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2024年8月31日土曜日

まだ若い人のために

 

フロイトが無意識、抑圧、超自我、神経症と記すとき、それぞれ二種類あるんだよ。


【本来の無意識と前意識】

精神分析は無意識をさらに区別し、前意識と本来の無意識に分離するようになった[ die Psychoanalyse dazu gekommen ist, das von ihr anerkannte Unbewußte noch zu gliedern, es in ein Vorbewußtes und in ein eigentlich Unbewußtes zu zerlegen. ](フロイト『自己を語る』第3章、1925年)


【原抑圧と後期抑圧】

われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえる[die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. ](フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)


【超自我ーーエスの代理と外界の代理】

超自我は外界の代理であると同時にエスの代理である。超自我は、エスのリビドー蠢動の最初の対象、つまり育ての親の自我への取り入れである[Dies Über-Ich ist nämlich ebensosehr der Vertreter des Es wie der Außenwelt. Es ist dadurch entstanden, daß die ersten Objekte der libidinösen Regungen des Es, das Elternpaar, ins Ich introjiziert wurden](フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)



【現勢神経症と精神神経症】

おそらく最初期の抑圧(原抑圧)が、現勢神経症の病理を為す[die wahrscheinlich frühesten Verdrängungen, …in der Ätiologie der Aktualneurosen verwirklicht ist, ]〔・・・〕

精神神経症は、現勢神経症を基盤としてとくに容易に発達する[daß sich auf dem Boden dieser Aktualneurosen besonders leicht Psychoneurosen entwickeln](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)



これらはすべて自我とエスに結びついている。




ーーと蚊居肢子は言ったので、あとは「嘘かまことか」確認することだな


まだ若いんだろ?

若者全般へのメッセージですが、世間で言われていることの大半は嘘だと思った方が良い。それが嘘だと自分は示し得るという自信を持ってほしい。たとえ今は評価されなくとも、世界には自分を分かってくれる人が絶対にいると信じて、世界に働き掛けていくことが重要だと思います。(蓮實重彦インタビュー、東大新聞 2017年1月1日号)



ここでは外界の代理としての超自我だけを注釈しておけば、この超自我は文化的超自我であり、自我理想のこと。

文化的超自我は理想を発展させてきた[Das Kultur-Über-Ich hat seine Ideale ausgebildet](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第8章、1930年)

自我理想は指導者のなかに具現化された集団の理想と交換される[Ichideal…es gegen das im Führer verkörperte Massenideal vertauscht.](フロイト『集団心理学と自我の分析』第11章、1921年)


つまり文化的超自我は集団的超自我とも言い換えうる。


これは嘘かまことかすぐ分かるよ、フロイトが最初に超自我概念を提出した『自我とエス』第3章の章題は、「III. Das Ich und das Über-Ich (Ichideal) 」なんだから。


でもその後の章、あるいは後年の論での展開が重要。

超自我は絶えまなくエスと密接な関係をもち、自我に対してエスの代理としてふるまう。超自我はエスのなかに深く入り込み、そのため自我にくらべて意識から遠く離れている。das Über-Ich dem Es dauernd nahe und kann dem Ich gegenüber dessen Vertretung führen. Es taucht tief ins Es ein, ist dafür entfernter vom Bewußtsein als das Ich.(フロイト『自我とエス』第5章、1923年)

心的装置の一般的図式は、心理学的に人間と同様の高等動物にもまた適用されうる。超自我は、人間のように幼児の依存の長引いた期間を持てばどこにでも想定されうる。そこでは自我とエスの分離が避けがたく想定される。Dies allgemeine Schema eines psychischen Apparates wird man auch für die höheren, dem Menschen seelisch ähnlichen Tiere gelten lassen. Ein Überich ist überall dort anzunehmen, wo es wie beim Menschen eine längere Zeit kindlicher Abhängigkeit gegeben hat. Eine Scheidung von Ich und Es ist unvermeidlich anzunehmen. (フロイト『精神分析概説』第1章、1939年)


ーーこの超自我は集団的超自我とはまったく関係がないのが一読瞭然。


というわけで、柄谷の憲法九条超自我論とは「憲法九条自我理想論」のことであり、こうすれば一般の納得度が大きく上がるのは間違いない。ただし九条は超自我だから変えられないとしてしまったのが拙かった。


私の考えでは、憲法9条は超自我のようなものです。このような無意識の超自我は、意識とは異なって、説得や宣伝によって操作することができないものです。(柄谷行人「憲法9条の今日的意義」、2016123日講演


自我理想、つまり文化的超自我(集団的超自我)はいくらでも変えられる。フロイトは自我理想として、キリストや軍隊の司令官の事例を出しているように。


教会ではーー便宜上、カトリック教会を見本にとってみようーー軍隊の場合とひとしくーー両者は、それ以外では大いに異なっているけれどもーー集団のすべての個人を一様に愛する首長がいる、というおなじ眩惑(幻想=イリュージョン)Vorspiegelung (Illusion)が通用している。その首長とは、カトリック教会ではキリストであり、軍隊では司令官である。万事は、この幻想にかかっていて、これが消えるならば、外面的な強制がそれをゆるすかぎりは教会も軍隊も崩壊するであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第5章、1921年)

幻想は、不快感を免れさせ、そのかわりにわれわれを満足に浸らせることにより、われわれの心にとりいる。だが幻想は、いつかは現実の断片にぶつかって砕け散るものであり、 その場合にはわれわれは泣きごとをいわずにそれを甘受しなくてはならないのである。

Illusionen empfehlen sich uns dadurch, daß sie Unlustgefühle ersparen und uns an ihrer Statt Befriedigungen genießen lassen. Wir müssen es dann ohne Klage hinnehmen, daß sie irgend einmal mit einem Stück der Wirklichkeit zusammenstoßen, an dem sie zerschellen.

(フロイト『戦争と死に関する時評』Zeitgemasses über Krieg und Tod, 1915年)


私は憲法九条死守論者としてこう引用しているがね。