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2022年6月25日土曜日

バラライカの響きとナターシャ

 


Алексей Архиповский - Золушка (Virtuoso balalaika player Alexey Arkhipovsky - Cinderella) 2022


次のは2011年版


Алексей Архиповский - Золушка 2011



あらゆる書物のなかで一冊だけを取りなさいと言われたら『戦争と平和』を取るだろうね、いくつかの詩集とのあいだで迷うことはないではないが。



夕方、イラーギンがニコライに別れを告げたとき、ニコライは家から非常に遠く離れているのに気がついた。で、彼はおじさんのすすめにしたがって、猟犬をミハイローフカ(おじさんの領地の小村)に止めて、一泊させることにした。


「もしお前さんがちょっと家へよってくれると、本当に『いよう、すてきすてき』なんだがなあ!」とおじさんは言った。「それより結構なことはありゃしない。ごろうじろ、こういう湿っぽい空模様だでな、ちょっと家でひと休みして、馬車でお嬢さんをつれて帰るといいよ。」


おじさんの申しこみはいれられた。ニコライは猟師ひとりを愉楽村(オトラードノエ)へ送って、馬車をまわさせることにした。彼はナターシャとペーチャとともにおじさんの家へおもむいた。…


しばらくたっておじさんがコサック服に、青いズボン、浅い長靴をはいてやってきた。この服装こそ、かつておじさんが愉楽村へきたとき、驚きと嘲りをもってみられたものであるが、しかし、ナターシャはこれが本当の服装であって、けっしてフロックにも燕尾服にも劣りはせぬと感じた。…


おじさんがはいって来てからまもなく、また戸を開けたものがある。足音から判ずるところ、素足の女中らしかった。と、いろいろなものを並べた盆を手にして、戸口からはいってきたのは、年ごろ四十かっこうの、ふとった、血色のいい、美しい年増であった。顎は二重にくくれて、唇は赤く張り切っている。彼女は眼つきや挙動に愛想のいい、人なつっこい、しかも品のある表情を浮べて、客人たちを見まわしながら、優しい笑みを含んでうやうやしく会釈した、普通以上に肥えているために、胸と腹を前へつき出して、首を後ろへひいているほどだが、それにもかかわらず、この女は(これはおじさんの家事取締りアニーシヤ・フェードルヴナである)、おそろしく軽々と歩いていた。まずテーブルに近よって盆をのせ、白いむっちりした手で壜や肴や、その他の御馳走を器用にとり出しては、テーブルに並べるのであった。それがすむと彼女は後ろへのいて、顔に笑みを浮べながら、戸口に立った。


「さあ、これがわたしですよ! いまこそおじさんがどんな人かわかったでしょう?」ロストフはこの女の出現がこう語るように思われた。実際、わからずにはいられなかった。ニコライのみならず、ナターシャまで、おじさんがどんな人かわかった。アニーシヤが入ってきたとき、おじさんがちょっと眉をひそめて、得意らしい微笑に口の端をしわめた意味もわかった。盆の上にのっていたのはーー草入り酒、果物酒、茸、バター、牛乳入りの黒パン菓子、蜂の巣にはいったままの蜜、ぶつぶつ泡の立つ煮こんだ蜜、林檎、なまのとあぶったのとふた通りの胡桃、それから、べつに蜜漬けの胡桃――こんなものであった。それから、あらためてアニーシヤは、蜜入りと砂糖入りとふた通りのジャム、ハム、焼きたての鶏などを持ってきた。


こうしたものはみなアニーシヤがきりもりして、集めて、料理したものである。すべてアニーシヤの匂いと味わいと感じをおびていた。すべてが汁けの多そうな、さっぱりした、まっ白な感じーー気持ちのよい微笑に似た感じを与えるのであった。


「おあがりなされませ、お嬢様。」ナターシャにかわるがわるあれやこれやをすすめながら、彼女はこう言い言いした。


ナターシャはなにもかも食べた。こうした牛乳入りのパン菓子や、こんな風味のジャムや、こんな蜜漬けの胡桃や、こんな鶏は、どこでも見たこともなければ、食べたこともないような気がした。…


はだしでひたひたと忙しげに歩く音が聞えて、目に見えぬ手が「独身部屋」の戸を開けた。廊下からはバラライカの響きがはっきり聞え出した。だれか上手の弾き手の業らしかった。ナターシャはずっと前からこの音に耳を傾けていたが、今度はもっとはっきり聞くために廊下へ出て行った。

「あれは家の馭者のミーチカだ……わしはあれにいいバラライカを買うてやった、わしも好きなもんでな。」とおじさんは言った。…


もっと、お願いだからもっと。」バラライカの音がとぎれるやいなや、ナターシャはそう言った。


ミーチカは調子を整えて、『奥さん』の歌を緩めたり速めたりしながら、洒落て弾きはじめた。おじさんはわずかにそれと見られる微笑を浮べながら、首を傾げてじっと坐ったまま聞いていた。『奥さん』の節は百度ばかりくりかえされた。なんべんか調子をなおしては、また同じ音をちりちりとかき鳴らしたが、聞き手にとって飽きがこないばかりか、もっともっとその音が聞きたくなるのであった。…


おじさんはだれの顔も見ずにほこりをふっと吹き、骨ばった指でギターの胴をかんと叩いて調子を整えると、肘掛け椅子の上にいずまいをなおした。そして、いくぶん芝居がかった身ぶりで、左の肘をぐいと後ろへひいて、ギターの首より上のほうを握り、アニーシヤのほうへちょっと目まぜをして、弾きはじめた。しかし、それは『奥さん』ではなかった。彼はぴんと一つ澄みきった鮮やかな音を立てると、やがて、正確な、落ちついた、とはいえ、力のはいった調子で、きわめてゆるやかなテンポをとりながら、有名な『敷石道を過ぎゆけば』の歌を弾じはじめた。アニーシヤの全存在に充満している、あの端正な快活な気分と拍子を合わせ、歌の節はニコライとナターシャの胸で鳴り始めた。…


「いいわね、いいわね、おじさん、もっと、もっと!」ナターシャは一曲すむやいなやこう叫んで、席を飛び上がりざま、おじさんを抱いて接吻した。「ニコーレンカ、ニコーレンカ!」と彼女は兄をふりかえって呼びかけたが、それはちょうと、「いったいなんということなんでしょう?」とききたげな調子であった。…


「さあ、姪御ごさん!」おじさんはひっちぎるように弾奏を止めた手で、ナターシャのほうへひとふりしながら叫んだ。


ナターシャは体にかぶっていた頭巾をかなぐりすてて、おじさんの前に飛んでいき、両手を腰にあてがいながら、肩をちょっと動かすと、そのまま踊りの姿勢になった。


この亡命フランス人の女家庭教師に教育された伯爵令嬢が、自分の呼吸しているロシヤの空気の中から、どこで、いつ、どうしてこの気合いを会得したのであろう? もうとっくにショール踊りのために追い出されてしまっているはずのこうした呼吸を、いったいどこから習得したのであろう? しかし、この気合い、この呼吸は、模倣することも習うこともできない、純ロシア的のものであって、おじさんもこれを彼女から期待していたのである。最初、ニコライその他すべての人は、彼女が見当ちがいなことをしはしないかと心配していたが、彼女がちゃんと身をかまえ、得々とした誇らしげな、しかも狡猾で愉快そうな微笑を浮べたとき、この心配は消えてしまった。


彼女はこの場合要求されていることを正確になしとげた。あまりにその手際が鮮やかなので、この仕事に必要な頭巾をさしだしたアニーシヤは、細っそりした優美な令嬢を眺めながら、笑いのひまから涙をにじませたほどである。彼女は自分とまるでかけ離れた、おかいこぐるみで育った伯爵家の令嬢が、アニーシヤにも、アニーシヤの父にも、母にも、叔母にもーーあらゆるロシア人にひそんでいるものを、すっかりのみこんでいたのがうれしかったのである。(トルストイ『戦争と平和』第2部第4篇 米川正夫訳)