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2024年9月11日水曜日

日本は存在しない、あるいは日米合同委員会


 いまさらだが、もはや谷底落ち決定かもよ」の補足としていくつか列挙しておこう。

◾️アレクサンドル・ドゥーギンVictory as Existence by Alexander Dugin (@Agdchan)

現代のドイツや日本の行動に対する憤慨は無駄である。第二次世界大戦の結果、彼らは西側の奴隷となり、事実上、存在しないのである。

That is why it is pointless to be outraged by the behavior of modern Germany or Japan ― because they lost World War Two, they are now slaves of the West; they effectively do not exist.


戦後の日本の外交に関しては、もちろん、さまざまな要因を考慮しなければならない。

2・26事件の1936年以後敗戦の45年まで陸軍は事実上外交を無視していた。45年から52年まで占領下の日本には外交権がなかった。52年から「冷戦」の終わった89年まで、日本は「米国追随」に徹底していた。

ということは、事実上外交的な「イニシアティブ」をとる余地がほとんどなかった、ということである。日本国には半世紀以上も独自の外交政策を生み出す経験がなかった。そこでわずかに繰り返されたのが、情勢の変化に対するその場の反応、応急手当、その日暮らし、先のことは先のこととして現在にのみこだわることになったのだろう。
おそらく過去を忘れ、失策を思い煩わず、現在の大勢に従って急場をしのぐ伝統文化があった。〔・・・〕

人々が大勢に従うのは、もちろん現在の大勢にである。大勢は時代によってその方向を変える。…当面の時代、歴史的時間の現在、大勢の方向が決定する今日は伸縮するが、昨日の立場から切り離して、今日の大勢に、それが今日の大勢であるが故に、従おうとするのが大勢順応主義の態度である。その態度は昨日と今日の立場の一貫性に固執しない。別の言葉でいえば、大勢順応主義は集団の成員の行動様式にあらわれた現在中心主義である。

(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)


◾️日米合同委員会(鳩山由紀夫ーー於西部邁ゼミ)


動画


◾️東京新聞 2022年1月21日




※参照:西部邁ゼミナール における伊藤貫(2015年)➡︎おい、この野郎、胃袋が煮え返るぜ