マゾヒストは、小さな、寄る辺ない、依存した子供、とくに駄々っ子として取り扱われることを欲している。der Masochist wie ein kleines, hilfloses und abhängiges Kind behandelt werden will, besonders aber wie ein schlimmes Kind.(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年) |
いつも命令してばかりいる仕事についていると、マゾヒストになりたくなるらしいよ(逆も真であり、命令されてばかりいる仕事についているとサディストになりたくなる)。 ジジェクが愉快な例を挙げている。 “Slaves are us,”で検索しても出てこないから話半分で読むべきかもしれないが、いかにもサモアリナンの話だね。 |
ニューヨークには「奴隷は私たちです」と呼ばれる代理店があって、人のアパートの部屋を無料で掃除し、その家の主婦に乱暴に扱われたいという人を提供している。この代理店は、掃除をする人を広告を通して集める(その謳い文句は「隷従そのものが報酬です!」である)、応募してくる人の大半が,高い報酬を得ている重役や医者や弁護士で,彼らは動機を聞かれると、いつも責任を負っていることがいかに気分が悪いかを力説する――乱暴に命令されて仕事をし、どなりつけられることをこよなく楽しむのだ。<存在>への通路を得る手段として彼らに開かれているのはそれだけだからである。ここで見逃してならない哲学的に大事な点は、〈存在〉への唯一の通路としてのマゾヒスムは、近代のカント的主観性、つまり、自己関係する否定性という空虚な点に帰着する主体と、厳密に相関しているということである。 |
There is an agency in New York called “Slaves are us,” which provides people who are willing to clean your apartmnent for free, and want to be treated rudely by the lady of the house. The agency gets the cleaners through ads (whose motto is “Slavery is its own reward!”): Most of them are highly paid executives, doctors, and lawyers, who, when questioned about their motives, emphasize how they are sick of being in charge all the time―they immensely enjoy just being brutally ordered to do their job and shouted at, insofar as this is the only way open to them to gain access to Being. And the philosophical point not to be missed here is that masochism as the only access to Being is strictly cor-relative with the modern Kantian subjectivity, with the subject reduced to the empty point of self-relating negativity. |
(ジジェク『精神分析はサイバースペースについて何を教えてくれるのか?』Slavoj Zizek, WHAT CAN PSYCHOANALYSIS TELL US ABOUT CYBERSPACE? 2004) |
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マゾヒストにはドゥルーズの《マゾヒストは専制的女性を養成せねばならない。〔・・・〕マゾヒストは本質的に訓育者なのである[Il faut que le masochiste forme la femme despote. ... Il est essentiellement éducateur. ]》(『マゾッホとサド』1967年)という比較的よく知られた話もあるがーーこれは谷崎潤一郎のマゾヒズムによく現れているーー、ここではフロイトによるマゾヒズム機制の説明を掲げる。 乳幼児のときは人はみな母に対して受動的ポジションに置かれる。 |
母のもとにいる幼児の最初の体験は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動的な性質のものである[Die ersten sexuellen und sexuell mitbetonten Erlebnisse des Kindes bei der Mutter sind natürlich passiver Natur. ](フロイト『女性の性愛 』第3章、1931年) |
この受動性がフロイトにとってマゾヒズムあるいは女性性だ。 |
マゾヒズムはその根において、女性的受動的である[masochistisch, d. h. im Grunde weiblich passiv.](フロイト『ドストエフスキーと父親殺し』1928年) |
ここでの女性性とは生物学的女性ではなく、受動性を意味するので注意。 |
男性的と女性的とは、あるときは能動性と受動性の意味に、あるときは生物学的な意味に、また時には社会学的な意味にも用いられている。これら三つのつの意味のうち最初の意味が、本質的なものであり、精神分析において最も有用なものである。Man gebraucht männlich und weiblich bald im Sinne von Aktivität und Passivität, bald im biologischen und dann auch im soziologischen Sinne. Die erste dieser drei Bedeutungen ist die wesentliche und die in der Psychoanalyse zumeist verwertbare. 〔・・・〕 人間にとっては、心理学的な意味でも生物学的な意味でも、純粋な男性性または女性性は見出されない。個々の人間はすべて、自らの生物学的な性特徴と異性の生物学的な特徴との混淆をしめしており、また能動性と受動性という心的な性格特徴が生物学的なものに依存しようと、それに依存しまいと同じように、この能動性と受動性との融合をしめしている。 Diese ergibt für den Menschen, daß weder im psychologischen noch im biologischen Sinne eine reine Männlichkeit oder Weiblichkeit gefunden wird. Jede Einzelperson weist vielmehr eine Vermengung ihres biologischen Geschlechtscharakters mit biologischen Zügen des anderen Geschlechts und eine Vereinigung von Aktivität und Passivität auf, sowohl insofern diese psychischen Charakterzüge von den biologischen abhängen als auch insoweit sie unabhängig von ihnen sind.. (フロイト『性理論三篇』第三篇、1905年、1915年註) |
フロイト臨床の基盤「固着概念」を通していえば、人はみな幼児期に欲動つまりリビドーのマゾヒズム的固着がある。 |
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幼児期に固着された欲動[der Kindheit fixierten Trieben]( フロイト『性理論三篇』1905年) |
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無意識的なリビドーの固着は性欲動のマゾヒズム的要素となる[die unbewußte Fixierung der Libido …vermittels der masochistischen Komponente des Sexualtriebes](フロイト『性理論三篇』第一篇 , 1905年) |
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そしてこの固着へ退行することがしばしばある。 |
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固着と退行は互いに独立していないと考えるのが妥当である。発達の過程での固着が強ければ強いほど、その機能はその固着へ退行することで外部の困難を回避しやすくなる[Es liegt uns nahe anzunehmen, daß Fixierung und Regression nicht unabhängig voneinander sind. Je stärker die Fixierungen auf dem Entwicklungsweg, desto eher wird die Funktion den äußeren Schwierigkeiten durch Regression bis zu jenen Fixierungen ausweichen](フロイト『精神分析入門」第22講、1917年) |
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前エディプス期の固着への退行はとても頻繁に起こる[Regressionen zu den Fixierungen jener präödipalen Phasen ereignen sich sehr häufig; ](フロイト『続精神分析入門』第33講、1933年) |
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この固着は母への固着にほかならない。 |
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母へのエロス的固着の残滓は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への隷属として存続する[Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. ](フロイト『精神分析概説』第7章、1939年) |
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女への隷属とあるが、これがマゾヒズムである。 |
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男性はしばしば女性にたいしてマゾヒズム的態度、隷属さえ示す[daß solche Männer häufig ein masochistisches Verhalten gegen das Weib, geradezu eine Hörigkeit zur Schau tragen](フロイト『終りある分析と終りなき分析』第8章、1937年) |
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フロイトは生物学的男性を例に出しているが、もちろんここまで見てきたように、これは男性に限らず、原幼児期には男女両性とも母へのマゾヒズム的固着があり、そこへ退行(回帰)することがしばしばある。これがフロイトの臨床的観察の結論である。 …………
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なにはともあれ現代主流ラカン派(フロイト大義派)において、《分析経験の基盤は厳密にフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである[fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation. ]》(J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011)である。 |
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フロイトは、幼児期の享楽の固着の反復を発見したのである[Freud l'a découvert…une répétition de la fixation infantile de jouissance]. (J.-A. MILLER, LES US DU LAPS -22/03/2000) |
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享楽の本質はマゾヒズムである[La jouissance est masochiste dans son fond](Lacan, S16, 15 Janvier 1969) |
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すなわちマゾヒズムの固着の反復である。なおフロイトラカン両者においてマゾヒズムは幼児期の「身体の出来事」という意味でのトラウマでもある[参照]。
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