しかしドイツって何やってんだろうね、
この親イスラエルぶり、ガザジェノサイド知らんぷりぶりってのは国家全体がひどい病気だろうよ、
過去を簡単に水に流す日本文化ももちろんダメだが、過去をほとんどまったく水に流さないドイツ文化のほうが、場合によってはーー特に例外時にはーーひどい病気になるのかもね、 |
日本社会には、そのあらゆる水準に於いて、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係に於いて定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。 日本が四季のはっきりした自然と周囲を海に囲まれた島国であることから、人々は物事を広い空間や時間概念で捉えることは苦手、不慣れだ。それ故、日本人は自分の身の回りに枠を設け、「今=ここに生きる」の精神、考え方で生きる事を常とする。この身の回りに枠を設ける生き方は、国や個人の文化を創り出す土壌になる。 一方、ヨーロッパは陸続きの大陸であり、各国はそれぞれ固有の文化、歴史があり、加えて幾度の戦争を体験していることから、経験上共通の概念を取り入れる努力をしている。例えばドイツと他国の間ではヒットラーの「ユダヤ人虐殺」に関しては互いに過ちであるとの共通の認識を持っており、ドイツ人は「過去は水に流す」式の日本人の意識とは大きな違いがある。 ドイツ社会は「アウシュビッツ」を水に流そうとしなかったが、日本社会は「南京虐殺」を水に流そうとした。その結果、独仏の信頼関係が「回復」されたのに対し、日中国民の間では信頼関係が構築されなかったことは、いうまでもない。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年) |
ナチの天才理論家カール・シュミットがこう言っているけどね、 |
平時は何も示さず、すべては非常事態に明らかになる[Das Normale beweist nichts, die Ausnahme beweist alles ](カール・シュミット『政治神学』1922年) |
例外状況は、原理的には無制限の顕現が、すなわち現行全秩序の停止が必要である。 〔・・・〕例外事例において、国家は、いわゆる自己保存の権利によって法を停止する。 Ausnahmezustand. Dazu gehört vielmehr eine prinzipiell unbegrenzte Befugnis, das heißt die Suspendierung der gesamten bestehenden Ordnung. (…) Im Ausnahmefall suspendiert der Staat das Recht, kraft eines Selbsterhaltungsrechtes, wie man sagt. (カール・シュミット『政治神学』1922年) |
少なくとも「人倫の法」は停止しちまってるように見えるね、今のドイツは。 |