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2024年3月11日月曜日

シュミットとニーチェなみの熟女


 @Jano661さんのこの民主主義と自由の定義、実に巧みだ、


いやあホントに感心するよ、学者の定義読むと頭に来ることシキリなんだけどさ。

彼女のツイートを読むと、この人とっても頭のいい人だなとときに感じるんだが、上のはいままでで一番気に入ったね。

二人の天才、シュミットとニーチェの定義と同じぐらいいい。


【民主主義】

民主主義に属しているものは、必然的に、まず第ーには同質性であり、第二にはーー必要な場合には-ー異質なものの排除または殲滅である。[…]民主主義が政治上どのような力をふるうかは、それが異質な者や平等でない者、即ち同質性を脅かす者を排除したり、隔離したりすることができることのうちに示されている[Zur Demokratie gehört also notwendig erstens Homogenität und zweitens - nötigenfalls -die Ausscheidung oder Vernichtung des Heterogenen.[…]  Die politische Kraft einer Demokratie zeigt sich darin, daß sie das Fremde und Ungleiche, die Homogenität Bedrohende zu beseitigen oder fernzuhalten weiß. ](カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』1923年版)


【自由】

今日のために生き、きわめて迅速に生き、 ――きわめて無責任に生きるということ、このことこそ「自由」と名づけられているものにほかならない。制度を制度たらしめるものは、軽蔑され、憎悪され、拒絶される。すなわち、人は、「権威」という言葉が聞こえるだけでも、おのれが新しい奴隷状態の危険のうちにあると信じるのである。それほどまでにデカタンスは、私たちの政治家の、私たちの政党の価値本能のうちで進行している。だから、解体させるものを、終末を早めるものを、彼らはよしとして本能的に選びとる・・・[Man lebt für heute, man lebt sehr geschwind – man lebt sehr unverantwortlich: dies gerade nennt man »Freiheit«. Was aus Institutionen Institutionen macht, wird verachtet, gehaßt, abgelehnt: man glaubt sich in der Gefahr einer neuen Sklaverei, wo das Wort »Autorität« auch nur laut wird. Soweit geht die décadence im Wert-Instinkte unsrer Politiker, unsrer politischen Parteien: sie ziehn instinktiv vor, was auflöst, was das Ende beschleunigt... ](ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」第39節『偶像の黄昏』所収、1888年)


ま、この定義でいくと民主主義とは村八分主義、自由とは無責任だね、極東の島国の典型的風習さ。



※附記


数日前、Janoさんが訳出を掲げた「静かなるクーデター:プーチン VS オリガルヒ」The Silent Coup: Putin vs. the Oligarchs by Justin Cowgill ON JULY 28, 2000,(Note)も一週間ぐらいかけて邦訳した労作でとっても勉強になるよ、ボクはPDFにして線を引きながら読んだね