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2024年1月8日月曜日

なんのために


◼️加藤周一『羊の歌』「古きよき日の想い出」の章より

私はいわゆる内幕話や、特別の情報と称するものを、好みもしなかったが、また知りもしなかった。「南京虐殺」のことさえ、私がそれを知ったのは、日本の軍国主義が崩れ去った一九四五年以後のことにすぎない。「南京虐殺」だけではなく、私はそのときまで、強制収容所や、ドゥレスデンや、広島で、何人の婦人・子供・非戦闘員が殺されたのかも、知らなかった。いや、最近になって、ある新聞記事を読むまでは、南ヴェトナムの子供たちがどれほど殺されたのかということも、ほとんど知らなかった。「一九六一年から六六年まで、ナパームで爆撃された南ヴェトナムの村では二五万人の子供が死んだ」とその新聞の記事は報告していた、「七五万人が手肢をもぎとられ、負傷し、火傷を負った……」(記事のもとになったのは、米国のカトリックの学校で、子供のための研究所を指導していた人のヴェトナム視察報告である。)そこに書かれていた数字は、正確ではなかったかもしれない。しかし故意に誇張されていたのではなかっただろう。たとえ殺された子供が、二五万人でなく、実は二〇万人であったとしても、三〇万人であったとしても、そのことの意味に変わりはない。それをどうすることも私にはできない。とすれば、なんのために、遠い国のみたこともない子供たちのことを、私は気にするのであろうか。――その「なんのために」に、私はみずからうまい返答を見出すことができない。 


新聞記事を読んだ日の夕方に、私は旧知の実業家とハンガリア料理の店で、夕食をしていた。〔・・・〕久しぶりで会った私たちは、飲食の評判をしたり、最近の下着の流行の話をしていた。(実業家の若い妻君は、そういうことに詳しかった。)私はそういう話が少しつづいたところで、「どうも経済的繁栄の第一の徴候は、瑣末主義のようですな」といった。私はそれを、自ら嘲りながら、皮肉な冗談としていったのである。しかし実業家の妻君は、それを真面目な非難としてうけとったらしい。「それはどういう意味ですか」と彼女は笑わずに反問してきた。「ヴェトナム戦争の真最中に、私たちが出会って、流行の袖の長さが一糎長いか短いかという話をしているということですよ」と私は説明した。「いいじゃないか」と実業家はいった。「二五万人の子供が殺されている、という話を知っていますか」「ぼくは信じないね」「そう気軽にいいなさんな」と私はいった、「そもそもあなたは、ヴェトナム戦争についてはどんな初歩的なことも知らないのでしょう。交戦している一方の側の言分は漠然と知っていても、他方の側の言分は一度も読んだことさえない。ジュネーヴ協定の内容も、三国監視委員会の公式報告も見たことがない。それでは、私のいったことが、ありそうもない、と考える根拠もないでしょう。基礎資料を見もしないで、ぼくは信じない、などといっているから、あなた方は、ナチが何百万人も殺してしまった後になって、強制収容所と毒ガス室のことは知らなかった、といい出すのだ。彼らは知らなかったのではなく、知りたくなかったのだ。あなたが信じないのではなく、信じたくないのだ……」。 


「ぼくはそういうことを知りたくないね、平和にたのしんで暮したいのだ」とその実業家はいった、「知ったところで、どうしようもないじゃないか」――たしかに、どうしようもない。しかし「だから知りたくない」という人間と、「それでも知りたい」という人間とがあるだろう。前者がまちがっているという理くつは、私にはない。ただ私は私自身が後者に属するということを感じるだけである。しかじかの理くつにもとづいて、はるかに遠い国の子供たちを気にしなければならぬということではない。彼らが気になるという事実がまずあって、私がその事実から出発する、また少なくとも、出発することがある、ということにすぎない。二五万人の子供……役にたっても、たたなくても、そのこととは係りなく、そのときの私には、はるかな子供たちの死が気にかかっていた。全く何の役にもたたないのに、私はそのことで怒り、そのことで興奮する。……(加藤周一『羊の歌』「古きよき日の想い出」 P167-169 、1968年)


◼️『続 羊の歌』「格物到知」の章より

いくさの間語り合うことの多かった旧友の一人は、中国の戦線へ行き、病を得て還った。戦後の東京で出会ったときに、「政治の話はもうやめよう」と彼はいった。「ぼくはひっそりと片すみで暮したいよ」「しかし君を片すみからひきだしたのは戦争だね、戦争は政治現象だ」と私はいった。「戦争はもう終ったではないか」「政治現象は、決して終らない」「しかしどうにもならぬことではないか」「たとえどうにもならないことであるとしても」とそのときに私はいった、「ぼくはぼくの生涯に決定的な影響をあたえたし、またあたえることのできるだろう現象を、知りたいし、見きわめたいと思う。たとえどうにもならないとしても、女房の姦通の相手を知りたいと思うのと同じことだ」「ぼくは知りたくないね」と彼はいった。「それは、どうにもならないから、ではないだろう。知りたくないということがまずあって、どうにもならない、という理くつがあとから来るのだ」「そうかもしれない、そうしておいてもいいよ」「しかしその理くつはおかしいのだ。君はしずかに暮したいという。しずかに暮らすための条件は、君の女房の行動よりも、もっと決定的に、われわれの国の政府がどういう政策をとるかということだ。それは知りたくない……」「何も知らずに暮しているのが、いちばん幸福だね」と彼は呟き、私は彼を理解していた。いくさの傷手は、私の想像も及ばぬほど深かったにちがいない。それは私の想像も及ばぬ経験があったからだろう。もはやそれ以上いうことは何もなかった。しかし私は物理的にそれが不可能でないかぎり、私自身を決定する条件を知らなければならない。歴史、文化、政治……それらの言葉に、私にとっての意味をあたえるためには、私自身がそれらの言葉とその背景につき合ってみるほかない。(『続 羊の歌』P183-184




しかし「何も知らずに暮しているのが、いちばん幸福」なのにーーこのいまなら「知っていても知らないふりして暮らしているのがいちばん幸福」だなーー、「なんのために」知りたいと思うんだろ。とっても難問だね。


当面、史上最高の心理学者ニーチェに訊いてみようか。




◼️ニーチェの同情ーー『曙光』第133番より(パラグラフわけして小題つけた)


①無思慮の同情

「もはや私のことを思わない。」――まあ本当に徹底的にとくと考えてもらいたい。眼の前で誰かが水の中に落ちると、たとえそうしたくないにせよ、われわれがそのあとから飛びこむのは、なぜか? 同情のためである。そのときわれわれはもう他人のことだけを思っている。――と無思慮[Gedankenlosigkeit]がいう。誰かが血を吐くと、彼に対して悪意や敵意さえ持っているのに、われわれが苦痛と不快を感じるのは、なぜか? 同情のためである。われわれはその際まさしくもはや自分のことは思っていない。――と無思慮が言う。


②無私の同情の嘘

真実は、同情というときーー私は間違ったやり方で通常同情と呼ばれるのが常であるもののことを考えているのだが、――われわれはなるほどもはや意識的にわれわれのことを思っていないけれども、極めて強く無意識的にわれわれのことを思っているのである。ちょうど足がすべったとき、われわれにとって現在意識されていないが、最も目的にかなった反射運動をし、同時に明らかにわれわれの知性全体を使用しているように。


③自己の名誉による同情

他人の不幸は、われわれの感情を害する。われわれがそれを助けようとしないなら、それはわれわれの無力を、ことによるとわれわれの卑怯を確認させるであろう。言いかえると、 それはすでにそれ自体で、他人に対するわれわれの名誉の、またはわれわれ自身に対するわれわれの名誉の減少を必然的にともなう。換言すれば、他人の不幸と苦しみの中にはわれわれに対する危険の指示がある。そして人間的な危うさと脆さ一般の目印としてだけでも、それらはわれわれに苦痛を感じさせる。


④自己防衛としての同情

われわれは、この種の苦痛と侮辱を拒絶し、同情するという行為によって、それらに報復する。この行為の中には、精巧な自己防衛やあるいは復讐[feine Nothwehr oder auch Rache]さえもありうる。われわれが根底において強くわれわれのことを思うということは、われわれが苦しむもの、窮乏するもの、 悲嘆するものの姿を避けることのできるすべての場合に、われわれの行なう決心からして推測される。


われわれが不幸な人物たちを避けることをしまいと決心するのは、われわれが一層強力なもの、助けるものとしてやって来ることができるとき、喝采を博することの確実であるとき、われわれの幸福の反対のものを感じるのを望むとき、あるいはまたその姿によって退屈から脱出することを期待するときである。


そのような姿を見るときわれわれに加えられ、しかも極めて多種多様でありうる憂苦を同情と名づけることは、誤謬を招く。なぜなら、どんな事情があっても、 それは、われわれの前で苦しんでいる者とは関係がない憂苦であるからである。


⑤快としての同情

しかしわれわれはこの種のことを、決してひとつの動機から行なうのではない。われわれが その際苦しみからの解放を望んでいることが全く確実であるように、われわれが同じ行為において、快の衝動[Antriebe der Lust]に服従することもやはり確実である。――快が生じるのは、われわれの状態の反対のものの姿を見るときである。われわれが望みさえすれば助けうるという考えをもつときである。われわれが助けた場合、賞賛され、感謝されるという思いを抱くときである。行為がうまくゆき、そしてそれが一歩一歩成功するものとして実行者自身を楽しませるかぎり、助けるという行為そのものの中においてである。しかしとくに、われわれの行為が腹立たしい不正を制限する(彼の腹立たしさの爆発だけでも気分をさわやかにする)という感覚の中においてである。


⑥ショーペンハウアーの誤謬

この一切合財に、さらに一層精巧なものがつけ加わると、 「同情」である。――言語はそのひとつの言葉を用いて、何と不格好に、そのように多声的な存在の上に襲いかかることであろう! ――これに反して、苦しみを眺めるときに起きる同情が、その苦しみと同種のものであること、あるいは、同情が苦しみに対して特別に精巧な、透徹した理解をもつこと、この二つのことは、経験と矛盾する。そして同情をほかならぬこの二つの視点で称賛した者は、まさに道徳的なもののこの領域において、十分な経験を欠いていたのである。ショーペンハウアーが同情について報告することのできるすべての信じがたい事柄にもかかわらず、これが私の懐疑である。彼はわれわれをして、彼の大きな新発明品を信じさせようとしている。それによると、同情はーー彼によって極めて不完全な観察がなされ、全く粗悪な記述がなされた、まさにその同情はーー、一切のあらゆる以前の、また将来の道徳的な行為の源泉であるーーしかも彼がはじめて捏造して、 同情になすりつけたほかならぬその能力のためにそうなのである。――


⑦同情をもたない人間の心理

おしまいに、同情をもたない人間は、同情する人間と何で区別されるか? 何よりもまずー ーここでもやはり荒っぽくのべるだけであるがーー同情をもたない人間は、恐怖という刺激されやすい想像力や、危険をかぎつける鋭い能力をもっていない。さらに、何事か起きても、かれらが阻止できるならば、彼らの自惚れはそんなに速やかに傷つけられはしない (彼らの誇りの慎重さは、関係のない事柄に無益な干渉をしないように、彼らに命令する。 それどころか、彼らは自発的に、各人が自分自身を助け、自分自身のトランプで遊ぶことを好むのである)。その上彼らは大てい、同情的な人間よりも、苦痛に堪えることに馴れている。さらに彼ら自身苦しんできたのであるから、他人が苦しむことは、彼らにはそう不公平には思われない。


⑧同情という利己主義

最後に彼らにとっては心の優しい状態は、ちょうど同情する人間にとってストア主義的な無関心の状態が苦痛であるように、苦痛である。彼らはその状態に軽蔑的な言葉を付加し、自分の男らしさと冷たい勇気がそれによって危険にさらされたと思う。 ――彼らは涙を他人の眼からかくし、自己自身に立腹して、それをぬぐう。同情する人間とは別の種類の利己主義である[sie verheimlichen die Thräne vor Anderen und wischen sie ab, unwillig über sich selber. Es ist eine andere Art von Egoisten, als die Mitleidigen]。――しかし彼らを紛れもない意味で悪いと呼び、 同情する人間をよいと呼ぶことは、時をえているひとつの道徳的な流行にほかならない。 ちょうど反対の流行にも時が、しかも長い時があったように! (ニーチェ『曙光』第133番、1881年)




あるいはやっぱりこれかね、

性欲動の発達としての同情と人類愛。復讐欲動の発達としての正義[Mitleid und Liebe zur Menschheit als Entwicklung des Geschlechtstriebes. Gerechtigkeit als Entwicklung des Rachetriebes. ](ニーチェ「力への意志」遺稿、1882 - Frühjahr 1887 )


性欲動が弱いと同情起こりにくいのかもな、美的感性がニブイ連中とかさ。

芸術や美へのあこがれは、性欲動の歓喜の間接的なあこがれである[Das Verlangen nach Kunst und Schönheit ist ein indirektes Verlangen nach den Entzückungen des Geschlechtstriebes ](ニーチェ遺稿、1882 - Frühjahr 1887 )