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2025年2月2日日曜日

最近出会った白い鳩たち


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Anda GézaIch ruf' zu dir, Herr Jesu Christ, BWV 639 (Arr. Busoni) 

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Rosalyn Tureck · Goldberg Variations, BWV 988, Op. 4: X. Variation 9 - Canone alla terza

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Jo Vincent Kwartet sings J.S.Bach "O Haupt voll Blut und Wunden"



最初のアンダ・ゲーザ(Anda Géza)のBWV639は中声部が強調されていてとってもいいなあ、この曲の演奏はディヌ・リパッティ(Dinu Lipatti)版が名高いが、比べて聴くとリパッティのものは甘っちょろく聞こえてくるよ、少なくとも今の私にとっては、と但し書きをつけとくがね、好みというのはすぐ変わるもんだからな。


われわれはみな、もろもろの断片から成っており、その構成ははなはだ雑然として食い違っているから、各断片は各瞬間ごとに思い思いのことをする。だからある時のわれわれと、また別のある時のわれわれとの間には、われわれと他人との間におけるほどの距離がある。 (モンテーニュ『エセー』第3卷1章)



ロザリン・テューレック(Rosalyn Tureck)のゴールドベルグのカノンにもびっくりした。彼女はグールドのお気に入りの演奏家であり名演が多いが、ときにその打鍵の強烈さが耳に障ることがある。でもこのテンポを落とした一音一音刻まれるようなカノンにはひどく痺れた。


ジョー・ヴィンセント(Jo Vincent)という歌手は全然知らなかったのだが、このマタイ受難曲のメインコラール(調性を変えて4度も出てくる)の彼女のなんという声! 最近、私はラファエル・ピション(Raphaël Pichon)のこのコラールの映像を眺めるのをひどく好むのだが(02:15 Wenn ich einmal soll scheiden)ーーなんたって美女揃いだからーー、ヴィンセントの声も地上の星だよ、《ぼくの精液は白い鳩のように羽搏く》(瀧口修造「地上の星」)



すべての美は生殖を刺激する、ーーこれこそが、最も官能的なものから最も精神的なものにいたるまで、美の作用の特質である[daß alle Schönheit zur Zeugung reize - daß dies gerade das proprium ihrer Wirkung sei, vom Sinnlichsten bis hinauf ins Geistigste... ](ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」22節『偶像の黄昏』所収、1888年)



とはいえ、次のことも美の本質だよ、《美女美景なればとて不斷見るにはかならずあく事。》(井原西鶴『好色一代女』)


ほとんどの場合、人がこの美は凄い!と叫ぶとき、「立喰の鮓」なんだよ。

三度の飯は常食にして、佳肴山をなすとも、八時(おやつ)になればお茶菓子もよし。屋台店の立喰、用足の帰り道なぞ忘れがたき味あり。女房は三度の飯なり。立喰の鮓に舌鼓打てばとて、三度の飯がいらぬといふ訳あるべからず。家にきまつた三度の飯あればこそ、間食のぜいたくも言へるなり。此の理知らば女房たるもの何ぞ焼くに及ばんや。  (荷風『四畳半襖の下張』)


でも本当に重要なのは地味目の「三度の飯」だよ。


これまでの 80年間、私は毎日毎日、その日を、同じように始めてきた。ピアノで、バッハの平均律から、プレリュードとフーガを、 2曲ずつ弾く。〔・・・〕


シューマン、モーツァルト、シューベルト・・・ベートーヴェンですら、私にとって、一日を始めるには、物足りない。バッハでなくては。

どうして、と聞かれても困るが。完全で平静なるものが、必要なのだ。そして、完全と美の絶対の理想を、感じさせるくれるのは、私には、バッハしかない。

(パブロ・カザルス『鳥の歌』)