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2023年6月26日月曜日

精神分析の起源マルクス

 何度か掲げているが、ラカンは次のように言っている。

症状概念。注意すべき歴史的に重要なことは、フロイトによってもたらされた精神分析の導入の斬新さにあるのではないことだ。症状概念は、私は何度か繰り返し示してきたが、マルクスを読むことによって、とても容易くその所在を突き止めるうる。la notion de symptôme. Il est important historiquement de s'apercevoir que ce n'est pas là que réside la nouveauté de l'introduction à la psychanalyse réalisée par FREUD : la notion de symptôme, comme je l'ai plusieurs fois indiqué, et comme il est très facile de le repérer, à la lecture de celui qui en est responsable, à savoir de MARX.(Lacan, S18, 16 Juin 1971)


ここではこのラカンの発言を額面通り取ろう。そして次の問いを提出しよう、どうしてラカンにとって症状概念を把握するために、フロイトよりマルクスが重要なのだろうか、と。


ラカンにとっての症状は社会的結びつきであり、言説である。


言説とは何か? それは、言語の存在によって生じうる秩序において、社会的結びつきの機能を作るものである。[Le discours c’est quoi ? C’est ce qui, dans l’ordre… dans l’ordonnance de ce qui peut se produire par l’existence du langage, fait fonction de lien social. ](Lacan à l’Université de Milan le 12 mai 1972)

社会的結びつきは症状である[le lien social, c’est le symptôme] (J.-A. Miller, Los inclasificables de la clínica psicoanalítica, 1999)


すなわち「症状=社会的結びつき=言説」である。


さてここで、柄谷が《言語的意匠》あるいは《代表制あるいは言説の機構》等々の表現を使いながら、《われわれは、マルクスの分析に精神分析を導入したり適用したりするよりは、『ブリュメール一八日』から精神分析を読むべきなのだ》としている『トランスクリティーク』第二部・第1章 第2節「代表機構」から引用しよう。ここにはラカンの言っているマルクスにおける症状概念分析のきわめてすぐれた指摘がある。



ドイツのイデオローグにおいては、すべてがヘーゲル哲学の意匠のもとに語られている。しかし、フランスのイデオローグを相手にするとき、話はちがってくる。彼らは政治的党派としてあらわれているし、思弁的ではなく実践的である。しかし、一八四八年二月二四日から一八五一年一二月二日までという日付をもった実際の政治的過程は、当事者にとっても傍観者にとっても不可解な奇怪な「夢」と映っている。マルクスにとって、その根底に、諸階級とその闘争があることは自明であった。しかし、彼がここで取り組んだのは、それを指摘することではなくて、そのような変形がいかにしてなされるかを明らかにすることである。この事件の特徴は、舞台にあらわれる人物たちが第一次フランス革命の言語的意匠をまとっていたことであり、のみならず、事件がその意匠のもとに収束していったことである。ルイ・ボナパルトの皇帝就任として帰結するこの事件を解読するには、「下部構造」を指摘するだけでは不十分だということは明白である。マルクスは、第一次フランス革命の過程を、この出来事そのものを構成しているアプリオリな形式として見いだしている。(柄谷行人『トランスクリティーク』第二部・第1章 移動と批判 第2節「代表機構」p217)


マルクスは『資本論』においていっている、貨幣が一商品であることを見ることはたやすいが、問題は、一商品がなぜいかにして貨幣となるかを明らかにすることだ、と。彼がボナパルトについていうのも同じことだ。ボナパルトに「痛烈にして才気あふるる悪口をあびせかけた」 ヴィクトル・ユーゴーに対して、マルクスは、「私は平凡奇怪な一人物をして英雄の役割を演ずることをせしめた情勢と事件とを、フランスの階級闘争がどんな風につくりだしていったかということをしめす」と書いている(『ブリュメール一八日』「第二版への序文」同前)。ユゴーのような批判を幾度くりかえしても、それは貨幣がただの紙きれだというのと同じく、何の批判にもならない。とはいえ、マルクスがいう謎は、たんに「階級闘争」をいうだけでも明らかにはならない。 代表制あるいは言説の機構が自立してあり、「階級」はそのような機構を通してしか意識化されないということ、さらに、このシステムには一つの穴があるということ、そこに、ボナパルトを皇帝たらしめた謎がひそんでいるのである。〔・・・〕


エンゲルスは、「歴史の運動の大法則をはじめて発見したのは、まさにマルクスであった」という。《この法則によれば、あらゆる歴史上の闘争は、たとえ政治的であれ、宗教上哲学上であれ、あるいはその他のイデオロギー上であれ、いずれの領域でおころうとも、じっさいは社会諸階級の闘争の多少ともはっきりした現われにすぎない》(『ブリュメール一八日』「第三版序文」[一八八五年、エンゲルス] 同前)。しかし、そのような認識なら、廣松渉が示したように、エンゲルス自身がマルクスに先駆けてもっていたはずである。重要なのは、社会諸階級が「階級」としてあらわれるのは言説 (代表するもの)によってのみだということである。マルクスは、自分たちの代表者も、自らの階級的利害を普遍化して擁護する言説ももたず、それゆえ他の誰かに代表されなければならない階級の存在を指摘している。それは分割地農民である。


《分割地農民は一つの階級をなしている。かれらのあいだに単に地方的なつながりしかなく、利害の同一性はあってもそれがかれらのあいだになんらの共同もなんらの全国的結合もなんらの政治的組織もつくりだしていないかぎり、かれらは階級をなしていない。したがってかれらは、議会を通じてにしろ国民公会を通じてにしろ自分の階級の利害を自分の名において主張する能力をもたない。かれらは自分を代表することができず、〔だれかによって〕代表されねばならない。かれらの代表者は、かれらの代表者であると同時にかれらの主人として、かれらのうえにたつ権威として、あらわれねばならない。つまり、かれらを他の階級から保護し上のほうからかれらに雨と日光をおくる無制限な統治権力として、あらわれねばならない。》(『ブリュメール一八日』同前)


具体的にいえば、普通選挙において初めて政治的舞台に登場した農民はボナパルトを支持した。しかし、彼らはボナパルトを自らの代表者として支持したというよりも、いわば「皇帝」として支持したのである。われわれは、二〇世紀においてファシズムの主要な基盤となったのがそのような階級であることを見ている。だが、そのことに関して重要なのはむしろ、労働者や農民を政治的舞台に立たせた、普通選挙による代表制民主主義である。たとえば、ヒトラー政権はワイマール体制の理想的な代表制の中から出現したし、さらに、しばしば無視されていることだが、日本の天皇制ファシズムも一九二五年に成立した普通選挙法の後に台頭しはじめたのである。一九三〇年代のドイツにおいて、マルクス主義者は、ヒトラーをたんにブルジョア経済の危機を救済する代理人として見、それを暴露すればよいと考えていた。ナチスと同様に、彼ら自身もワイマール議会を欺瞞的なものとして見ていた。しかし、彼らの予想に反して、大衆がナチズムに「代表」されていったことを、たんに暴力や策略だけから説明することはできない。そもそも共産党もまた「代表するもの」の一つであり、「代表されるもの」と必然的なつながりをもっていないのである。


上部構造の相対的自立性という問題が大きな問題となったのは、第一次大戦後の革命の挫折とファシズムの経験からである。たとえば、ウィルヘルム・ライヒは、当時のマルクス主義者を批判し、ドイツ人がナチズムに引き寄せられた原因を精神分析によって探ろうとした。 彼がそこに見いだしたのは、「権威主義的家族イデオロギー」、そしてそれによる性的抑圧である(『ファシズムの大衆心理』平田武靖訳、せりか書房)。のちに、フランクフルト学派も精神分析を導入した。 しかし、『ブリュメール一八日』にもどって考えるならば、われわれは特に精神分析を必要としない。なぜなら、ここでマルクスは、ほとんどフロイトの『夢判断』を先取りしているからである。彼は短期間に起こった「夢」のような事態を分析している。その場合、彼が強調するのは、「夢の思想」すなわち実際の階級的利害関係ではなく、「夢の仕事」すなわち、それら階級的無意識がいかにして圧縮・転移されていくかである。フロイトはつぎのようにいっている。


《夢はいろいろな連想の短縮された要約として姿を現わしているわけです。しかしそれがいかなる法則に従って行われるかはまだ解っていません。夢の諸要素は、いわば選挙によって選ばれた大衆の代表者たちのようなものです。われわれが精神分析の技法によって手に入れたものは、夢に置き換えられ、その中に夢の心的価値が見出され、しかしもはや夢の持つ奇怪な特色、異様さ、混乱を示してはいないところのものなのです。》(『精神分析入門続』 「著作集」 第一巻、高橋義孝訳、人文書院)


フロイトは「夢の仕事」を普通選挙による議会になぞらえている。 そうであれば、われわれは、マルクスの分析に精神分析を導入したり適用したりするよりは、『ブリュメール一八日』から精神分析を読むべきなのだ。(柄谷行人『トランスクリティーク』第二部・第1章「移動と批判」第2節「代表機構」 p222-225)



なお「権力のフェティシズム(柄谷=マルクス)」も参照されたし。この後半にマルクスの価値形態論がいかに精神分析的かを示している。


…………


先に見たようにラカンにおいて言説は症状であり、ラカンの四つの言説理論とは、四つの症状である。




もし剰余享楽としての対象aに焦点を絞って言えば、四つの症状を「四つのフェティッシュ」と言い換えてもよい(これ以外に資本の言説がある[参照])。


私が対象a[剰余享楽]と呼ぶもの、それはフェティシュとマルクスが奇しくも精神分析に先取りして同じ言葉で呼んでいたものである[celui que j'appelle l'objet petit a [...] ce que Marx appelait en une homonymie singulièrement anticipée de la psychanalyse, le fétiche ](Lacan, AE207, 1966年)

剰余価値、それはマルクス的快、マルクスの剰余享楽である[ La Mehrwert, c'est la Marxlust, le plus-de-jouir de Marx. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)



ラカンは言説を「社会的結びつき」と定義する以外に、見せかけ(仮象)とも呼んでいるが、これは事実上、フェティッシュのことである。


言説はそれ自体、常に見せかけの言説である[le discours, comme tel, est toujours discours du semblant ](Lacan, S19, 21 Juin 1972)

フェティッシュとしての見せかけ [un semblant comme le fétiche](J.-A. Miller, la Logique de la cure du Petit Hans selon Lacan, Conférence 1993)


セミネールⅣの段階でマルクスに触れつつ既にこう言っている。


人間の生におけるいかなる要素の交換も商品の価値に言い換えうる。…問いはマルクスの理論(価値形態論)において実際に分析されたフェティッシュ概念にある。pour l'échange de n'importe quel élément de la vie humaine transposé dans sa valeur de marchandise, …la question de ce qui effectivement  a été résolu par un terme …dans la notion de fétiche, dans la théorie marxiste.  (Lacan, S4, 21 Novembre 1956)



………………


構造主義時代のラカンの言説理論は、別の言い方をすれば社会関係構造理論でもある。


構造主義の始祖レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』で、「私の二人の師」として、マルクスとフロイトを挙げている。さらに『野生の思考』ではこう記している。


要素自体はけっして内在的に意味をもつものではない。意味は「位置によって」きまるのである。それは、一方で歴史と文化的コンテキストの、他方でそれらの要素が参加している体系の構造の関数である(それらに応じて変化する)。 éléments,…Les termes n'ont jamais de signification intrinsèque ; leur signification est « de position », fonction de l'histoire et du contexte culturel d'une part, et d'autre part, de la structure du système où ils sont appelés à figurer.(レヴィ=ストロース『野性の思考』1962年)


ラカンの言説理論は、フロイトをさらに構造化して四つの場(空箱)に四つの要素を入れるというものだ。ラカンは、要素ではなく場が症状を規定すると考えたのである。



ーーこの言説の基礎構造の上に四つの言説=四つの症状が乗るのである。


基礎構造の基本的な読み方は次の通り。





このレヴィ=ストロースやラカンが考えたこと自体、事実上、マルクスにあるのである。

人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定する。Es ist nicht das Bewußtsein der Menschen, das ihr Sein, sondern umgekehrt ihr gesellschaftliches Sein, das ihr Bewußtsein bestimmt.(マルクス『経済学批判』「序言」1859年)

経済的社会構成の発展を自然史的過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。

Weniger als jeder andere kann mein Standpunkt, der die Entwicklung der ökonomischen Gesellschaftsformation als einen naturgeschichtlichen Prozeß auffaßt, den einzelnen verantwortlich machen für Verhältnisse, deren Geschöpf er sozial bleibt, sosehr er sich auch subjektiv über sie erheben mag. (マルクス『資本論』第一巻「第一版序文」1867年)



この「構造主義者」マルクス自体、柄谷は『トランスクリティーク』のイントロで触れている。


マルクスは次のように言っている。


ひょっとしたら誤解されるかもしれないから、一言しておこう。私は資本家や土地所有者の姿をけっしてばら色に描いていない。そしてここで問題になっているのは、経済的範疇(カテゴリー)の人格化であるかぎりでの、一定の階級関係と利害関係の担い手であるかぎりでの人間にすぎない。経済的社会構成の発展を自然史的過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(『資本論』第一巻「第一版へのまえがき」)


ここでマルクスがいう「経済的カテゴリー」とは、商品や貨幣というようなものではなくて、何か商品や貨幣たらしめる価値形態を意味する。 『グルントリセ』においても、マルクスは商品や貨幣というカテゴリーを扱っていた。『資本論』では、彼は、それ以前に、何かを商品や貨幣たらしめる形式に行しているのである。 商品とは相対的価値形態におかれるもの(物、サービス、労働力など)のことであり、貨幣とは等価形態におかれるもののことである。同様に、こうしたカテゴリーの担い手である「資本家」や「労働者」は、諸個人がどこに置かれているか(相対的価値形態か等価形態か)によって規定されそれは彼らが主観的に何を考えていようと関係がない。

ここでいわれる階級は、経験的な社会学的な意味での階級ではない。だから、現在の社会において、『資本論』のような階級関係は存在しないというような批判は的外れである。 現在だけでなく、過去においても、どこでもそのように単純な階級関係は存在しなかった。そして、マルクスが具体的な階級関係を考察するとき、諸階級の多様性、そして言説や文化の多様性について非常に敏感であったことは、『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』のような仕事を見れば明らかなのだ。一方、『資本論』では、マルクスは、資本制経済に固有の階級関係を価値形態という場において見ている。その意味では、『資本論』の認識はむしろ今日の状況によりよく妥当するといってよい。たとえば、今日で労働者の年金は機関投資家によって運用されている。つまり、労働者の年金はそれ自身資本として活動するのである。その結果、それが企業を融合しリストラを迫ることになり、労働者自身を苦しめることになる。このように、資本家と労働者の階級関係はきわめて錯綜している。 そして、それはもう実体的な階級関係という考えではとらえられないように見える。 しかし、商品と貨幣、というよりも相対的価値形態と等価形態という非対称的な関係は少しも消えていない。『資本論』が考察するてのはそのような関係の構造であり、それはその場に置かれた人々の意識にとってどう映ってみえよう存在するのである。


こうした構造主義的な見方は不可欠である。 マルクスは安直なかたちで資本主義の道徳的非難をしなかった。むしろそこにこそ、マルクスの倫理学を見るべきである。資本家も労働者もそこでは主体ではなく、いわば彼らがおかれる場によって規定されている。 しかし、このような見方は、読者を途方にくれさせる。……(柄谷行人『トランスクリティーク』「イントロダクション」p40-41)



……………


私はラカンの「大学人の言説」ーーこの言説は教育機関としての大学に限らず、「知の言説」、「専門家の言説」であるーーを取り上げて、学者連中を嘲罵する「悪い癖」がある[参照]。






だが柄谷のトラクリを読み返していて反省することしきりである?!


マルクスは『資本論』においていっている、貨幣が一商品であることを見ることはたやすいが、問題は、一商品がなぜいかにして貨幣となるかを明らかにすることだ、と。彼がボナパルトについていうのも同じことだ。ボナパルトに「痛烈にして才気あふるる悪口をあびせかけた」 ヴィクトル・ユーゴーに対して、マルクスは、「私は平凡奇怪な一人物をして英雄の役割を演ずることをせしめた情勢と事件とを、フランスの階級闘争がどんな風につくりだしていったかということをしめす」と書いている(『ブリュメール一八日』「第二版への序文」同前)。ユゴーのような批判を幾度くりかえしても、それは貨幣がただの紙きれだというのと同じく、何の批判にもならない。(柄谷行人『トランスクリティーク』第二部・第1章「移動と批判」第2節「代表機構」)



国際政治学者や、ときにラカン派の学者に対して痛烈な悪口をあびせかけても栓無きことである。マルクス観点からは、連中がなぜあんなにも「間抜け」になるのかを構造論ーー社会的諸関係、特にその置かれたポジションーーから究明すべきなのだろう・・・



あるいは、例えば「駒場幼稚園」とも呼ばれる場に所属する思想家や哲学者などがなぜあれほどにも「子供っぽい」のか、についても同様である。


文学や自然科学の学生にとってお極まりの捌け口、教職、研究、または何かはっきりしない職業などは、また別の性質のものである。これらの学科を選ぶ学生は、まだ子供っぽい世界に別れを告げていない。彼らはむしろ、そこに留まりたいと願っているのだ。教職は、大人になっても学校にいるための唯一の手段ではないか。文学や自然科学の学生は、彼らが集団の要求に対して向ける一種の拒絶によって特徴づけられる。ほとんど修道僧のような素振りで、彼らはしばらくのあいだ、あるいはもっと持続的に、学問という、移り過ぎて行く時からは独立した財産の保存と伝達に没頭するのである。〔・・・〕


彼らに向かって、君たちもまた社会に参加しているのだと言ってきかせるくらい偽りなことはない。〔・・・〕彼らの参加とは、結局は、自分が責任を免除されたままで居続けるための特別の在り方の一つに過ぎない。この意味で、教育や研究は、何かの職業のための見習修業と混同されてはならない。隠遁であるか使命であるということは、教育や研究の栄光であり悲惨である。(レヴィ= ストロース『悲しき熱帯』 Ⅰ 川田順造訳 p77-79)



なお、ここでの表題「精神分析の起源マルクス」はいくらか言い過ぎであるのを自覚している。「精神分析の重要な思考のいくつかがマルクスにある」と穏やかに言い直したほうがいいかもしれない。だが重要なのは、商品語の交換と人間語の交換(コミュニケーション)は相同的なものだということであり[参照]、商品の交換をめぐるマルクスの価値形態論は人間語の交換にそのまま適用できるということである。