Yulia Vavilovaか、いい名だなねえ、ユリア・ヴァヴィロヴァって読むのかな、何回も発音してみたよ・・・
Pavel Durov事件にはほとんど関心がなかったんだが、急に興味がでたな
ああ、アリアドネ、あなた自身が迷宮だ。人はあなたから逃れえない[Oh Ariadne, du selbst bist das Labyrinth: man kommt nicht aus dir wieder heraus” ](ニーチェ、1887年秋遺稿)
急に正義感も高まっちゃったよ
社会の中に集合精神[esprit de corps]その他の形で働いているものがあるが、これは根源的な嫉妬[ursprünglichen Neid]から発していることは否定しがたい。 だれも出しゃばろうとしてはならないし、だれもがおなじであり、おなじものをもたなくてはならない。社会的正義[Soziale Gerechtigkeit]の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、 おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等要求[Gleichheitsforderung]こそ社会的良心[sozialen Gewissens]と義務感 [Pflichtgefühls]の根源である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第9章、1921年)
|
わたし以前にはどんなに一切のものが逆立ちしていたか、そのありさまを手っとり早く知りたかったら、この本から始めるがいい。扉に偶像とあるのは簡単明瞭、これまで真理と呼ばれていたもののことだ。偶像の黄昏――わかりやすくいえば、古い真理はおしまいだということ… (ニーチェ『この人を見よ』「なぜ私はこんなによい本を書くのかーー偶像の黄昏」1888年)
|
女性たちのあいだで。「真理? まあ、あなたは真理をごぞんじではないのね!それは私たちのすべての羞恥心の暗殺計画ではないでしょうかしら?」―Unter Frauen. - "Die Wahrheit? Oh Sie kennen die Wahrheit nicht! Ist sie nicht ein Attentat auf alle unsre pudeurs?" -ニーチェ『偶像の黄昏』「箴言と矢」16番、1888年)
|
おそらく真理とは、その根底を窺わせない根を持つ女なるものではないか?おそらくその名は、ギリシア語で言うと、バウボ[Baubo]というのではないか?…[Vielleicht ist die Wahrheit ein Weib, das Gründe hat, ihre Gründe nicht sehn zu lassen? Vielleicht ist ihr Name, griechisch zu reden, Baubo?... ](ニーチェ『悦ばしき知』「序」第2版、1887年)
|
|