2024年10月13日日曜日

解離研究第一人者の「解離されたものの回帰」


 日本における解離研究の第一人者とされる岡野憲一郎氏のこの記事は、実にわかりやすいね。少し前にも記したが[参照]、彼が、フロイトの抑圧が二種類あることにまったく気づいていないことが鮮明化されている。



二つの図が示されているが、フロイトにとって左図が原抑圧(排除=解離)、右図が後期抑圧にほかならない。



原抑圧

Urverdrängung

抑圧された欲動[verdrängte Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)

抑圧された固着[verdrängten Fixierungen] (フロイト『精神分析入門』第23講、1917年)

抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma](フロイト『精神分析技法に対するさらなる忠告』1913年)

後期抑圧

Nachverdrängung

抑圧された願望(欲望)[verdrängte Wünsche](フロイト『夢解釈』第5章、1900年)

抑圧された表象[verdrängten Vorstellungen](フロイト『夢解釈』第7章、1900年)

抑圧された思想[verdrängten Gedanken ] (フロイト『夢解釈』第7章、1900年)


フロイトが《抑圧されたトラウマ[verdrängte Trauma]》と言うとき、実際は原抑圧されたトラウマ、つまり排除されたトラウマなのでありーーフロイトにとって欲動、あるいは固着もトラウマであり、これがラカンの享楽である➡︎ 「享楽=欲動トラウマ固着文献ーー、この排除は解離と等価である。そして1910年以降のフロイトはほとんどの場合、「抑圧」という語を抑圧の第一段階としての「原抑圧」の意味で使っている。

例えば、フロイトはこう言っている。


神経症はトラウマの病いと等価とみなしうる。その情動的特徴が甚だしく強烈なトラウマ的出来事を取り扱えないことにより、神経症は生じる[Die Neurose wäre einer traumatischen Erkrankung gleichzusetzen und entstünde durch die Unfähigkeit, ein überstark affektbetontes Erlebnis zu erledigen. ](フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年)

我々は、あらゆる神経症の根に横たわっている抑圧を、トラウマに対する反応、基本的な外傷神経症と呼ぶことができる[man kann doch die Verdrängung, die jeder Neurose zu Grunde liegt, mit Fug und Recht als Reaktion auf ein Trauma, als elementare traumatische Neurose bezeichnen. ](フロイト「『戦争神経症の精神分析のために』への序言」 Einleitung zu Zur Psychoanalyse der Kriegsneurosen, 1919年)


この文脈のなかでの次の「抑圧されたものの回帰」である。

抑圧されたものの回帰は、トラウマと潜伏現象の直接的効果に伴った神経症の本質的特徴としてわれわれは叙述する[die Wiederkehr des Verdrängten, die wir nebst den unmittelbaren Wirkungen des Traumas und dem Phänomen der Latenz unter den wesentlichen Zügen einer Neurose beschrieben haben. ](フロイト『モーセと一神教』3.1.3, 1939年)

結局、成人したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して十分な防衛をもたない[Gegen die Wiederkehr der ursprünglichen traumatischen Angstsituation bietet endlich auch das Erwachsensein keinen zureichenden Schutz](フロイト『制止、症状、不安』第9章、1926年)


《トラウマ的不安状況》とあるが、これは冗語法であり、フロイトにとって不安自体がトラウマである、ーー《不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma]》(フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)


つまり、ここでの抑圧されたものの回帰とは抑圧されたトラウマの回帰であり、もし解離という語がお好きなら、「解離されたものの回帰=解離されたトラウマの回帰」としたらよろしい。


精神分析は、心的解離の起源(ジャネもその重要性を認識していた)を、先天的な障害による心的統合の失敗ではなく、抑圧[Verdrängung]と呼ばれる特別な心的過程に求めている。

Psycho-analysis …it ascribed the origin of psychical dissociation [seelischen Dissoziation](whose importance had been recognized by Janet as well) not to a failure of mental synthesis resulting from a congenital disability, but to a special psychical process known as ‘repression' (‘Verdrängung'). (フロイト『精神分析について』(英語講義)Freud, ‘On Psycho-Analysis' [in English]Transactions of the Ninth Session, held in Sydney, New South Wales, Sept. 1911)



こういう誤読は岡野憲一郎氏だけではなく、英語論文をチラ見する範囲でもしばしば見受けられるが、彼らはフロイトをまともに読んでいずに何やら批判してる。連中の症状だろうな、つまり精神分析の父フロイトを解離してるんじゃないかね。


で、それでもフロイトに触れずにはいられず、つまり解離されたものの回帰があるのだが、歪曲されてんだよ。


症状形成の全ての現象は「抑圧されたものの回帰」として正しく記しうる。だが、それらの際立った特徴は、原初の出来事と比較して、回帰したものが広範囲にわたる歪曲を受けていることである。

Alle Phänomene der Symptombildung können mit gutem Recht als »Wiederkehr des Verdrängten« beschrieben werden. Ihr auszeichnender Charakter ist aber die weitgehende Entstellung, die das Wiederkehrende im Vergleich zum Ursprünglichen erfahren hat.(フロイト『モーセと一神教』3.2.6、1939年)


ここでの症状は代理満足を意味する、《症状は妥協の結果であり代理満足だが、自我の抵抗によって歪曲され、その目標から逸脱している[die Symptome, die also Kompromißergebnisse waren, zwar Ersatzbefriedigungen, aber doch entstellt und von ihrem Ziele abgelenkt durch den Widerstand des Ichs.]》 (フロイト『自己を語る』第3章、1925年)


なぜあのような事態が頻繁に反復されるのか、精神分析の被験者になったほうがいいんじゃないかね。



反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance]。(Lacan, S17, 14 Janvier 1970)


享楽はトラウマである。

享楽は現実界にある[la jouissance c'est du Réel. ](Lacan, S23, 10 Février 1976)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.  ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)


すなわち反復はトラウマの回帰に基づいている。


連中のトラウマは何のトラウマなんだろ? 何よりもまず、フロイトを読まずにすまして精神分析やってる不安だろうよ。


すべての症状形成は、不安を避けるためのものである[alle Symptombildung nur unternommen werden, um der Angst zu entgehen](フロイト 『制止、不安、症状』第9章、1926年)

不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma](フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年)

ーー《抑圧が不安を生むのではない。不安が先立っている。不安が抑圧を生むのだ!

[Nicht die Verdrängung schafft die Angst, sondern die Angst ist früher da, die Angst macht die Verdrängung! ]》(フロイト『新精神分析入門』第32講、1933年)