2024年11月8日金曜日

ゴダール遺作『シナリオ』と母オディール

 


動画

そうか、ゴダールは『シナリオ』でこのロッセリーニを引用したのか。



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まずは次の映像を思い出すね、







ゴダールの母オディール=マリー・ゴダール Odile Marie Godardは、1954年4月25日、45才にて、ローザンヌ近郊でモーターバイク事故で死んでいる。ゴダールは24才だった。


医者になりたいとかつて望んだ冒険好きな若い女は、中年になっても相変わらず冒険好きのままだった。当時の若者たちのあいだで、新しいイタリア製スクーター「ヴェスパ」は、大ブームだった。オディール・モノーは、父ジュリアン・モノーにヴェスパを買ってくれないかと頼んだ。1954年4月、午後9時半の宵闇、オディールのヴェスパはローザンヌの路上から落ちた。彼女は頭蓋骨骨折でほとんど即死だった。


ゴダールはジュネーブから病院に駆けつけた。しかし彼は葬式には参列しなかった。それは異様な堪え難い事態による。ポール・ゴダールは子供たちを伴ってモノー祖父に会いに駅に向かった。だがセシル・モノー Cécile Monod(ゴダールの祖母)にこう告げられた、「Monsieur, on ne veut pas vous voir ici (私たちはここであなた方にお会いしたくありません)」。屍体はアンシイAnthy(レマン湖畔のアンティ=シュル=レマン)に埋められ、墓碑にはオディール・ モノー Odile Monod と刻まれている。(Colin MacCabe, "Godard: A Portrait of the Artist at Seventy" , 2016)


➡︎血まみれになって道に横たわっている女





ゴダールは、血まみれになって道に横たわる女のイメージを実にしばしば繰り返したのだが、91歳で自殺幇助にて死ぬ直前にも、母の事故死の出来事のレミニサンスがあったんじゃないかね、あくまでおそらく、だが。





外傷神経症は、トラウマ的出来事の瞬間への固着がその根に横たわっていることを明瞭に示している。これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況を反復する[Die traumatischen Neurosen geben deutliche Anzeichen dafür, daß ihnen eine Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles zugrunde liegt. In ihren Träumen wiederholen diese Kranken regelmäßig die traumatische Situation](フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着、無意識への固着 Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte」1917年)

トラウマないしはトラウマの記憶は、異物=異者としての身体 [Fremdkörper] のように作用し、体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子としての効果を持つ[das psychische Trauma, resp. die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt, welcher noch lange Zeit nach seinem Eindringen als gegenwärtig wirkendes Agens gelten muss]。〔・・・〕


これは後の時間に目覚めた意識のなかに心的痛みを呼び起こし、殆どの場合、レミニサンスを引き起こす[..…als auslösende Ursache, wie etwa ein im wachen Bewußtsein erinnerter psychischer Schmerz …  leide größtenteils an Reminiszenzen.](フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年、摘要)


外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)



ゴダールの映像の「強度」についてはいろんなことを言う人がいるが、私にとってはこの異物のフラッシュバック効果に思いを馳せることが多いね、


現実界は、同化不能の形式、トラウマの形式にて現れる[le réel se soit présenté sous la forme de ce qu'il y a en lui d'inassimilable, sous la forme du trauma](Lacan, S11, 12 Février 1964)

固着は、言説の法に同化不能のものである[fixations …qui ont été inassimilables …à la loi du discours](Lacan, S1  07 Juillet 1954)

同化不能の異物[unassimilierte Fremdkörper ](フロイト『精神分析運動の歴史』1914年)





ーー《私の恐怖から逃れる方法は、それについてのフィルムを作ることだ》(ヒッチコック)