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2024年7月2日火曜日

パッションの過剰

 



いやあ、ベンキョウになるな、とっても。


恋愛の死を想はせるのは進化論的根拠を持つてゐるのかも知れない。蜘蛛や蜂は交尾を終ると、忽ち雄は雌の為に刺し殺されてしまふのである。わたしは伊太利の旅役者の歌劇「カルメン」を演ずるのを見た時、どうもカルメンの一挙一動に蜂を感じてならなかつた。(芥川龍之介『侏儒の言葉』)


男が女と寝るときには確かだな、…絞首台か何かの道のりを右往左往するのは。…もちろん女がパッションの過剰に囚われたときだがね。

[un monsieur  couche avec une femme en étant très sûr d'être… par le gibet ou autre chose …zigouillé à la sortie.   ……Ceci bien entendu reste à la rubrique des excès passionnels]

(Lacan, S7, 20  Janvier  1960)


宿命の女(ファンム・ファタール)は虚構ではなく、変わることなき女の生物学的現実の延長線上にある。ヴァギナ・デンタータ(歯の生えたヴァギナ)という北米の神話は、女のもつ力とそれに対する男性の恐怖を、ぞっとするほど直観的に表現している。比喩的にいえば、全てのヴァギナは秘密の歯をもっている。というのは男性自身(ペニス)は、(ヴァギナに)入っていった時よりも必ず小さくなって出てくる。〔・・・〕


社会的交渉ではなく自然な営みとして見れば、セックスとはいわば、女が男のエネルギーを吸い取る行為であり、どんな男も、女と交わる時、肉体的、精神的去勢の危険に晒されている。恋愛とは、男が性的恐怖を麻痺させる為の呪文に他ならない。女は潜在的に吸血鬼である。〔・・・〕


自然は呆れるばかりの完璧さを女に授けた。男にとっては性交の一つ一つの行為が母親に対しての回帰であり降伏である。男にとって、セックスはアイデンティティ確立の為の闘いである。セックスにおいて、男は彼を生んだ歯の生えた力、すなわち自然という雌の竜に吸い尽くされ、放り出されるのだ。(カーミル・パーリアcamille paglia「性のペルソナ Sexual Personae」1990年)



失念してたけどね、この手の話は以前スコシダケ研究したんだ、芋蔓式にいろいろ出てくるよ。


処女性のタブーは、性生活全体を包含する大きな文脈に属している。女性との初性交だけでなく、性交渉全般がタブーであり、ほとんど女自体がタブーといってもいい。女性の性生活から続く月経、妊娠、出産、産褥の特別な状況においてタブーとされているだけでなく、これらの状況以外でも、女性との性交は深刻かつ非常に多くの制限を受けており、未開人の性的自由と言われるものを疑うだけの理由がある。

das Tabu der Virginität in einen großen, das ganze Sexualleben umfassenden Zusammenhang gehört. Nicht nur der erste Koitus mit dem Weibe ist tabu, sondern der Sexualverkehr überhaupt; beinahe könnte man sagen, das Weib sei im ganzen tabu. Das Weib ist nicht nur tabu in den besonderen, aus seinem Geschlechtsleben abfolgenden Situationen der Menstruation, der Schwangerschaft, der Entbindung und des Kindbettes, auch außerhalb derselben unterliegt der Verkehr mit dem Weibe so ernsthaften und so reichlichen Einschränkungen, daß wir allen Grund haben, die angebliche Sexualfreiheit der Wilden zu bezweifeln.


確かに原始人のセクシュアリティは、ある時はあらゆる抑制を超越しているが、通常は高次の文化レベルよりも禁止事項によって制限されているように思われる。男は何か特別なこと、遠征、狩り、戦争に参加するやいなや、女性から遠ざかり、特に女性との性交渉を避けなければならない。そうでなければ、彼の力を麻痺させ、失敗をもたらすだろう。日常生活の習慣の中にも、まぎれもなく男女の区別をつけようとする姿勢がある。女性は女性と、男性は男性と一緒に暮らす。多くの原始部族は、私たちの感覚ではほとんど家族生活をしていないと言われている。その分離は時に、一方の性が他方の性の人名を発音することを許されず、女性たちは特別な語彙を持つ言語を発達させるほどである。しかし、ある部族では、夫婦の逢瀬さえも家の外で密かに行わなければならないのである。

Es ist richtig, daß die Sexualität der Primitiven bei bestimmten Anlässen sich über alle Hemmungen hinaussetzt; gewöhnlich aber scheint sie stärker durch Verbote eingeschnürt als auf höheren Kulturstufen. Sowie der Mann etwas Besonderes unternimmt, eine Expedition, eine Jagd, einen Kriegszug, muß er sich vom Weibe, zumal vom Sexualverkehr mit dem Weibe fernhalten; es würde sonst seine Kraft lähmen und ihm Mißerfolg bringen. Auch in den Gebräuchen des täglichen Lebens ist ein Streben nach dem Auseinanderhalten der Geschlechter unverkennbar. Weiber leben mit Weibern, Männer mit Männern zusammen; ein Familienleben in unserem Sinne soll es bei vielen primitiven Stämmen kaum geben. Die Trennung geht mitunter so weit, daß das eine Geschlecht die persönlichen Namen des anderen Geschlechts nicht aussprechen darf, daß die Frauen eine Sprache mit besonderem Wortschatze entwickeln. Das sexuelle Bedürfnis darf diese Trennungsschranken immer wieder von neuem durchbrechen, aber bei manchen Stämmen müssen selbst die Zusammenkünfte der Ehegatten außerhalb des Hauses und im Geheimen stattfinden.


原始時代の男がタブーを設置するときはいつでも、或る危険を恐れている。そして議論の余地なく、この忌避のすべての原則には、一般化された女性の恐怖が表現されている。おそらくこの恐怖は、次の事実を基盤としている。すなわち女は男とは異なり、永遠に不可解な、神秘的で、異者のようなものであり、それゆえ敵対的な対象だと。

Wo der Primitive ein Tabu hingesetzt hat, da fürchtet er eine Gefahr, und es ist nicht abzuweisen, daß sich in all diesen Vermeidungsvorschriften eine prinzipielle Scheu vor dem Weibe äußert. Vielleicht ist diese Scheu darin begründet, daß das Weib anders ist als der Mann, ewig unverständlich und geheimnisvoll, fremdartig und darum feindselig erscheint.


男は女によって弱体化されることを恐れる。その女性性に感染し無能になることを恐れる。性交が緊張を放出し、勃起萎縮を引き起こすことが、男の恐怖の原型であろう。性行為を通して女が男を支配することの実現。男を余儀なくそうさせること、これがこの不安の拡張を正当化する。こういったことのすべては古い時代の不安ではまったくない。われわれ自身のなかに残存していない不安ではまったくない。

Der Mann fürchtet, vom Weibe geschwächt, mit dessen Weiblichkeit angesteckt zu werden und sich dann untüchtig zu zeigen. Die erschlaffende, Spannungen lösende Wirkung des Koitus mag für diese Befürchtung vorbildlich sein und die Wahrnehmung des Einflusses, den das Weib durch den Geschlechtsverkehr auf den Mann gewinnt, die Rücksicht, die es sich dadurch erzwingt, die Ausbreitung dieser Angst rechtfertigen. An all dem ist nichts, was veraltet wäre, was nicht unter uns weiterlebte.

(フロイト『処女性のタブー』1918年)



…そのとき中戸川が急に声を細めて、女房といふものはたゞ淫慾の動物だよ、毎晩幾度も要求されるのでとてもさうは身体がつゞかないよ、すると牧野信一が我が意を得たりとカラ〳〵と笑ひ、同感だ、うちの女房もさうなんだ、――とみゑさん、ごめんなさい、私はあんたを辱めてゐるのではないのです。どうして私があなたを辱め得ませうか。あなたは病みつかれ、然し、肉慾のかたまりで、遊びがいのちの火であつた。その悲しいいのちを正しい言葉で表した。遊びたはむれる肉体は、あなたのみではありません。あらゆる人間が、あらゆる人間の肉体が、又、魂が、さうなのです。あらゆる人間が遊んでゐます。そしてナマ半可な悟り方だの憎み方だのしてゐます。あなたはいのちを賭けたゞけだ。それにしても、あなたは世界にいくつもないなんと美しい言葉を生みだしたのだらう。(坂口安吾「蟹の泡」1946年)



いやあいくらでもあるな、もうすこしだけ「穏やか系」のみをーー雌ライオン系は遠巻きにしつつーー選び出し掲げておくよ


元来淫情強きは女の常、一ツよくなり出したとなつたら、男のよしあし、好嫌ひにかかはらず、恥しさ打忘れて無上にかぢりつき、鼻息火のやうにして、もう少しだからモツトモツトと泣声出すも珍しからず。さうなれば肌襦袢も腰巻も男の取るにまかせ、曲取のふらふらにしてやればやる程嬉しがりて、結立の山髪も物かは、骨身のぐたぐたになるまでよがり盡さねば止まざる熱すさまじく、腰弱き客は、却つてよしなき事仕掛けたりと後悔先に立たず、アレいきますヨウといふ刹那、口すつて舌を噛まれしドチもありとか。(荷風『四畳半襖の下張』)


性交の喜びを10とすれば、男と女との快楽比は1:9である。(ティレシアスの神話)

性交後、雄鶏と女を除いて、すべての動物は悲しくなる post coitum omne animal triste est sive gallus et mulier(ラテン語格言、ギリシャ人医師兼哲学者Galen)


男と女のちがいの一つは、性について知ることが多くなればなるほど、女は肉体的になってゆくが、男は観念的になってゆくことだ。女は眼をつむってセックスの波間に溺れ込むようになるが、男はますます眼を見開いて観察し、そのことから刺激を得て、かろうじて性感を維持してゆく。(吉行淳之介『不作法紳士―男と女のおもてうら―』1962年)

男と女の一等厄介なちがいは、男にとっては精神と肉体がはっきり区別して意識されているのに、女にとっては精神と肉体がどこまで行ってもまざり合っていることである。女性の最も高い精神も、最も低い精神も、いずれ肉体と不即不離の関係に立つ点で、男の精神とはっきりちがっている(三島由紀夫「不道徳教育講座」1959年)