2024年10月17日木曜日

日本における債務植民地化

 

債務植民地か、巧い言い方だね。


動画


ピーター・スト・オンジェPeter St Onge, Ph.D.@profstonge Oct 16, 2024


日本は債務植民地になっている。

日本は、支持率15%という驚くほど不人気の首相を解任したばかりだ。

問題は、新しく選ばれた人物も同様に嫌われるだろうということだ。なぜなら、GDPの260%もの負債を抱える日本の経済は、もはや手の施しようがないからだ。

数年後には、我々も同じ状況になるだろう。

Japan Becomes a Debt Colony


Japan just fired their stunningly unpopular leader — with a 15% approval rating. 


The problem is the new guy will be just as hated. Because with 260% of GDP in debt, Japan’s economy is out of their hands.


In a couple years we’ll be there too.


日本は日米合同委員会によって軍事植民地化されているだけではなく、債務植民地化もされている。

これは知っている人はよく知っている話だ。


◾️トマ・ピケティ『新・資本論』2011年ーーJapon : richesse privée, dettes publiques Par Thomas Piketty avril 2011

われわれは日本の政府債務をGDP比や絶対額で毎日のように目にして驚いているのだが、これらは日本人にとって何の意味も持たないのか、それとも数字が発表されるたびに、みな大急ぎで目を逸らしてしまうのだろうか。

Tous ces chiffres exprimés en pourcentages de PIB ou en milliers de milliards - dont on nous abreuve quotidiennement - ont-ils un sens, ou bien doit-on tourner la page dès qu’ils réapparaissent ?


(日本の財政関係資料 令和6年4月 財務省 PDF



あるいはーー、


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◾️ジム・ロジャーズインタビュー「アベノミクスの行方」ロイター通信 我謝京子氏 2014年2月25日

安倍氏は大惨事を起こした人物として歴史に名を残すことになるでしょう。

これから20年後を振り返った時に、彼が日本を崩壊させた人物だと皆が気づくことになるでしょう。

アベノミクスには三本の矢がありますが、3本目の矢は日本の背中に向かってくるでしょう。日本を崩壊させることになるでしょう。紙幣を刷る事と通貨価値を下げる事で経済を回復させることは絶対できない。長期的にも、中期的でさえ無理です。




一年半ほど前、「全党みな「やってるふり党」」という投稿をしたことがあるが、そこからも「最も穏やかな」北村行伸氏の指摘をひとつだけ掲げておこう。


◾️北村行伸一橋大学経済研究所教授、如水会報(一橋大学OB誌)2017年10月号

政府が財政規律を導入しないと、この金融政策はうまく機能しないと思います。徳政令か、インフレでゼロ価値にしてしまうといったドラスティックな対応が必要になってくるかもしれません。債務のリネゴシエーションが日本でも起こり得るかもしれません。


日本の場合、国債の保有者は国内の預金者なので可能かもしれませんが、徳政令はハイパーインフレ―ションの下では国民は財産を一気に失ってしまうことになります。そこから、この高齢化社会で立ち直れるのか。それぐらい厳しい条件だと政治家が認識して、責任を持って財政規律を導入しないと、状況はなかなか改善しないと思います。



安倍晋三は総理を下りてからも次のように言っている人物だったが、日本は9年間もこの男を放置したのである。

「子どもたちの世代にツケを回すなという批判がずっと安倍政権にあったが、その批判は正しくないんです。なぜかというとコロナ対策においては政府・日本銀行連合軍でやっていますが、政府が発行する国債は日銀がほぼ全部買い取ってくれています」


「みなさん、どうやって日銀は政府が出す巨大な国債を買うと思います? どこかのお金を借りてくると思ってますか。それは違います。紙とインクでお札を刷るんです。20円で1万円札が出来るんです」(安倍晋三新潟県三条市での講演ーー2021年7月10日)



この「紙とインクでお札を刷るんです」からいまだ信奉している究極の事例が「山本太郎」だろう。


ここで嫌味な池田信夫ーー彼はおかしなことを多々言う人物だが、消費税と社会保険料の話は「常識的に」きわめて正しいーーを掲げておこう。








しかし、「正しく」親露派であったり反イスラエル派であったりする方々が、いまだ安倍応援団であったり山本太郎応援団であったりするのを垣間見るとホントに絶望的になるよ。経済音痴どころじゃない、実に経済白痴としか言いようがなくなる。



もっとも日本が山本太郎のたぐいの政策を取れば、即座に財政大地震(ハイパーインフレ)が起こり日本のウクライナ化は避けられるかもしれない。


◾️マイケル・ハドソン「軍を通じてのドルの海外送金」2023年6月12日

 Sending Dollars Abroad … via the Military By Michael Hudson, June 12, 2023

ーーバイデン政権に、 脱ドル化のプロセスを止めるための、直接的な軍事介入以外の手段はありますか?

マイケル・ハドソン)いいえ、 今のアメリカには軍事介入しかありません。硬直しています。アメリカは長年、 核兵器に多大な投資をしてきたため、 徴兵制を復活させ、 武装した軍隊を他国に侵攻させることはできません。 ベトナム戦争の時のように、学生の抗議が起きるからです。2015年の米国支援のクーデター後にウクライナ人がやってきているような自殺行為の戦争を、 他の国にもやらせることができない限り、 米国が本当に軍事的に戦うことができるのは核兵器だけなのです。しかし、他の国をウクライナのようなことをやらせるのは難しそうだ。 台湾人がそんなことをやりそうにない。 日本人だけがやる可能性がある。

Dimitri Simes Jr. : Does the Biden administration really have any instruments at its disposal other than direct military intervention to try and stop the process of de-dollarization?

MH: No, that’s all that America has now. It’s muscle-bound because for years America has put all of its money into atomic war. So America can’t reintroduce a draft and have an army invading another country because you’d have student protests like you had in the Vietnam War. So all that America really has to fight with militarily is atom bombs. Unless it can get other countries to commit suicide, like the Ukrainians are doing after the American coup d’etat of 2015. But it looks like it’s going to have difficulty having other countries follow Ukraine. And I don’t see the Taiwanese doing this, only the Japanese might be willing to do this.


その意味では戦略的に「山本太郎」を取るという手はある。ハイパーインフレによる財政大震災が起これば、米国の駒になってウクライナ化するどころではなくなるだろうから。親露派がそこまで深謀遠慮してタロウ応援しているなら十全に評価してもよい。


財政総論(財務省 2023年4⽉14⽇ PDF )


…………………


※附記


なおインフレとハイパーインフレは異なるので注意。


ハイパーインフレはインフレとは異なる。別と考えたほうが良い。なぜなら、インフレとはモノの値段が上がることだが、ハイパーインフレはマネーあるいは貨幣の値段が暴落することだからである。貨幣とは本来は価値ゼロのバブルそのものであるから、いったん「価値がない」と思われればすぐに紙くず、あるいは仮想通貨(暗号資産)なら「ビットくず」になってしまう。(小幡績「そもそもインフレはどうやったら起きるのか?」2021/06/13 )


より理論的な岩井克人で補っておこう。

貨幣の系譜をさかのぼっていくと、それは「本物」の貨幣の「代わり」がそれ自体で「本物」の貨幣になってしまうという「奇跡」によってくりかえしくりかえし寸断されているのがわかる。そして、その端緒にようやくたどりついてみても、そこで見いだすことができるのは、たんなるモノでしかないモノが「本物」の貨幣へと跳躍しているさらに大な断絶である。無から有が生まれていたのである。いや、貨幣で「ない」ものの「代り」が貨幣で「ある」ものになったのだ、といいかえてもよい。 貨幣とは、まさに「無」の記号としてその「存在」をはじめたのである。(岩井克人『貨幣論』第三章 貨幣系譜論   25節「貨幣の系譜と記号論批判」1993年)

たとえひとびとがインフレ的熱狂に浮かされていたとしても、それが一時的なものでしかないという予想が支配しているならば、その予想によってインフレーションはじっさいに安定化する傾向をもつことになる。なぜならば、そのときひとびとは将来になれば相対的に安くなった価格で望みの商品を手にいれることができることから、いま現在は不要不急の支出を手控えて、資金をなるべく貨幣のかたちでもっているようにするはずだからである。とうぜんのことながら、このような流動性選択の増大は、その裏返しとして商品全体にたいする需要を抑制し、進行中のインフレーションを鎮静化する効果をもつことになるだろう。物価や賃金の上昇率がそれほど高いものでないかぎり、ひとびとはこのようなインフレーションの進行を「好況」としておおいに歓迎するはずである。じっさい、すくなくともしばらくのあいだは、消費も投資も活発になり、生産は増大し、雇用は拡大し、利潤率も上昇する。

しかしながら、ひとびとが逆に、進行中のインフレーションがたんに一時的ではなく、将来ますます加速化していくにちがいないと予想しはじめたとき、ひとつの転機(Krise)がおとずれることになる。


貨幣の購買価値がインフレーションの加速化によって急激に低下していってしまうということは、支出の時期を遅らせれば遅らせるほど商品を手に入れるのが難しくなることを意味し、ひとびとは手元の貨幣をなるべき早く使いきってしまおうと努めることになるはずである。とうぜんのことながら、このような流動性選好の縮小は、その裏返しとして今ここでの商品全体への総需要を刺激し、進行中のインフレーションをさらに加速化してしまうことになる。もはやインフレーションはとまらない。

インフレーションの加速化の予想がひとびとの流動性選好を縮小させ、流動性選好の縮小がじっさいにインフレーションをさらに加速化してしまうという悪循環――「貨幣からの遁走(flight from money)とでもいうべきこの悪循環こそ、ハイパー・インフレーションとよばれる事態にほかならない。ここに、恐慌(Krise)とインフレ的熱狂(Manie)とのあいだの対称性、いや売ることの困難と買うことの困難とのあいだの表面的な対称性がうち破られることになる。買うことの困難が、売ることの困難のたんなる裏返しにとどまらない困難、恐慌という意味での危機(Krise)以上の「危機(Krise)」へ変貌をとげてしまうのである。(岩井克人『貨幣論』1993年)


不況(Depression、depression)、熱狂(Manie、mania)、さらには解体(Spaltung、splitting)ーー貨幣的な交換に固有な困難のあり方を形容するためにわれわれがもちいたこれらの言葉が、それぞれ鬱病(depression)、躁病(mania)、精神分裂病(schizophrenia = splitting of mind)といった精神病理学的な病名を想いおこさせるのはけっして偶然ではない。精神病理学者の木村敏によれば、躁鬱病とは、自己が自己であるということはあくまでも自明なものとされたうえで、その自己の対社会的な役割同一性が疑問に付されているという事態であり、これにたいして分裂病とは、まさに自己が自己であるということの自明性が疑問に付されてしまう事態であり、自己がそのつど自己自身とならなければならないという個別化の営みの失敗として特徴づけられるという。( 『分裂病の現象学」(弘文堂、一九七五)、『自己・あいだ・時間」(弘文堂、一九八一)、 『時間と自己』(中公新書、一九八二)、 『分裂病と他者』(弘文堂、一九九O)等の一連の著作を参照のこと。)


じっさい、これからわれわれは、不況やインフレ的熱狂とは、貨幣が貨幣であることは前提とされたうえでの、貨幣とほかの商品全体とのあいだの関係において生じる困難であるのにたいして、ハイパー・インフレーションとは、貨幣が貨幣であることの根拠そのものが疑問に付され、その結果として貨幣の媒介によって維持されている商品世界そのものが解体してしまうという事態にほかならないということを論ずるつもりである。すなわち、人間社会において自己が自己であることの困難と、資本主義社会において貨幣が貨幣であることの困難とのあいだには、すくなくとも形式的には厳密な対応関係が存在しているのである。(岩井克人『貨幣論』第4章「恐慌論」注16、1993年)