ロリコンの必然性というものがあるんじゃないかね、少年期に激しい恋をした者にとっては。
◾️人間の変質と記憶の固着とのあいだの対立[opposition entre l'altération des êtres et la fixité du souvenir |
きょう私が目にしてきた人たちのすべてを、そしてジルベルト自身をも、変えてしまった歳月の作用は、いま生きのこっている少女たちのすべてを、アルベルチーヌが死んでしまっていなかったら彼女をもふくめて、私の思出とはあまりにもちがった女たちにしてしまったことは確実だった。私は自分ひとりで元の彼女らに到達しなくてはならない苦しみを感じた、なぜなら、人間たちを変化させる時も、われわれが記憶にとどめている彼らのイマージュを変更することはない。人間の変質と記憶の固着とのあいだの対立[opposition entre l'altération des êtres et la fixité du souvenir]ほど痛ましいものはない。そんな対立に気づくとき、われわれは否応なく納得させられるのだ、記憶のなかにあれほどの新鮮さを残してきたひとが、実生活ではもはやそれをもちこたえることができないのを、そしてわれわれの内部であのように美しく見えるひと、もう一度会いたいというそれも非常に個人的な欲望をわれわれのなかにそそりたてるひと、そういうひとに外部に近づくことができるには、いまそれとおなじ年齢のひと、すなわち別人のなかに、そのひとを求めるよりほかはないのを。(プルースト「見出された時」) |
◾️ねえ、よかったら、もうしばらく組みうちをしてもいいのよ[Vous savez, si vous voulez, nous pouvons lutter encore un peu] |
私たちはからみあって組みうちをするのだった。私は彼女をひきよせようとし、彼女はしきりに抵抗する。奮闘のために燃えた彼女の頬は、さくらんぼうのように赤くてまるかった。彼女は私がくすぐったかのように笑いつづけ、私は若木をよじのぼろうとするように、彼女を両脚のあいだにしめつけるのであった、そして、自分がやっている体操のさなかに、筋肉の運動と遊戯の熱度とで息ぎれが高まったと思うまもなく、奮闘のために流れおちる汗のしずくのように、私は快楽をもらした、私にはその快楽の味をゆっくり知ろうとするひまもなかった、たちまち私は手紙をうばった。するとジルベルトはきげんよくいった、 「ねえ、よかったら、もうしばらく組みうちをしてもいいのよ。」Vous savez, si vous voulez, nous pouvons lutter encore un peu. おそらく彼女は私の遊戯には私がうちあけた目的以外にべつの目的があるのをおぼろげながら感じたのであろう、しかし私がその目的を達したことには気がつかなかったであろう。そして、その目的を達したのを彼女に気づかれることをおそれた私は(すぐあとで、彼女が侮辱されたはずかしさをこらえて、からだをぐっと縮めるような恰好をしたので、私は自分のおそれがまちがっていなかったのをたしかめることができた)、目的を達したあとの休息を静かに彼女のそばでとりたかったのだが、そんな目的こそほんとうの目的であったととられないために、なおしばらく組うちをつづけることを承諾した。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」 ) |
プルーストは1886年の夏、14歳のとき、学校のあとで遊びに出かけるシャンゼリゼで、ジルベルトのモデルであるマリー・ド・ベナルダキMarie de Benardakyに出会っている。 |
私はジルベルトが雪のなかをシャンゼリゼにやって来ることを考えた。あのひと、私の生涯での大きな愛、彼女がいなかったら愛をけっして知らなかっただろう(あるいはもうひとつ別の大きな愛。というのは生涯に少なくとも二つの大きな愛があったから)。あのベナルダキ嬢は、現在、ーーしかしなんと長いあいだ彼女と会っていないことだろうーーラジウィッチ王女となっている。 j'ai pensé pour l'arrivée de Gilberte aux Champs-Élysées par la neige, à une personne qui a été le grand amour de ma vie sans qu'elle l'ait jamais su (ou l'atre grand amour de ma vie car il y en a au moins deux) Mlle Benardaky, aujourd'hui (mais je ne l'ai pas vue depuis combien d'années) Princesse Radziwill. (プルースト Jacques de Lacretelle 宛、Paris, 20 avril 1918) |
私も14歳のときひどく激しい恋をしてね、いつまでもレミニサンスがあるな |
◾️彼女のぎごちない手に私の情熱の笏〔しゃく〕を握らせた |
……喫茶店を抜け出して海岸へ行き、人気のない小さな砂原を見つけ、洞穴のような形をした赤茶けた岩が菫色の影をおとすなかで、私は、つかのまの貪婪な愛撫をはじめた。誰かがおき忘れたサングラスだけが、それを目撃していた。私が腹ん這いになって、愛する彼女をまさに自分のものにしようとした瞬間、髭をはやした二人の男、土地の老漁夫とその弟とは、海からあがってきて、下卑た歓声をあげて私たちをけしかけた。〔・・・〕 彼女の脚、かわいらしいぴちぴちした脚は、あまりかたくはとじられず、私の手が求めていたものをさぐりあてると、よろこびと苦痛の相半ばした、夢みるような、おびえたような表情が、あどけない顔をかすめた。彼女は私よりもやや高い位置に腰をおろし、一方的な恍惚状態におそわれて私に接吻したくなると、彼女の顔は、まるで悲しみに耐えられなくなったように、弱々しく、けだるそうに私にしなだれかかり、あらわな膝は、私の手首をとらえて、しめつけては、またゆるめた。そして、何か神秘的な薬の苦さにゆがんで小刻みにふるえる唇が、かすれた音をたてて息を吸いこみながら、私の顔に近づいた。彼女は最初、愛の苦痛をやわらげようとするかのように、かわいた唇を、あらあらしく私の唇にこすりつけたが、やがて顔をはなし、神経質に髪の毛をうしろへはらってから、またそっと顔をよせて、かるくひらいた唇を私に吸わせた。一方私は、心も首も内臓もすべてを惜しみなく彼女にあたえたい一心から、彼女のぎごちない手に私の情熱の笏〔しゃく〕を握らせた。(ナボコフ『ロリータ』) |
◾️君は十四歳の膝といふものを僕に見せてくれたことがあるか |
父親は話はこれから妙境にはいるのだと言ひ直し、娘を肘で小突いて見せたが、娘はわかつたわよ、あのことでせうと答へ、例の膝の頭から少しづつスカートに時間を置いて、上の方にずらせて行つた。上の方には十四歳の膝がきよらかな瞳をぱちくりやつて、あらはれた。見物人は一樣に自分の狼狽の氣色を見せまいとして、却つてあをざめた顏色になつた。それはさういふ處で見てはならないものであつて、見た者は一旦それを見たことによつて見ない以前にまで立ち還らなければならないものであつた。そこにまごついて收拾出來ない氣分の混亂があつた。娘の手はスカートを放さずにもつと上の方にまで、それをずり上げる氣はいを見せ、見物人はいま一息といふところで持前の横着な心を取り戻したのである。いまの先に味つた見てはならないものである氣配のきびしさはもう見えなかつた。見てやれ、このちんぴらのそれが何であらうと見てやれといふ圖太い氣が募り出して來た。娘はうたひ出した。夏草は生ひ、橋はかくれた、と、ただそれだけを何度も繰りかへしてゐた。そんな歌よりもつとスカートをあげろ、じらすな、おあづけするなんて、こつとら犬ぢやねえぞと或る者は少し醉つて呶鳴り、娘は顏をあからめスカートをずつと下ろして、膝も何も見えなくして了つた。 |
恰度、うまいぐあひに日はさすがに次第に灰鼠色に暮れていつた。さあ、これからだと父親は帽子の裏を見せて、金を集めにかかつた。娘はこの街裏に巡査のすがたが、ないかどうかを警戒しはじめた。 「早く行かないとデパートが閉つてしまひますよ、お金までお出しになつて一體あの娘さんの裸を見るつもりなの、あきれた、あなたといふ人はまるで溝みたいに汚ない處につながつてゐるのね。」 「人間にはいつも偶然といふやつがあつて、それを逃がしてしまふと無味乾燥の地帶を歩かなければならないのだ。何もさう急いで此處を外す必要がない、三百圓といふ金で人間は駭いて、その駭きで見る物を見てゐた方が面白いのだ。」 「女をつれたあなたの、それが本音だと仰言るんですか、獨り者ならそんな氣になることも許せるんだが、あなたはちやんとした妻まで持つてゐて、まだ見たい物がそんなに澤山にあるんですか、まるで恥づかしいことを知らない方だ、あなたがゴミ箱のそばにいらつしやるのを、あたしがぢつと見てゐられるとお思ひになるんですか。」 |
「では、君に質問するが、君は十四歳の膝といふものを僕に見せてくれたことがあるかどうか、いまこの機會をのがしたら僕は十四歳の膝を見ることが生涯にないのだ。」 「十四歳の膝に何があるの。」 「十四歳の膝自體は人間といふものを見たことがないのだ、人間がそれに乘ることが出來ないところに、やがては誰かが乘るまでの、無風状態が僕を惹きつけるのだ。嘗て人間の中の女はみなかういふところで、誰にも見られず本人も知らないで育つたといふことに、いま氣がつきはじめたのだ。たんにそれは清いとか美しいといふものではなく、ああ、能くそれまでにひそかに形づけられ成長したといふことで、人間がまれにおぼえる感謝といふものをひそかに受けとりたいのだ、そしてそれは君の十四歳といふ年齡にあと戻りして君を愛するもとにもなる。君は目前のいやらしさがたまらないといふのであらう、僕だつてこの少女の前では僕自身がどうにも厭らしくてならないのだ、併し僕のかういふ根性はここまで墮落してかからなければゐられないのだ。」 |
「ぢやごらんになるがいいわ、恥づかしくなかつたら。」 「恥づかしいからそれを揉み消すために、無理にも見物するのだ。」 「出來たらその不潔な眼をくり拔いてあげたい。」 「僕もいつもそれをねがつてゐるのだ、僕のセックスも引き拔きたいのだ。」 「あきれた。」 「この二匹のうはばみを見物してゐるのは僕や君ではなくて、實は僕や他のここにゐる連中がかれらから見られてゐるのだ。少女の前でいやおうなしに何かを白状してゐる僕らが、やはり同樣の何匹かのうはばみなんだ。」 |
「あなたはそんな下劣さをふだんには、うまく匿くしていらつしつたのね。何食はぬ顏つきで女のどんな部分でも見逃がすまいとしていらつしやる慾情が、あたしに嘔きたくなるくらゐ厭世的な氣持になるわ。あんな女の子の膝が見たいなんて、それは、まともな人間の考へだと思つていらつしやるんですか。」 「僕が拂ふ金であの子は何かが買へる。僕が見ないで通りすぎればあの子の收入がそれだけ減るのだ、僕自身だつて見ないより見た方がいい、美しい人間を見ることに誰に遠慮がいるものか。」「あたしがゐても、見たいんですか。」 「君がゐるから一そう見たいのだ、君にない物がここに存在してゐるとしたら、それを見るといふことも物の順序なんだ。」 |
「なさけない方だ。そんな方と肌を交はしてゐたことが取り返しのつかない氣がして來るわ。いまは見るかげもない一人の男としてのあなたを、その見るかげのない處からたすけ出すことがあたしには厭になつて來ました。あたしは何時もあなたのいやらしいところから、それをたすけるためにいろいろ苦心をして來たんですけれど、もうまるでそんな氣は打抛つて了ひました。ゆつくりご覽になつた方がいいわ。その眼が眞正面にいとけない女の子に對つてゐられたら、此處に殘つて見ていらつしやい。人間のまもらなければならないところに、そのまもりを破つても物を見ようとする心が、どのあたりできまりがつけられるかも、ついでに能く見て置いた方がいいわ。」 |
「人間なんかに、物のきまりがあるものか。君の説得はそれきりなの。」 「あさましい方だ。あさまし過ぎて白紙みたいな方だ。併しどうしてそれにいままであたしが氣がつかなかつたのか、寧ろあたしはそれを搜してみたい氣持なんです。」 「僕はそれでたくさんなのだ、品の好い人間にならうと心がけたことは、いまだ、かつて一度だつてないのだ。」 「では、あたしお先にまゐります。ゆつくりごらんになつてゐた方がいい。」 「何も先きに行かなくとも、二分間もあれば見られるぢやないか。」 「その眞面目くさつたお顏も、いままでに一遍だつて見たことがないお顏なんです。あなたにも、そんな懸命みたいなお顏をなさるときがあるのね。」 「あるさ、けふはそれが甚だしく現はれてゐるとでも、君はいひたいのか。」 「二分間であたしを失ふことになつたら、どう處置なさるおつもり。」 「この二分間がどんなに汚ないものであつても、君は去らないさ。」 「去つたとしたら?」 「去らないよ君は、かういふことで女が去るとしたら、女は一生涯去り續けなければならないものだ。」 「では行くわ。」 |
(室生犀星『末野女』初出:「小説新潮」1961(昭和36)年9月) |
最も重要なのはーー、 |
愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない[les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime](ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第2版、1970年) |
ーーだよ。 |
私がジルベルトに恋をして、われわれの恋はその恋をかきたてる相手の人間に属するものではないことを最初に知って味わったあの苦しみ[cette souffrance, que j'avais connue d'abord avec Gilberte, que notre amour n'appartienne pas à l'être qui l'inspire](プルースト「見出された時」) |
そのようにして、アルベルチーヌへの私の愛は、それがどのような差異を見せようとも、ジルベルトへの私の愛のなかにすでに書きこまれていた……[Ainsi mon amour pour Albertine, et tel qu'il en différa, était déjà inscrit dans mon amour pour Gilberte ...](プルースト「見出された時」) |
要するに冒頭のプルーストのいう記憶の固着[la fixité du souvenir]だな、 |
私はあなたを愛している。だが私が愛しているのは、奇妙にも、あなたの中にある何かあなた以上のもの、つまり対象aを愛しているのだ[Je t'aime, mais parce que j'aime inexplicablement quelque chose en toi plus que toi, qui est cet objet(a)](ラカン, S11, 24 Juin 1964) |
対象aはリビドーの固着点に現れる[petit(a) …apparaît que les points de fixation de la libido ](Lacan, S10, 26 Juin 1963) |
(発達段階の)展開の長い道のりにおけるどの段階も固着点となりうる[Jeder Schritt auf diesem langen Entwicklungswege kann zur Fixierungsstelle](フロイト『性理論三篇』第3論文、1905年) |
フロイトの固着は常に身体の出来事の固着であって、これまたプルーストのいう肉体の傷だね、 |
ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける。Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. (プルースト「逃げ去る女」) |
この傷がレミニサンスするんだ、ある年齢以降の愛する理由はこれだね。で、ロリコンでないヤツは少年時代に少女にゾッコン惚れしたことない者でしかないだろうよ |