わります。ハワイ真珠湾攻撃の日に、たまたま大学へ行ったんです。ある研究室のドアからね、教授、助教授の興奮した声が聞こえました。戦争の性格が変わった、この戦争はアジアの植民地解放戦争なんだ、これで戦争目的ははっきりしたと。そういう声が聞こえてきた。なるほど、これがこれからの日本政府の宣伝のポイントになるだろうという感じを受けました。 |
僕はアジアの植民地解放のためというスローガンを出すならば、なぜ朝鮮と台湾の問題に触れないのか。朝鮮の自主独立を許す、台湾を中国へ返すということを、日米戦争が始まったときにすぐに宣言していたら、アジアの解放もいいですよ。しかし、自分の植民地はそのままにしておいて、これはアジア解放戦争だと言っても通用しませんよ。(日高六郎『映画日本国憲法読本』2004年) |