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2023年12月17日日曜日

中上健次の『紀州』なる「死の欲動の物語」

 

前回、いい男たちの名と文を何人か挙げたが、折口に絡んで言えば、中上健次という途方もないいい男を忘れてはならない。特に『紀州 紀の国・根の国物語』はあまりにも直接的に「魂のふる郷としての妣が国」をめぐるルポルタージュである。

すさのをのみことが、青山を枯山なす迄慕ひ歎き、いなひのみことが、波の穂を踏んで渡られた「妣が国」は、われ〳〵の祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであらう。(折口信夫「妣国へ・常世へ 」『古代研究 民俗学篇第一』1929年)

……「妣が国」と言ふ語が、古代日本人の頭に深く印象した。妣は祀られた母と言ふ義である。(折口信夫「最古日本の女性生活の根柢」『古代研究 民俗学篇第一』1929年)


ーー《匕は、妣(女)の原字で、もと、細いすき間をはさみこむ陰門をもった女や牝(めす)を示したもの。》(漢字源)



余分なことは言わない。私の愛する中上健次の文章をいくつか列挙する。



◼️島は女陰のようにある

その遊廓跡に行ってみた。

四方を海に取り囲まれ、遊廓は、自然に出来た塀の中にある。人工的な塀なら、外は見ないかもしれないが、自然の海の塀なら、そこから串本が見え、潮岬のある岬の町が見え、すこし行けば古座が見える。 すぐ後ろは、隠国の山々が、日を浴びて白く光っている。海に取り囲まれている事が物狂おしい。いや、違うと思った。親たちの借銭のために売られ、性を知った女郎らは、その自然を呼吸し、その自然に同化し、性という自然と反自然の溶け合うもので、男らを籠絡しようとしたはずだった。島は女陰のようにある、と思った。そして、気づいた。串本節ならぬ大島節は、籠絡された男らの歌である。 女郎、遊女という陰の女らへの恋歌である。この陰をふまえて、大島はある。(中上健次『紀州 紀の国・根の国物語』「紀伊大島」1978年)



◼️折口信夫の『死者の書』のように不死の人が、眠り込み、いま目を開けはじめている…ふと外傷もなく、なによりも生きている事に気づいて涙が出た

風が吹く。森の樹木が蠕動するように動いている。そこにたとえば折口信夫の『死者の書』のように不死の人が、眠り込み、いま目を開けはじめていると思った。月明かりの夜空は雲の形がはっきりと見分けられ、その空に黒く浮きあがった森に、いまめざめたばかりの者が寒さに鳥肌立て、あまりの寒さの氷粒のような涙をにじませている。〔・・・〕


雨が降っていた。新宮に向かうトンネルを越したすぐのカーブを曲りそこね、車は転倒した。 硝子の全てが破れた。車はグシャグシャになった。胸と腰を打ちつけしばらくガソリンのもれる車内で呼吸する事も出来ずいたが、死ぬ事はなかった。外へ出て、雨の降る道で、一時坐り込み、ふと外傷もなく、なによりも生きている事に気づいて涙が出た。その夜から一日、私は、自分のために、通夜にこもった。

再び旅に出る。(中上健次『紀州 紀の国・根の国物語』「伊勢」)



◼️古座が妣の国であり、その母の一生を視界に入れた言葉の書き手たる息子には空浜はまぎれもなく存在する

古座。ここは紀州を経巡る旅の初めに立ち寄った場所だが、伊勢を過ぎて、この土地に再び来たのは、古座の土地の人から事実とルポルタージュ古座篇の違いを指摘されたからだった。「事実」それを求めるのに私もやぶさかではない。それに古座とは、私の偏愛の土地である。私の母親はここで生まれたし、祖母がその古座に住んでいたので、母は新宮から何かれと帰りたがった。実際、何度行っても、人の心を魅く風景である。雨が降った午後、国道を車で走らせていてふとその川口のそばの海の波を川口から見たくなり、車を川原にいれる。川口と海を分けるように架けられた橋ゲタに、海からの波はもりあがり、音をたてて打ち当たる。 そこが、私が母親から聞かされていた空浜である。しかし、古座の人々は、そのような言葉は、使わない、と言う。

確かにそうだ、と私は納得する。だが母の血を半分ほど受け、この川口に言葉に尽くせぬせぬ思いが残っている私に、そこはまぎれもなく空浜である。つまり人々にとって空浜という名の浜はどこにも存在しないことは確かであるが、古座が妣の国であり、その母の一生を視界に入れた言葉の書き手たる息子には空浜はまぎれもなく存在する。波はくだける。波は散る。あらためてその波を見て、詮ない事だ、とは思うが。(中上健次『紀州 紀の国・根の国物語』「古座川」)



◼️母に体をすりよせて暖まってくると、私は息が出来なくなるほど、喉が苦しくなる

枯木灘。

ボッと体に火がつく気がした。いや、私の体のどこかにもある母恋が、夜、妙に寒いと思っていた背中のあたりを熱くさせている。高血圧と心臓病で寝たり起きたりしている母でなく、 小児ゼンソク気味の幼い私が、夜中、寒い蒲団の中で眼をさますと、今外から帰ってきたばかりだという冷たい体の母がいる。さらにすりよると、母は化粧のにおいがした。母に体をすりよせて暖まってくると、私は息が出来なくなるほど、喉が苦しくなる。(中上健次『紀州 紀の国・根の国物語』「吉野」)



◼️私が背にしたその山々が、母親の胎内の役をもしている

あらためて熊野・紀州とは何だろうと思う。田辺のここも、前が海で、後ろが山で山中に棄てられるとは、私が背にしたその山々が、母親の胎内の役をもしている。数えきれぬくらい何度もその山中を車で走り廻り、車を停めて歩き、人に会い、それでなおその山々の連なりがわからぬ。密かに呼吸している。杉木立の中に入らずとも、まがりくねった細い道を車で走りその道におおいかぶさる杉の梢の下に入ると、湿気た甘い空気が窓から入り込む。くもり日の時なら、梢の下の道と梢の切れた道では温度が十度ほども違っているのを知る。熊野が、観念であり、物語の芯であり、なお実体として私にある。(中上健次『紀州 紀の国・根の国物語』「田辺」)



◼️人は生き物としての力抜きには生きられないし、死の力を無視する事は出来ぬ

紀伊半島、紀州を旅して廻って私はいまここにいる、と思う。この旅の意味を一言で言うのは難しい。と言うのも、紀州、紀伊半島が実に豊かな事実、事物の宝庫としてあるという実感があるからである。車で走った距離はのべ何万キロになろうか、費やした日数はどれほどになろうかと思う。そうやって天王寺にいきつき、そこである少女が「三」に朝鮮人を言い、「四」は被差別部落民を言い、だから混血の自分は「七」だ、とケラケラ笑ったのを思い出し、まず私はこの紀伊半島の旅で必ず触れてきた被差別部落のその蔑称を考えてみる事にする。「四」とは所謂差別語であると言われる。数字「四」が差別語であるのは、被差別部落民の蔑称としてあった事が最大の原因だが、私が考えるのは差別、被差別の光線が当たるとその単に物を数える数字が妙になまなまとしはじめる不思議さについてである。四とは四つ足に通じ、死に通じ、それゆえに疎ましい。確かにそうである。 人の内にある獣性、生き物としての力と、 死の力は、この市民社会の社会規約の中で暮らす者には疎ましく恐ろしい。だが人は生き物としての力抜きには生きられないし、死の力を無視する事は出来ぬ。「四」とは畏怖を引き起こす。そこから私は、被差別の力、「四」の力、と旅をしながら考えたのだった。〔・・・〕


差別語「四」なるものを被差別語「四」として考えると、その単なる数字に力が充満しはじめるのが不思議である。

その差別、被差別の回路を持って私は、紀伊半島を旅し、その始めに紀州とは鬼州であり、喜州でもあると言ったが、いまも私にはこの紀伊半島そのものが輝くほど明るい闇に在るという認識がある。ここは闇の国家である。日本国の裏に、名づけられていない闇の国として紀伊半島がある。日本を統〔すめら〕ぐには空にある日ひとつあればよいが、この闇の国に統ぐ物は何もない。事物が氾濫する。人は事物と等価である。そして魂を持つ。何人もの人に会い、私は物である人間がなぜ魂を持ってしまうのか、そのことが不思議に思えたのだった。魂とは人のかかる病であるが、人は天地創造の昔からこの病にかかりつづけている。(中上健次『紀州 紀の国・根の国物語』「終章  闇の国家」)




見ての通り、この『紀州』は死の欲動の物語でもある。



◼️最も暗黒な有機体の欲動

外部から来て、刺激保護壁を侵入するほどの強力な興奮を、われわれは外傷性のものと呼ぶ。Solche Erregungen von außen, die stark genug sind, den Reizschutz zu durchbrechen, heißen wir traumatische. (フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)

刺激を受けいれる皮膜層の刺激保護壁が、内部からくる興奮にたいして欠けているために、この刺激伝達が大きな経済論的意味をもつようになり、しばしば外傷神経症と同列におかれる経済的障害をひきおこす機縁になるにちがいない。このような内部興奮の最大の根源は、いわゆる有機体の欲動[Triebe des Organismus]であり、身体内部[Körperinnern]から派生し、心的装置に伝達されたあらゆる力作用の代表であり、心理学的研究のもっとも重要な、またもっとも暗黒な要素 [dunkelste Element]でもある。

Der Mangel eines Reizschutzes für die reizaufnehmende Rindenschicht gegen Erregungen von innen her wird die Folge haben müssen, daß diese Reizübertragungen die größere ökonomische Bedeutung gewinnen und häufig zu ökonomischen Störungen Anlaß geben, die den traumatischen Neurosen gleichzustellen sind. Die ausgiebigsten Quellen solch innerer Erregung sind die sogenannten Triebe des Organismus, die Repräsentanten aller aus dem Körperinnern stammenden, auf den seelischen Apparat übertragenen Kraftwirkungen, selbst das wichtigste wie das dunkelste Element der psychologischen Forschung. (フロイト『快原理の彼岸』第5章冒頭、1920年)


生の目標は死である[Das Ziel alles Lebens ist der Tod] 〔・・・〕有機体はそれぞれの流儀に従って死を意志する。生命を守る番兵も元をただせば、死に仕える衛兵であった[der Organismus nur auf seine Weise sterben will; auch diese Lebenswächter sind ursprünglich Trabanten des Todes gewesen. ](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)


われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)

以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要)

人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある[Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, (…)  eine solche Rückkehr in den Mutterleib. ](フロイト『精神分析概説』第5章、1939年)



◼️「出産外傷=原トラウマ=原不安」とその回帰(原抑圧されたものの回帰)

出産外傷、つまり出生行為は、一般に母への原固着[ »Urfixierung«an die Mutter ]が克服されないまま、原抑圧[Urverdrängung]を受けて存続する可能性をともなう原トラウマ[Urtrauma]と見なせる。

Das Trauma der Geburt .… daß der Geburtsakt,… indem er die Möglichkeit mit sich bringt, daß die »Urfixierung«an die Mutter nicht überwunden wird und als »Urverdrängung«fortbesteht. …dieses Urtraumas (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年、摘要)

不安は対象を喪った反応として現れる。…最も根源的不安(出産時の《原不安》)は母からの分離によって起こる[Die Angst erscheint so als Reaktion auf das Vermissen des Objekts, (…) daß die ursprünglichste Angst (die » Urangst« der Geburt) bei der Trennung von der Mutter entstand.](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)

結局、成人したからといって、原トラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)


心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている[Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation. ](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)



中上健次の『紀州』は、これらフロイト記述の近似表現がーー中上自身はもちろん意図せずにーー実に頻出する作品である。人はフロイトを通して『紀州』を読むのではなく、『紀州』を通する事によってフロイトの死の欲動の理解が深まる、とさえ私は言いたいぐらいである。