文学者ってのはもともと駄目なんじゃないかね、耄碌してようとしていまいと。最近ハッキリとそう疑うようになってきたね |
マルクスは『資本論』においていっている、貨幣が一商品であることを見ることはたやすいが、問題は、一商品がなぜいかにして貨幣となるかを明らかにすることだ、と。彼がボナパルトについていうのも同じことだ。ボナパルトに「痛烈にして才気あふるる悪口をあびせかけた」 ヴィクトル・ユーゴーに対して、マルクスは、「私は平凡奇怪な一人物をして英雄の役割を演ずることをせしめた情勢と事件とを、フランスの階級闘争がどんな風につくりだしていったかということをしめす」と書いている(『ブリュメール一八日』「第二版への序文」同前)。ユゴーのような批判を幾度くりかえしても、それは貨幣がただの紙きれだというのと同じく、何の批判にもならない。とはいえ、マルクスがいう謎は、たんに「階級闘争」をいうだけでも明らかにはならない。 代表制あるいは言説の機構が自立してあり、「階級」はそのような機構を通してしか意識化されないということ、さらに、このシステムには一つの穴があるということ、そこに、ボナパルトを皇帝たらしめた謎がひそんでいるのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』第二部・第1章「移動と批判」第2節「代表機構」p222ーー精神分析の起源マルクス) |
とくに、痛烈にして才気あふれる悪口をあびせかけるのを売りにしてきた文学者に対してはさ、とことん用心しないとな、鼻をしっかり抓んでさ。 |
ああ、あの絶叫漢、文筆の青蝿、小商人の悪臭、野心の悪あがき、くさい息、…ああ、たまらない厭わしさだ、…ああ、嘔気、嘔気、嘔気! allen diesen Schreihälsen und Schreib-Schmeissfliegen, dem Krämer-Gestank, dem Ehrgeiz-Gezappel, dem üblen Athem -: pfui, unter dem Gesindel leben, … Ach, Ekel! Ekel! Ekel! (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「王たちとの会話」1885年) |
な、やっぱり出発しないと駄目なんじゃないかい?
とにもかくにも、嘘を糧にしてわが身を養って来たことには、許しを乞おう。そして出発だ。Enfin, je demanderai pardon pour m'être nourri de mensonge. Et allons.
ーーランボー「別れ Adieu」