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2023年10月11日水曜日

文学は古今東西、マザコンのもの(古井由吉)

 


老婆に膝枕をして寝ていた。膝のまるみに覚えがあった。姿は見えなかった。ここと交わって、ここから産まれたか、と軒のあたりから声が降りた。若い頃なら、忿怒だろうな、と覚めて思った。(古井由吉『辻』「白い軒」2006年)



次の文は読み逃していたね、古井由吉bot で拾ったんだけど。


大体、文学は古今東西、本当の意味でのマザコンのものだと思うんですよ。マザコンがないと文学は成り立たない。それは大地母神と言ったり、聖母だとかいうようなものの、女が母に通じていかないと、色気が出ないんですよね。(古井由吉「文芸思潮」2010 初夏) 




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母として[quoad matrem]、すなわち《女なるもの》は、性関係において、母としてのみ機能する[…quoad matrem, c'est-à-dire que « la femme » n'entrera en fonction dans le rapport sexuel qu'en tant que « la mère »](Lacan, S20, 09 Janvier 1973)

男は女に興味などない、もし母がなかったら。[un homme soit d'aucune façon intéressé par une femme s'il n'a eu une mère.] (Lacan, Conférences aux U.S.A, 1975)

男は女と寝てみることだ、そうしたら分かる。それで充分だ。逆も一緒だ[il suffirait qu'un homme couche avec une femme pour qu'il la connaisse voire inversement.]( Lacan, S24, 16 novembre 1976)



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男児は、性行為の醜い規範から両親を例外として要求する疑いを抱き続けることができなくなったとき、彼は皮肉な正しさで、母親と売春婦の違いはそれほど大きくなく、基本的には母親がそうなのだと自分に言い聞かせるようになる。……娼婦愛…娼婦のような女を愛する条件はマザーコンプレクスに由来するのである。

Er vergißt es der Mutter nicht und betrachtet es im Lichte einer Untreue, daß sie die Gunst des sexuellen Verkehres nicht ihm, sondern dem Vater geschenkt hat. (…) 

Dirnenliebe…die Bedingung (Liebesbedingung) der Dirnenhaftigkeit der Geliebten sich direkt aus dem Mutterkomplex ableitet. (フロイト『男性における対象選択のある特殊な型について』1910年、摘要)

おそらく、幼児期の母への固着の直接的な不変の継続がある[Diese war wahrscheinlich die direkte, unverwandelte Fortsetzung einer infantilen Fixierung an die Mutter. ](フロイト『女性同性愛の一事例の心的成因について』1920年)

母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年)



マザコンは男だけのものではない、女たちにもマザコン(母への固着)がある。


少女のエディプスコンプレクスは、前エディプス的な母との結びつきの洞察を覆い隠してきた。しかし、この母との結びつきはこよなく重要であり永続的な固着を置き残す。Der Ödipuskomplex des Mädchens hat uns lange den Einblick in dessen präödipale Mutterbindung verhüllt, die doch so wichtig ist und so nachhaltige Fixierungen hinterläßt. 〔・・・〕


要するに我々は前エディプス的な母への結びつきを把握しなければ女というものを理解できないと信じるようになった。Kurz, wir gewinnen die Überzeugung, daß man das Weib nicht verstehen kann, wenn man nicht diese Phase der präödipalen Mutterbindung würdigt. 〔・・・〕


前エディプス期の固着への退行はとてもしばしば起こる。女性の生の過程で、(前エディプス期とエディプス期以後のあいだの)反復される交替がある。Regressionen zu den Fixierungen jener präödipalen Phasen ereignen sich sehr häufig; 〔・・・〕


女性の母との同一化は二つの相に区別されうる。つまり、①前エディプス期の相、すなわち母への情動的結びつきと母をモデルとすること。そして、② エディプスコンプレックスから来る後の相、すなわち、母を追い払い、母の場に父を置こうと試みること。

Die Mutteridentifizierung des Weibes läßt zwei Schichten erkennen, die präödipale, die auf der zärtlichen Bindung an die Mutter beruht und sie zum Vorbild nimmt, und die spätere aus dem Ödipuskomplex, die die Mutter beseitigen und beim Vater ersetzen will.


どちらの相も、後に訪れる生に多大な影響を残すのは疑いない。そしてどちらの相も、生の過程において充分には克服されない。しかし前エディプス期の相における情動的結びつきが女性の未来にとって決定的である。

Von beiden bleibt viel für die Zukunft übrig, man hat wohl ein Recht zu sagen, keine wird im Laufe der Entwicklung in ausreichendem Maße überwunden. Aber die Phase der zärtlichen präödipalen Bindung ist die für die Zukunft des Weibes entscheidende; (フロイト「女性性 Die Weiblichkeit」『新精神分析入門講義』第33講「女性性 Die Weiblichkeit」 1933年)




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古井由吉は1984年の段階で「幼少の砌の髑髏」ーー傷への固着ーーを記しているが、この傷への固着は、フロイトラカンにおいては、何よりもまず喪われた母の身体への固着であり、究極的には、冒頭に掲げた文の「膝のまるみ」の奥にある母胎への固着である。



頼朝公卿幼少の砌の髑髏〔しゃれこうべ〕、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼年の砌のままで。


小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩くまで固着するという悲喜劇もある。平生は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼年の苦についてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。


小児性を克服できずに育った、とこれを咎める者もいるだろうが、とても、当の小児にとっても後の大人にとってもおのれの力だけで克服できるようなしろものではない、小児期の深傷〔ふかで〕というものは。やわらかな感受性を衝いて、人間苦の真中へ、まっすぐに入った打撃であるのだ。これをどう生きながらえる。たいていはしばらく、五年十年あるいは二十年三十年と、自身の業苦からわずかに剥離したかたちで生きるのだろう。一身の苦にあまり耽りこむものではない、という戒めがすくなくとも昔の人生智にはあったに違いない。一身の苦を離れてそれぞれの年齢での、家での、社会での役割のほうに付いて。芯がむなしいような心地でながらく過すうちに、傷を克服したとは言わないが、さほど歪まずとも受け止めていられるだけの、社会的人格の《体力》がついてくる。人の親となる頃からそろそろ、と俗には思われているようだ。


しかし一身の傷はあくまでも一身の内面にゆだねられる、個人において精神的に克服されなくてはならない、克服されなくては前へ進めない、偽善は許されない、という一般的な感じ方の世の中であるとすれば、どういうことになるだろう。また社会的な役割の、観念も実態もよほど薄い、個人がいつまでもただの個人として留まることを許される、あるいは放置される世の中であるとすれば。(古井由吉「幼少の砌の」『東京物語考』1984年)




ちなみに古井由吉は母胎をめぐってこう書いている。


わたしという存在は一身の過去の記憶の、よくも思い出せないものもふくめて、漠とした積 み重ねの上に立つと取るのがまず穏当である。おのれの出生の時までは及ばないが、後に聞かされた出生の事情でも、我が身に照らしてつくづく思いあたる節があればこれも記憶、思い出せぬことながら、思い出せることよりも重い記憶になる。

しかし母胎の内にあった時、さらに受胎の時までさかのぼれば、はるか地の底の、忘却の湖 に漂っているにひとしい。この忘却の内にすでに生涯の定めが萌しているとしたら、人の記 憶ははかない、徒労のようなものになる。(古井由吉『この道』「たなごころ」2019年)