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2025年1月16日木曜日

思えば久しい時がたったものだ

 

思えば久しい時がたったものだ、


一九九五年一月十六日は私の六十一歳の誕生日である。「ナルシス断章」は四十数年前、私が結核休学中に幼い翻訳を試みたヴァレリー最初の詩篇であった。私は再びこの詩に取り組んでいた。「今さらナルシスでもあるまい」と自嘲しながら四十数年前の踏みならし道をわりとすらすら通っていった。冒頭の一行が難所である。「いかにきみの輝くことよ。私の走る、その究極の終点よ」というほどの意味で、泉への呼びかけであるが、四〇年以上これ以上の訳を思いつかなかったと、「訳詩のミューズ」という目立たないミューズに謝って、えいやっと「水光る。わが疾走はついにここに終わる」とした。最後の一行を訳しおえて、睡眠薬の力を借りて眠った三時間後に地震がやってきた。(中井久夫「ヴァレリーと私」『日時計の影』所収、2008年)


私は中井久夫と1日違いの誕生日だが、もう30年もたった、日本から逃げ出してから。

忘れていることもたくさんあるがね、


海の神秘は浜で忘れられ、

深みの暗さは泡の中で忘れられる。

だが、思い出の珊瑚はにわかに紫の火花を放つ。


ーーヨルゴス・セフェリス(中井久夫「発達的記憶論」エピグラフ)