もっと滲んで 谷川俊太郎 |
そんなに笑いながら喋らないでほしいなとぼくは思う こいつは若いころはこんなに笑わなかった たまに笑ってくれると嬉しかったもんだ おまえ今いったいどこにいるつもりなんだい 人と人のつくる網目にすっぽりとはまりこんで いい仕立てのスーツで輪郭もくっきり 昔おまえはもっと滲んでいたよ 雨降りの午後なんかぼうっとかすんでいた 分からないことがいっぱいあるってことがよく分かった |
今おまえは応えてばかりいる 取り囲む人々の善意に満ちて 少しばかり傲慢に笑いながら おまえはいつの間にか愛想のいい本になった みんな我勝ちにおまえを読もうとする でもそこには精密な言葉しかないんだ 青空にも夜の闇にも愛にも犯されず いつか無数の管で医療機器につながれて おまえはこの文明の輝かしい部分品のひとつとなるだろう |
……………
とっても好きな詩だね
おそらく次の写真のなかのひとりに向けて言ってるんだろうけど
(誰とは言わないでおくよ)
ーー「日本の詩歌 現代詩集27」(昭和51年 中公文庫)
左より茨木のり子、大岡信、中江俊夫、吉野弘、水尾比呂志、友竹辰、谷川俊太郎、川崎洋(櫂同人)
一九六五年八月十二日木曜日 an anthOARogy 谷川俊太郎 |
海 どこかで船が沈んだみたい 細い木片が無数に浜へ打ち上げられてら 髪の毛も 櫂は役に立たなかったのだナ 泳げるのなら沖へ出てゆけよ 大岡 私は泳げない 茨木 他人の写真ばかり撮っていて あなたのカメラは新しい 誰かを欺いているなァ 私はそう思う 海よ! むしろ遠ざかれ |
中江 救命用のゴムボートを遊びに使って 安全すぎた私たちサ 眼鏡を波がさらっていった 眼鏡なしだと あなたは あなたの目を閉じた顔を 見まいとして見てしまうネ 吉野 げにやたとても憂きは変らぬならひとて 静かな男 やせっぽちパパ YOU WERE BORN AND YOU HAD BORN 友竹 奥さんが寂しそうに犬をいじめています ふとってふとってふとってふとって...... ぽいと 海の方へ捨てられなくなった エトセテラ ビーチパラソル 互いの子ども等を愛称で呼びあい 太陽に生活の肌をさらし 西瓜の種子は砂に埋めてナ |
大岡 マリッジ マーガリン ブルース なるなヨひもになんか 画廊の 水尾 尾は速やかに失われつつある 行雲流水 我等また無名のたくみの手に成りしもの 砂が濡れ 砂が乾き 鳥たちは彼等の思想を見失い 俺たちは我等の鳥を見失う 川崎 知らぬ間に再び君に支配された私たち デリケートな太鼓腹 歴史の外の不変のはにかみ 海にまじってイル 横須賀の人よ ※ |
三たび腹を下したね 中江 怒ればヨカッタのにいつでも この友情の小さな空間 私たちを結ぶのは過去ではなかったヨ だからこそみなあんなに優しく めいめいの現在については黙っていてサ 波もて立つや夏衣 うらぶれ渡る沖っ風 やがて闇の中にちりぢりに別れた 三十男の苦い満足 一言も詩は語らなかったゾ 求めてるのは既に一篇の善い詩などではない 畜生! それは言葉の革命なのだから だからみなお手上げだったワサ 宿命っぽい鵠沼の海に近く 松林の中で家々は眠り そこに住む人々が何を感じてるのか それを知るすべは相変らずなくて 気温は東京で二十八度に下り そしてその日が終った |