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2024年1月9日火曜日

五つの「ユダヤ人」

 

ユダヤ人は生者にとっては死者、地元民にとっては異者、資産家にとっては乞食、貧者にとっては搾取者や百万長者、愛国者にとっては国を持たない者、全ての階級にとっては憎むべき競争相手である。

der Jude für die Lebenden ein Toter, für die Eingeborenen ein Fremder, für die Einheimischen ein Landstreicher, für die Besitzenden ein Bettler, für die Armen ein Ausbeuter und Millionär, für die Patrioten ein Vaterlandsloser, für alle Klassen ein verhaßter Konkurrent.

ーーレオン・ピンスケル『自力解放』Leon Pinsker, AUTOEMANZIPATION, 1882年



ユダヤ人問題のすべては、 国民国家の中だけに現われる。 国民国家のなかでは、いたるところで、ユダヤ人の行動力や高い知性、長い苦悩の学校の中で世代から世代へと積み上げられてきた彼らの精神や意志の資本が、 妬みや憎しみを引き起こすほど大きくなり優勢になるに違いなく、 その結果、 ある文学的悪癖が、 現在のほぼすべての国民においてもーーしかも国民がまた国民らしく振舞えば振舞うほどーー蔓延する。 この悪癖とは、ありとあらゆる国内の公の弊害に対する贖罪の山羊としてユダヤ人を屠殺台へと連れて行くというものである。 

Beiläufig: das ganze Problem der Juden ist nur innerhalb der nationalen Staaten vorhanden, insofern hier überall ihre Tatkräftigkeit und höhere Intelligenz, ihr in langer Leidensschule von Geschlecht zu Geschlecht angehäuftes Geist- und Willens-Kapital, in einem neid- und hasserweckenden Maße zum Übergewicht kommen muss, so dass die literarische Unart fast in allen jetzigen Nationen überhand nimmt - und zwar je mehr diese sich wieder national gebärden -, die Juden als Sündenböcke aller möglichen öffentlichen und inneren Übelstände zur Schlachtbank zu führen. 

(ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』475番、1880年)




十歳か十二歳かの少年だったころ、父は私を散歩に連れていって、道すがら私に向って彼の人生観をぼつぼつ語りきかせた。彼はあるとき、昔はどんなに世の中が住みにくかったかということの一例を話した。「己の青年時代のことだが、いい着物をきて、新しい毛皮の帽子をかぶって土曜日に町を散歩していたのだ。するとキリスト教徒がひとり向うからやってきて、いきなり己の帽子をぬかるみの中へ叩き落した。そうしてこういうのだ、『ユダヤ人、舗道を歩くな![Jud, herunter vom Trottoir!] 』」「お父さんはそれでどうしたの?」すると父は平然と答えた、「己か。己は車道へ降りて、帽子を拾ったさ」

これはどうも少年の手をひいて歩いてゆくこの頑丈な父親にふさわしくなかった。私はこの不満な一状況に、ハンニバルの父、ハミルカル・バルカスが少年ハンニバルをして、家の中の祭壇の前でローマ人への復讐を誓わせた一場、私の気持にぴったりする一情景を対置せしめた。爾来ハンニバルは私の幻想の中に不動の位置を占めてきたのである。(フロイト『夢解釈』第5章、1900年)



もしユダヤ人が存在しないとすれば、反ユダヤ主義者はユダヤ人を発明するだろう[si le Juif n'existait pas, l'antisémite l'inventerait.](サルトル『ユダヤ人問題についての考察』1946年)




◼️第29回国連総会パレスチナ討議におけるアラファトPLO議長演説(1974年11月13日)の部分抜粋訳

The Speech Of Yasir Arafat

at the General Assembly of the United Nations

New York, 13 November 1974

パレスチナ問題のルーツは、19世紀の終わりまで遡る。つまり、今日われわれが知っている植民地支配と入植の時代まで遡る。これはまさに、シオニズムという計画が生まれた時代であり、その目的はヨーロッパからの移民によるパレスチナの征服であった。〔・・・〕


植民地主義が、入植者の植民地主義を構築し実行するための単なる自力で抵抗できない物質として、悲惨な人々、貧しい人々、搾取されている人々を不用意に利用したのと同じように、貧困で抑圧されたヨーロッパのユダヤ人も、世界帝国主義とシオニスト指導者のために利用された。ヨーロッパのユダヤ人は侵略の道具に変えられ、人種差別と密接に結びついた入植植民地主義の要素となった。〔・・・〕


したがってシオニスト運動は、世界の植民地主義と直接同盟を結び、われわれの土地に対する共通の襲撃を行ったのである。この同盟に関する歴史的真実の一部を紹介しよう。ユダヤ人のパレスチナ侵略は1881年に始まった。最初の移民の大波が押し寄せる前のパレスチナの人口は50万人で、人口のほとんどはイスラム教徒かキリスト教徒で、ユダヤ教徒はわずか2万人だった。人口のあらゆる層が、私たちの文明に特徴的な宗教的寛容を享受していた。当時のパレスチナは緑豊かな土地で、主にアラブ人が生活し、土着の文化をダイナミックに豊かにしていた。1882年から1917年にかけて、シオニスト運動は約5万人のヨーロッパ系ユダヤ人をわれわれの祖国に入植させた。そうするために、シオニストは策略と欺瞞を駆使して、ユダヤ人を私たちの中に定着させた。英国にバルフォア宣言を出させることに成功したことで、シオニズムと帝国主義の同盟関係が改めて証明された。さらに、イギリスは、シオニスト運動に対し、自分のものでないものを与えると約束することで、帝国主義の支配がいかに抑圧的であるかを示した。当時、国際連盟はアラブの人々を見捨て、ウィルソンの誓約と約束は無に帰した。委任統治という名目で、イギリス帝国主義は残酷にも直接的にわれわれに押しつけられた。国際連盟が発行した委任状は、シオニストの侵略者が私たちの祖国での利益を強化できるようにするためのものだった。〔・・・〕


彼らはパレスチナの総面積の81%を占領し、100万人のアラブ人を根絶やしにした。524のアラブの町や村を占領し、そのうち385を破壊し、完全に消滅させた。そうして彼らは、われわれの農場や木立の廃墟に、自分たちの入植地や植民地を建設したのだ。パレスチナ問題の根源はここにある。その原因は、2つの宗教や2つのナショナリズムの対立に起因するものではない。隣国間の国境紛争でもない。祖国を奪われ、散り散りになり、根こそぎ奪われ、亡命や難民キャンプで暮らす人々の問題なのだ。〔・・・〕


われわれはユダヤ教とシオニズムを区別している。植民地主義的なシオニズム運動への反対を堅持する一方で、私たちはユダヤ教の信仰を尊重する。シオニズム運動が勃興してからほぼ1世紀が経過した今日、われわれは、世界のユダヤ人、われわれアラブの人々、そして世界の平和と安全に対するシオニズムの危険性が高まっていることを警告したいと思う。シオニズムは、ユダヤ人に彼らの住んでいる国からの移住を奨励し、人為的に作られた国籍を与えるからである。シオニストは、そのテロ活動が効果的でないことが証明されているにもかかわらず、テロ活動を続けている。イスラエルからの絶え間ない移住という現象は、世界における植民地主義と人種差別の砦が崩壊するにつれて拡大するはずであり、このような活動の失敗が不可避であることを示す一例である。われわれは、世界のユダヤ人に自国からの移住を促し、われわれの土地を簒奪しようとするシオニストの試みに断固として反対するよう、世界の人々と政府に強く求める。私たちはまた、宗教、人種、肌の色によるいかなる人間に対する差別にも反対するよう、彼らに強く求める。なぜわれわれアラブ・パレスチナの人々が、世界のこのような差別の代償を払わなければならないのか?ユダヤ人移民の問題が一部の人々の心の中に存在するとしても、なぜわれわれ同胞がその責任を負わなければならないのか?このような問題を支持する人たちは、なぜ移民を受け入れ、助けることのできる自国を開こうとしないのだろうか?われわれをテロリスト呼ばわりする人々は、世界の世論がわれわれについての真実を知り、われわれの正義の顔を見るのを阻止しようとしている。彼らは、自分たちの行為のテロリズムと暴虐性、そしてわれわれ自身の自衛の姿勢を隠蔽しようとしているのだ。〔・・・〕


彼らのテロリズムは憎悪を糧とし、その憎悪はわれわれの国のオリーブの木にさえ向けられた。われわれにとってオリーブの木は誇り高きシンボルであり、彼らに土地の先住民を思い出させ、この地がパレスチナであることを生きたまま思い出させるものであった。こうして彼らはオリーブの木を破壊しようとした。ゴルダ・メイアの「パレスチナの子どもたちは毎日生まれてくる」the Palestinian children born every dayとした不穏な発言をどう言い表せばいいのだろう? 彼らはパレスチナの子どもの中に、パレスチナの木の中に、絶滅させるべき敵を見ている。シオニストは何十年もの間、われわれの民族の文化的・政治的・社会的・芸術的指導者たちに嫌がらせをし、恐怖に陥れたり暗殺したりしてきた。彼らはわれわれの文化遺産や民衆の生活様式を奪っておいて、それを自分たちのものだと主張してきた。彼らのテロリズムは、われわれの愛する平和なエルサレムの聖地にまで及んでいる。彼らは、住民を立ち退かせ、併合することによって、エルサレムを脱アラブ化し、イスラム教とキリスト教の性格を失わせようとしてきた。〔・・・〕


ともに努力しようではないか、私の夢が実現し、私が同胞とともに亡命先からパレスチナに戻り、ユダヤ人の自由の戦士とそのパートナーたち、アラブ人司祭とその兄弟たちとともに、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒が正義と平等と友愛のうちに暮らすひとつの民主国家で暮らすことができるように。これは、あらゆる場所で自由を愛するすべての人々とともに闘うに値する崇高な夢ではないだろうか。この夢の最も賞賛に値する点は、それがパレスチナのものであり、平和の国、殉教と英雄の地、そして歴史の国から来た夢だからである。ヨーロッパと米国のユダヤ人が世俗主義と政教分離を求める闘争を主導していることで知られているということを思い出そう。彼らは宗教上の理由による差別と闘うことでも知られている。では、どうして彼らは聖地に対するこの人道的なパラダイムを拒否できるというのか?どのようにして最も狂信的で差別的で閉鎖的な国家の政策を支持し続けることができるというのか?


PLO議長として、またパレスチナ革命の指導者として、私は正式な立場から、明日のパレスチナに対する共通の希望を語るとき、われわれの視野には、現在パレスチナに居住し、差別なく平和のうちに私たちとともに生きることを選択するすべてのユダヤ人が含まれることを、皆さんの前で宣言する。PLO議長として、またパレスチナ革命の指導者として、私はユダヤ人に対し、シオニストイデオロギーとイスラエルの指導者たちが彼らに約束した幻の約束から、一人ずつ目を背けるよう呼びかける。彼らはユダヤ人に対し、永遠の流血、終わりのない戦争、絶え間ない支配を提供しているのだ。