イイカゲンニシロ氏はなかなか本質的なことを言っているね
しかし女が自分の価値はマンコだと真に自覚してしまったら、フロイト=ラブレーによれば、男は逃げ出すんだよな。
メドゥーサの首が女性器を代替する時、いやむしろ女性器の淫欲効果から戦慄効果を分離させるとき、場合によって女性器の剥き出しは厄除け行為として知られていることを想起できる。[Wenn das Medusenhaupt die Darstellung des weiblichen Genitales ersetzt, vielmehr dessen grauenerregende Wirkung von seiner lusterregenden isoliert, so kann man sich erinnern, dass das Zeigen der Genitalien auch sonst als apotropäische Handlung bekannt ist. ] 恐怖を引き起こすものは、敵を追い払うのと同じ効果があろう。ラブレーにおいても、女にマンコを見せられて悪魔は退散している。[Was einem selbst Grauen erregt, wird auch auf den abzuwehrenden Feind dieselbe Wirkung äussern. Noch bei Rabelais ergreift der Teufel die Flucht, nachdem ihm das Weib ihre Vulva gezeigt hat. ](フロイト、メデューサの首 Das Medusenhaupt(1940 [1922]) |
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というわけでマンコの奈落を誤魔化す常套句「歳を取った女は内面が豊か」にいくらか耽っていただくのも悪くないんじゃないかね。 あるいは母として。ヒョットシテお守り役として?
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ああ、ーー《「男と女のあいだは、うまくいかんもんだよ」、ファルスは始終それを繰り返していた…これは彼の教義の隅石だった。彼はそれをいつまでも声高に主張していた…》(フィリップ・ソレルス『女たち』1983年)
もちろんここでのファルスは誰のことかは言うまでもない。
何はともあれ、愛の原型は男と女の関係ではなく、幼児と母の関係である。一歳までは、他の動物の胎児なみの保護が必要な未熟児として生まれてくるヒトにとってこれは決定的な幼児期の出来事である。ーー《幼児の最初期の出来事は、後の全人生において比較を絶した重要性を持つ[die Erlebnisse seiner ersten Jahre seien von unübertroffener Bedeutung für sein ganzes späteres Leben]》(フロイト『精神分析概説』草稿、第7章、1939年)
小児が母の乳房を吸うことがすべての愛の関係の原型であるのは十分な理由がある。対象の発見とは実際は、再発見である[Nicht ohne guten Grund ist das Saugen des Kindes an der Brust der Mutter vorbildlich für jede Liebesbeziehung geworden. Die Objektfindung ist eigentlich eine Wiederfindung] (フロイト『性理論』第3篇「Die Objektfindung」1905年) |
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子供の最初のエロス対象は、この乳幼児を滋養する母の乳房である。愛は、満足されるべき滋養の必要性へのアタッチメントに起源がある[Das erste erotische Objekt des Kindes ist die ernährende Mutter-brust, die Liebe entsteht in Anlehnung an das befriedigte Nahrungs-bedürfnis.]。〔・・・〕 疑いもなく最初は、子供は乳房と自己身体とのあいだの区別をしていない[Die Brust wird anfangs gewiss nicht von dem eigenen Körper unterschieden]。 乳房が身体から分離され「外部」に移行されなければならないときーー子供はたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、幼児は、対象としての乳房を、根源的ナルシシズム的リビドー備給の部分と見なす。[wenn sie vom Körper abgetrennt, nach „aussen" verlegt werden muss, weil sie so häufig vom Kind vermisst wird, nimmt sie als „Objekt" einen Teil der ursprünglich narzisstischen Libidobesetzung mit sich.] |
最初の対象は、のちに、母という人物のなかへ統合される。この母は、子供を滋養するだけではなく世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を子供に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとって「原誘惑者」になる。[Dies erste Objekt vervollständigt sich später zur Person der Mutter, die nicht nur nährt, sondern auch pflegt und so manche andere, lustvolle wie unlustige, Körperempfindungen beim Kind hervorruft. In der Körperpflege wird sie zur ersten Verführerin des Kindes. ] この二者関係には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性の根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象として、後のすべての愛の関係性の原型としての母であり、それは男女どちらの性にとってもである。[In diesen beiden Relationen wurzelt die einzigartige, unvergleichliche, fürs ganze Leben unabänderlich festgelegte Bedeu-tung der Mutter als erstes und stärkstes Liebesobjekt, als Vorbild aller späteren Liebesbeziehungen ― bei beiden Geschlechtern. ](フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』第7章、1939年) |
この二文では、愛の関係の原型、あるいは根源的ナルシシズム的リビドー[ursprünglich narzisstischen Libido]の対象として「母の乳房」が強調されているが、核心は幼児の滋養器官としての母である。それは乳房よりもさらに遡る。 |
心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている[Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation. ] (フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
あるいは、《女性の場合…思春期になるにつれて、今まで潜伏していた女性の性器[latenten weiblichen Sexualorgane]が発達するために、根源的ナルシシズム[ursprünglichen Narzißmus ]の高まりが現われてくるように見える。》(フロイト『ナルシシズム入門』第2章、1914年)
男女関係のすべての厄介さはここにしかない。
人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…) eine solche Rückkehr in den Mutterleib.] (フロイト『精神分析概説』第5章、1939年) |
マンコが限りなく重要なのは、性欲の対象というよりも、《喪われた子宮内生活 [verlorene Intrauterinleben ]》(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)が男女両性にとっての愛の原像だからである。だが真のマンコ回帰は母なる大地への帰還としての死でしかない。マンコがラテン語の《魅惑と戦慄[fascinans et tremendum]》の対象であるのはこの理由である。 これは何も精神分析観点からの話ではない。例えば、マンコの至高価値は、ゴダールもよく知っていた➡︎《世界の起源(L'Origine du monde)あるいは「喪われた世界 (LE MONDE PERDU)」》 |