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2025年2月27日木曜日

トランプ政権の「面白さ」

 

いやあ、すごいな、トランプ政権って。批判精神をいったん脇に遣って、日々の情報を眺めているだけなら「面白い」よ





かわいそうだなぁぁァ、ロシアフォビアの美女カヤ・カラス。せめて会ってやるぐらいはしたらいいのに。



恐怖症(フォビアPhobie)には投射[Projektion]の特徴がある。それは、内部にある欲動的危険を外部にある知覚しうる危険に置き換えるのである。この投射には利点がある。なぜなら、人は知覚対象からの逃避・回避により、外的危険に対して自身を保護しうるが、内部から湧き起こる危険に対しては逃避しようがないから。der Phobie den Charakter einer Projektion zugeschrieben, indem sie eine innere Triebgefahr durch eine äußere Wahrnehmungsgefahr ersetzt. Das bringt den Vorteil, daß man sich gegen die äußere Gefahr durch Flucht und Vermeidung der Wahrnehmung schützen kann, während gegen die Gefahr von innen keine Flucht nützt. (フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)


フロイトの投射メカニズム[le mécanisme de la projection]の定式は次のものである…内部で拒絶されたものは、外部に現れる[ce qui a été rejeté de l'intérieur réapparaît par l'extérieur](ラカン, S3, 11 Avril 1956)


フロイトは『精神分析理論にそぐわないパラノイアの一例の報告』(1915年)で、投射(投影)の事例として、さる大企業に勤める30歳のとても魅力的な美人の女性について語っている。《彼女は男性との恋愛を求めたことはなく、年老いた母と静かに暮らしていた[Liebesbeziehungen zu Männern hatte sie nie gesucht; sie lebte ruhig neben einer alten Mutter]》。父親はかなり前になくなっており、母親コンプレクス[Mutterkomplex]-ー母への強い感情的拘束[starke Gefühlsbindung an die Mutter]ーーがある女性である。その女性が30歳になって職場の男と恋に陥り、彼の住まいに訪れた。ソファで抱き合っているとき、彼女は何か音がすると不安に襲われる。男は不思議に思い、たんなる時計の音じゃないかと言う。フロイトは次のように記している。


時計の時を刻む音でも、何か別の音でもないと思う。女性の状況を考えると、クリトリスのノックあるいは鼓動の感覚が正当化される。これを彼女が外部の対象の感覚として投射したのである。夢の中でも同じようなことが起こる。私のヒステリー症の女性患者はかつて、自発的に連想することができなかった短い覚醒夢について私に話してくれた。彼女はただ、誰かがノックして目が覚めるという夢を見た。誰もドアをノックしなかったが、前の晩に彼女は性器の湿潤による不愉快な感覚で目が覚めていた。そのため、彼女には性器の興奮の最初の兆候を感じたらすぐに目覚めるという動機があった。彼女のクリトリスには「ノック」があったのである。われわれのパラノイア患者の場合、偶発的なノイズの代わりに同様の投射過程を代替すべきである。

Ich glaube überhaupt nicht, daß die Standuhr getickt hat oder daß ein Geräusch zu hören war. Die Situation, in der sie sich befand, rechtfertigte eine Empfindung von Pochen oder Klopfen an der Klitoris. Dies war es dann, was sie nachträglich als Wahrnehmung von einem äußeren Objekt hinausprojizierte. Ganz Ähnliches ist im Traume möglich. Eine meiner hysterischen Patientinnen berichtete einmal einen kurzen Wecktraum, zu dem sich kein Material von Einfällen ergeben wollte. Der Traum hieß: Es klopft, und sie wachte auf. Es hatte niemand an die Tür geklopft, aber sie war in den Nächten vorher durch die peinlichen Sensationen von Pollutionen geweckt worden und hatte nun ein Interesse daran zu erwachen, sobald sich die ersten Zeichen der Genitalerregung einstellten. Es hatte an der Klitoris geklopft. Den nämlichen Projektionsvorgang möchte ich bei unserer Paranoika an die Stelle des zufälligen Geräusches setzen.

(フロイト『精神分析理論にそぐわないパラノイアの一例の報告(Mitteilung eines der psychoanalytischen Theorie widersprechenden Falles von Paranoia)』1915年)



ーークリトリスのノックが時計の音に投射される・・・カラスのロシアフォビアもこれ系じゃないかね、噂ニヨレバ旦那がもうヤッテくれないらしいからな・・・




ま、冗談抜きで言えば、エストニア首相だったカラスは、彼女自身もしくは近親者が外傷神経症を抱えているんだろうよ、ソ連軍がエストニアに侵攻したのはそれほど前のことじゃないから。この観点を取れば、カラスの極度のロシアフォビアもある程度やむ得ないね。



ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)


もちろんトラウマは最も典型的に投射(投影)をもたらすものであり、被害者がしばしば加害者になるのはこの理由である。



これからきみにぼくの人生で最も悲しかった発見を話そう。それは、迫害された者が迫害する者よりましだとはかぎらない、ということだ。ぼくには彼らの役割が反対になることだって、充分考えられる。(クンデラ「別れのワルツ」)

過去の性的虐待の犠牲者は、今日の加害者になる恐れがあるとは今では公然の秘密である。It's  now an open secret that yesterday's victims of sexual abuse run the risk of becoming today's perpetrators.(When psychoanalysis meets Law and Evil: Jochem Willemsen and Paul Verhaeghe, 2010)