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2023年11月24日金曜日

文化はすべてごみ屑(アドルノ)

 


そうだな、例えばアドルノは次のようなことをしつこく言い続けたわけだけどさ、


アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である[Nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch」(アドルノ『文化批評』1949年)

アウシュヴィッツ以降、文化はすべてごみ屑となった[Alle Kultur nach Auschwitz, samt der dringlichen Kritik daran, ist Müll](アドルノ『否定弁証法』1966年)


ガザで大量虐殺が起こっているこの現在、しかもこの一ヶ月半、集団的西側が事実上、イスラエルを支持し続けててきた事態に直面したらアドルノは何と言っただろうな、ってのはやはり思いを馳せざるを得ないよ


もっとも彼は、ベケットとツェランは許容したらしいがね、


it was no doubt Theodor W. Adorno one of the few firsts who recognized and reflected on the affinity between the writings of Samuel Beckett and Paul Celan, who represented for him «the only writers capable of negotiating the survival of literature after Auschwitz» (Nixon, Text-void 153; Zilcosky 670-91). Their writings did not only resonate «the most extreme horrors of the century» (Adorno, GS 10 506), but bore a form of witness, whose corrosive potential could not find place in the historiographical archives (Nixon, Text-void 157), being the very immedicable wound of memory, the trace of the very absence of the witness―what remains of testimony in the exile of the word (Blanchot, Le dernier à parler 43): «Niemand / zeugt für den / Zeugnen» (Celan, Gedichte 198). Sadly, Adorno's project to substantiate his views in two essays on Celan's Sprachgitter and on Beckett's The Unnamable―as testified by the annotations Adorno penned on the books of the two authors (Adorno, GS 11 708)―remained unfulfilled due to his death on the August 6th, 1969. 

(Encounters, in Spite of All. Samuel Beckett and Paul Celan Francesco A. Clerici )




ツェランの『ことばの格子』とベケットの『名づけえぬもの』ーー、ま、どちらもトラウマの詩だよ、ツェランの訳者飯吉光夫はこう言っているけどさ、《ツェランの詩には強制収容所で失われた両親への思慕と、その死への理不尽な反抗とがあり、それをよりどころとして踏まえただけでも、彼の詩のほとんどは理解可能なものとなるはずである》。何よりもまず「死のフーガ」だな、あの黒いミルク。


繰り返し引用している中井久夫の言い方なら「冥府からの途切れがちの声」だ。



「若きパルク」は「誰が泣くのか、過ぎ行く一筋の風ならで/いやはての星々とともにひとりあるこのひとときに」で始まる。『ドゥイノの悲歌』は「誰が、たとえ私が叫ぼうとも、天使たちの序列の中から私の声を聞いてくれようか」で始まる。いずれも鋭い、答えのない「誰が?」で始まる。

そうして「若きパルク」では個人の意識の中に、『ドゥイノの悲歌』では人間の現存在世界とでもいうべきものの中に、ずんずん下って行く。『荒地』だけは問いかけではなく、「四月は残酷な月だ」で始まるが、中途に「誰が?」「誰だ?」という問いかけをいく度も放ちながら、現代社会の荒廃と索莫の地獄めぐりを行う。いずれの詩も最後近くににわかに上昇に転じ、肯定で終わるが、肯定は唐突であり、どこかに弱さがある。読み終えた者の耳に残るものは不安で鋭い問いかけの方である。

これらの詩を二十世紀後半の詩と隔てるものは何であろうか。

私たちは三歳から五歳以後今まで連続した記憶を持っている。むろん忘却や脱落はあるが、にもかかわらず、自我は一つで三歳以後連続している確実感がある。それ以前の記憶は断片的である。また成人型の記憶は映画やビデオのように、いやもっとダイナミックに動いているが、ある時期の記憶は前後関係を欠き、孤立したスティール写真のような静止画像である。成人型の記憶と違って、言葉に表しにくい。


「若きパルク」も『ドゥイノの悲歌』も、『荒地』でさえも、映像も言語も成人型の記憶のように動き流れていく。断絶や飛躍を越えて連続性がある。前後関係があり遠近がある。

これに対して、二十世紀後半の詩は孤立した鋭い断片であって、成人以前の記憶が禁止を破って突き上げてきた印象がある。このタイプの映像は幼い時の記憶だけでなく、たとえ成人であっても耐えがたい心の傷を負った時には、その記憶がとる形である。


たとえばパウル・ツェランの詩が痛ましさを以て迫るのは、その内容だけでなく詩句もそれが呼び起こす映像も外傷的記憶の形をとっているからであると私は思う。それはもはや冥府下りでなく、冥府からの途切れがちの声である。(中井久夫「私の三冊」初出1996年『アリアドネからの糸』所収)




冥府下りじゃないんだ、冥府からの途切れがちの声だ。アドルノがアウシュヴィッツ以後許容したのはこれだよ。


ま、もちろんこういう指摘は現在の文芸界ではほとんどすっかり忘れられている。



灰色の雲にさえ不感症のヤツばかりだよ、

……芸術の領域でも統合の過程はすすむだろう。これまでのように、あらゆる傾向をまぜあわせて中性化し、批判を無効にするだけでは充分ではない。そらぞらしいことばや映像や音の洪水にまぎれて沈黙のうちにコトをすすめるという日和見主義では、拡張主義や文化統制の実体をおおうことがむつかしくなっている。積極的に支配のことばを打ちだし、批判を排除しないまでも周辺の安全地帯に誘導する操作が必要な時期だ。この文化統制は、あからさまな形をとることなく進行するだろう。軍国主義下の翼賛体制のように強制されることもなく、自覚さえなしに、みんなが転向するのだ。

音楽の領域でもそのきざしはあらわれはじめた。作曲者たちを支配する明るい無気力、演奏会場の官僚主義的管理、飼いならされ、しつけられた聴衆、消費の周期ははやくなる。だれもが作曲家、演奏家、聴衆のきめられた役割のなかで、予期される以上でも以下でもない演技をつづける。
羊たちの背をなでる生ぬるい風の上に、かすかに灰色の雲がひろがっていく。(高橋悠治『ロベルト・シューマン』1978年)



アドルノ曰くの「文化はすべてごみ屑となった」ーーこのゴミ屑に専念してんだろうよ、にこやかにね。