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2023年6月25日日曜日

プリゴジンの反逆について(スコット・リッター)


なぜか「自然に」投稿から外れており、未投稿に戻っているので再投稿。

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 ◼️スコット・リッター、プリゴジンの反逆について

 YoutubeScott Ritter on Prigozhin's Treason 


➡︎邦訳



Акичка @4mYeeFHhA6H1OnF  Jun 24, 2023

この24時間のエフゲニー・プリコジンの行動は、文字通り「反逆」以外の何ものでもない。


ワグナー・グループの表の顔は、プーチン大統領率いるロシアの憲法で選ばれた合法的な政府を転覆させようとする、クーデターとしか言いようのない冒険に彼の軍隊を導いた。これは色々な意味で悲劇である。


何よりもまず、ワグナー自身について話そう。この民間軍事請負業者は、この紛争、ウクライナと集団的な西側諸国との進行中の紛争において、最も悲惨な状況下で英雄的な活躍をした2万5千から5万人の戦闘員の部隊を集めていた。直近では、ワグナーはバフムートの戦いでウクライナ軍を破った。この戦いで7万5000人以上のウクライナ兵が死亡し、約3万人のワグナーの戦闘員も命を落とした。


プリコジンの行動のおかげで、ワグナーは信用を失い、ウクライナ政府、さらにはモスクワのマイダンの瞬間を作り出すために西側情報機関の勢力と手を組んだグループとみなされるようになった。


ところで、ロシアがこの戦争で敗北する唯一の方法は、敵によって外的に敗北する代わりに内部崩壊することだった。正義にしか興味がないというプリコジンの主張からすると、このタイミングは疑わしい。


実際のところ、ワグナー・グループは憲法上の現実から、自分達の組織を国の法律に合わせるために国防省と契約を結ぶよう強制されていた。なぜなら、民間の軍事請負業者は、ウクライナの国土や独立したドンバスの国土では活動できても、ロシアの国土では存在できないからだ。そして、ワグナーが活動していた領土は現在、ロシア政府によってロシアの領土とみなされている。


なぜこのような変貌を遂げたのか?まあ、これはプリコジンにしか答えられない質問だが、答えははっきりしていると思う。もし彼がモスクワに乗り込めば、この英雄たちであるワグナーが腐敗と官僚の非効率の勢力に立ち向かい、その主犯としてショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長を探し出せば、少なくともプリコジンの西側情報管制官の頭の中では、ロシア連邦というカードハウス全体が崩壊するだろう、と。


彼はオリガルヒに支援され、何十億ドルもの資金が背後にあり、ワグナーを動かすだけで、すべてが自分の意志で起こると言われた。そうではないようだ。ウラジーミル・プーチン大統領は、立憲的な法の支配とロシアの最高司令官としての自らの役割を厳しく擁護する発言をしている。


プリゴジンの策略は失敗するだろう。彼は責任を問われるだろうし、彼の背後に結集した人々も同様だ。


しかし、もう一つのことは、モスクワのマイダンを実現しようとするこの取り組みが、単なるレトリックではないという事実を露呈したことだ。これは現実であり、政府、プリコジン、そして彼らの西側支援者たちが以前から実行しようとしてきたことなのだ。


そして、この行動を実行することによって、プリコジンは、この実現を密かに願ってきた多くの人々について暴露した。


様々なテレグラム・チャンネルと、彼らが直接あるいは間接的にプリコジンを支持するために公開しているコンテンツをよく見てみれば、彼らが本当は誰のために働いているのか理解できるだろう。


願わくば、これが浄化作用となり、ロシアがこうした裏切り者たちを自浄できるようになればいいのだが......。


そう、ワグナーを失うことは、ロシアにとって心理的にも物理的にも打撃となるだろう。彼らは非常に強力で、非常に有能な軍事力を持っていたが、最終的には、立憲政府のもとで任務を果たすことができないことを証明した。彼らは自分達だけの法律となり、無法者となり、歴史は彼らを無法者として扱うことになった。これは2分以上のトピックになったが、私はこのテーマはそれ以下には値しないと思う。


私の名前はスコット・リッター、知識は力であることを覚えておいてほしい。







➡︎動画










スコット・リッターは《ワグナーを失うことは、ロシアにとって心理的にも物理的にも打撃となるだろう》と言っているが、ワグナー喪失というよりロシア指揮系統の動揺による心理的影響がかなり大きいのではないか。バクムート勝利以後のロシア軍の善戦で小康状態にあると勘案された核戦争の危機に、このプリゴジン事件で、また一歩進んだのではないか。

「ここで逆説的なパラドックスが作用している:米国とその同盟国が戦争目的を達成することに成功すればするほど、戦争が核戦争に発展する可能性は高くなる。」

ーージョン・ミアシャイマー、アメリカ・NATO・ウクライナ対ロシアの戦争について

There is a perverse paradox at play here, you really want to think about this: The more successful we are ―the United States and its allies― at achieving our war aims, the more likely it is that the war will turn nuclear. 

John Mearsheimer | THE US CREATES CONFLICT FOR THE WORLD

2023/02/06 

➡︎動画(日本語字幕)



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※付記

パニック現象[Phänomen der Panik]は軍隊集団でもっともよく研究された。このような集団が崩壊するときにパニックが生ずる。


パニックの特質は、上官の命令がすこしもきかれなくなったり、だれもが他人のことをかまわずに自分のことだけを心配する点にある。相互の結びつきはやぶれ、巨大な正体のわからぬ不安が解き放たれる。


むしろその逆に、不安が大きくなったために、すべての顧慮や結びつきをすてるのである、という非難がここでも当然おこるだろう。マックドゥガルはパニックの場合を(もっとも軍隊のパニックではないが)彼の強調する伝染による情緒亢進の典型例とさえみなしている。しかし、この合理的な説明はこの場合全然まちがっている。なぜ不安がそれほど巨大になったかということこそ説明が要るのである。


危険の大きさに責めに帰するわけにはいかない。なぜならば、いまパニックにおちいっているそのおなじ軍隊が、おなじほどの危険、いや、もっと大きい危険を立派に切り抜けてきたからである。またパニックが脅威をあたえる危険と比例しないで往々ごく些細な機縁で爆発するということこそまさにパニックの本質なのである。[es gehört geradezu zum Wesen der Panik, daß sie nicht im Verhältnis zur drohenden Gefahr steht, oft bei den nichtigsten Anlässen ausbricht. ]


パニックの不安にかられた個人が、自分自身のことを配慮しようとするとき、彼は同時に、それまで危険を軽視させていた情動的結合[affektiven Bindungen]が終ったという真相を証明している。危険に一人でたちむかうことになって、危険を過大に評価するであろう。したがって事情は次のようになる。パニックのさいの不安は、集団のリビドー的な構造の弛緩を前提とするものであって、その弛緩にたいする当然の反応であり、けっしてその逆ではない。つまり、集団のリビドー的な結びつき[Libidobindungen der Masse]が危険にたいする不安のために消滅してしまうわけではない。


この見解は、集団の中の不安が感応(伝染)によって異常亢進するという主張と、決して矛盾することはない。マックドゥガルの見解は危険が実際大きなものであって、集団になんらの強固な感情のむすびつきがかけている場合には――たとえば、劇場や娯楽場で火事が突発したときに実現される条件だが――まことに適切である。しかしわれわれの目的に役立つ教訓に富む例は、上述したように危険がふつうの程度、また優に堪えうる程度をこえないのに、軍隊がパニックにおちいる場合である。「パニック」という語の用い方が、厳密にはっきり規定されることはのぞみがたい。あらゆる集団的不安が、しばしばそうよばれたり、限度をこえた個人の不安がそうよばれることもある。また、不安がそれ相応のきっかけなしに発生する場合に、とくに、この語がつかわれることが多いようである。


「パニック」という語を集団的不安の意味にとるならば、さらに類推をすすめることができよう。個人の不安は、危険の大きさによって生ずるか、感情の結びつき(リビドー備給)の喪失によって生ずるか、のいずれかである[Nehmen wir das Wort »Panik« im Sinne der Massenangst, so können wir eine weitgehende Analogie behaupten. Die Angst des Individuums wird hervorgerufen entweder durch die Größe der Gefahr oder durch das Auflassen von Gefühlsbindungen (Libidobesetzungen);]。

後者の場合は神経症的不安[neurotischen Angst]の場合である。同様に、パニックも、すべての個人を襲う危険の増加によって起こるか、あるいは集団を統合している感情の結びつきの消失によって起こる、そして後者の場合は、神経症的不安に類似している。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第5章、1921年)