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ボクは現在の立ち位置上、最近は中国を批判しないようにしてんだけどーー米ネオコンよりは100倍ぐらいマシだからーー、しかし中国をナイーブに応援してるように見えるヒトたちはこの超管理社会についてどう思ってんだろ、「悪人」を信条として生きてきたボクなんかにとっては悪夢的で眩暈がするんだけど。
わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。Alles Böse traue ich dir zu: darum will ich von dir das Gute. (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部「崇高な者たち」) |
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私は善人は嫌ひだ。なぜなら善人は人を許し我を許し、なれあひで世を渡り、真実自我を見つめるといふ苦悩も孤独もないからである。(坂口安吾『蟹の泡』1946年) |
善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。キリストが淫売婦にぬかずくのもこの曠野のひとり行く道に対してであり、この道だけが天国に通じているのだ。何万、何億の堕落者は常に天国に至り得ず、むなしく地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に通じているということに変りはない。(坂口安吾『続堕落論』1946年) |
ホンモノの悪党は、悲痛なものだ。人間の実相を見ているからだ。人間の実相を見つめるものは、鬼である。悪魔である。この悪魔、この悪党は神に参じる道でもある。ついにアリョーシャの人格を創造したドストエフスキーは、そこに参ずる通路には、悪党だけしか書くことができなかったではないか。(坂口安吾『織田信長』1948年) |
アレはどうみたって豚化政策だよ。 |
世には、自分の内部から悪魔を追い出そうとして、かえって自分が豚のむれのなかへ走りこんだという人間が少なくない。nicht Wenige, die ihren Teufel austreiben wollten, fuhren dabei selber in die Säue. (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第1部「純潔」) |