私は何度も示しているが[参照]、ラカンの大学人の言説は「専門家の言説」であって、教育機関としての大学人には限らない。大学人に典型的に現れるだけである。その構造図は次の通り。 |
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この専門家の言説図は次のように読む。 専門知をもった者は、自らのドグマを隠蔽しつつ中立を装った言説をもって、飼い馴らされていない仔羊たちに知を発布する。通常、飼い慣らされていない聞き手は不満を覚える。そしてその不満は専門家への問いとして回帰して循環運動が始まる。 |
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それぞれの四つの箱の底部に示してある言説基本構造用語とその言説の矢印の読み方は次の通り。 専門知の受け手はほとんど常に非専門者であるという意味で「仔羊」でありながら、通常は知の送り手の発話内容を全面的に受け入れることはなく疑問を抱く筈である。まったく疑問を抱かない者たちを「羊脳」と呼ぶのを私は好む。さらに自らのドクマをまったく振り返ることなく語り続ける専門家を「羊脳学者」と呼ぶのを好む。例えば今回のウクライナ紛争においてなら篠田英朗や池内恵のたぐいである。 いまだ宇露戦争を「代理戦争」でないとする国際政治学者は脳軟化症的ではなかろうか。少なくとも多くの情報で出てきた今、代理戦争の可能性をいまだ疑わない者は先入主に固執しているに過ぎない。私はそう見做さざるを得ない。羊脳はこの「脳軟化症」も含意させている。 こういった自らの先入観に固執し続ける羊脳学者たちは、自らのドグマに反する見解を「陰謀論」と呼ぶのを最近は好むようだが、今回の紛争に於いて、いまだ陰謀論を口に出すこと自体、陰謀論者ではなかろうか。 異論に「陰謀論」レッテルを貼るのは原則的に、ある争点での主流派であり、主流派とは宇露紛争なら米英ドグマあるいはNATOイデオロギーに従順な者たちであるだろう。この今、主流派の物語と食い違う言説を「陰謀論」扱いする連中こそが、最悪の隠謀論者に他ならない。すなわち「単なるあっち系の人」である。
われわれは「花咲く羊脳国際政治学者たちのかげに」溢れ出す「告白」を楽しんで味わう時期にもうとっくになっている。彼らはもはや、《自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務》(夏目漱石『草枕』1906)にあたかも促されているかのようである。 |
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