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2024年2月24日土曜日

人間らしさで対抗(退行)

 

アルチュセールの愛弟子エティエンヌ・バリバールがこう言ってるらしいがね


いやあ、「戦争情報」を追い続けていると、いろいろとめげてきたよ。人間らしさで対抗する時期かもね、


それが吾良のライフスタイルのひとつで、映画作りの力にもなった小物集めの才能を発揮すると、魅力あるジュラルミン製の小型トランクをつけてくれた。それには五十巻のカセットテープが収められてもいたのである。吾良の映画の試写会場で受けとり、持って帰る電車のなかで、白い紙ラベルにナンバーだけスタンプで押したカセットを田亀に入れてーー実際、そのように機械を呼ぶことになったーー。ヘッドフォーンのジャックを挿し入れる穴を探していると、つい指がふれてしまったか、テープを入れると再生が自動的に始まる仕組みなのか、野太い女の声の、ウワッ! 子宮ガ抜ケル! イクゥ! ウワッ! イッタ! と絶叫する声がスピーカーから響き、ぎゅう詰めの乗客たちを驚かせた。その種の盗聴テープ五十巻を、吾良は撮影所のスタッフから売りつけられて、始末に困っていたらしいのだ。


かつて古義人はそうしたものに興味を持つことがなかったのに、この時ばかりは、百日ほども田亀に熱中した。たまたま古義人が厄介な鬱状態にあった時で、かれの窮境を千樫から聞いた吾良が、そういうことならば、その原因相応に低劣な「人間らしさ」で対抗するのがいい、といった。そして田亀を贈ってくれたついでに、確かに「人間らしさ」の一表現には違いないテープをつけてくれたのだ、と後に古義人は千樫から聞いた。千樫自身は、それがどういうテープであるかを知らないままだったが……(大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』)


しばらく「蚊居肢」の起源、《スカートの内またねらふ藪蚊哉》(『断腸亭日乗昭和十九年甲申歳 荷風散人年六十有六 九月初七)に退行するよ、あるいは《一時的な幼児期への退行(極端な場合、母胎への退行、つまり現在おびやかされている危険からまもられていた時代への退行)[eine zeitliche Regression in die Kinderjahre (im extremen Fall bis in den Mutterleib, in Zeiten, in denen man gegen die heute drohenden Gefahren geschützt war)]》(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)にさ。



そもそも戦争は原人間に退行させる力があるらしいからな、


戦争は、より後期に形成された文化的層をはぎ取り、われわれのなかにある原人間を再び出現させる[Krieg …Er streift uns die späteren Kulturauflagerungen ab und läßt den Urmenschen in uns wieder zum Vorschein kommen. ](フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)

特殊な退行作用[besondere Fähigkeit zur Rückbildung – Regression –]……原初の心的状態は、言葉の十全な意味で、不滅である[das primitive Seelische ist im vollsten Sinne unvergänglich]。〔・・・〕

戦争の影響は、このような退行を生み出す力のうちのひとつであることは疑いない[Ohne Zweifel gehören die Einflüsse des Krieges zu den Mächten, welche solche Rückbildung ( Regression) erzeugen können](フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)



しかし、フロイトラカンをいくらか学んだ者としては、こういうのにどう対応するかってのはひどく難問だね




フロイトが言ったことに注意深く従えば、全ての人間のセクシャリティは倒錯的である [que toute sexualité humaine est perverse si nous suivons bien ce que dit FREUD.  ]


フロイトは決して倒錯以外のセクシャリティに思いを馳せることはしなかった。そしてこれがまさに、私が精神分析の肥沃性と呼ぶものの所以ではないだろうか[Il n'a jamais réussi à concevoir ladite sexualité autrement que perverse, et c'est bien en quoi j'interroge ce que j'appellerai la fécondité de la psychanalyse.  ]

あなたがたは私がしばしばこう言うのを聞いた、精神分析は新しい倒錯を発明することさえ未だしていない、と(笑)[Vous m'avez entendu très souvent énoncer ceci :  que la psychanalyse n'a même pas été foutue d'inventer  une nouvelle perversion [ Rires ]. ]


何と悲しいことか! 結局、倒錯が人間の本質である。我々の実践は何と不毛なことか![C'est triste !  Parce qu'après tout si la perversion c'est l'essence de l'homme, quelle infécondité dans cette pratique !  ](Lacan, S23, 11 Mai 1976)