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2025年2月3日月曜日

誰もが知っている筈の「袖の下」の時代

 

ま、ある意味で仕方がないよ、左翼のバニー・サンダースが賄賂で生きていても。なによりもまず選挙で勝つにはマネーがいるからな。日本でもそうだが米国ではことさらそうだからな。左翼は一応清廉潔白のタテマエで政治活動しているわけで批判が集中するのだが、ホンネの右翼だったら賄賂なんて当然至極の事態だし、最近の大衆はたいして騒がないんじゃないかね。

そもそもーー何度も言っているがーー現在は「主人はマネー」の時代だからな。

このまま右肩上がりを前提にし続ければ、意外に人類の滅亡は早いんじゃないでしょうか。 もはや、滅亡をどう先送りするかという地点にまで来てしまったのではないでしょうか。〔・・・〕

民主主義の極地は、「民意」という名の下に全体主義の形を取り、全体主義の極地は、国家間の境界を越えた超資本主義の形を取ります。

ここで、無主主義という観念を導入した方がいいと思います。今は民主主義が尖鋭化して全体主義になった状況を考えた方が世界を見易いですが、独裁者がいるかと問われれば、 いないでしょう。主人はマネーかもしれないんです。(古井由吉『新潮 45』2012 年 1 月号 片山杜秀との対談)


かつて、私的な会話の中で、私はラカンに中国で何が起こっているかについてどう思うか尋ねた。 1960年代のことだった。私はマオイストで、毛沢東が中国でやろうとしていることは全く前例のないことだと考えていた。するとラカンは私にこう答えた、「他のどこでもそうであるように、北京でも主人はマネーだ」。その予測と洞察において並外れたものだった。彼はすでに、未来は資本主義が世界を支配するという考えを持っていた。

 Once, in a private conversation, I asked Lacan what he thought about what was happening in China. It was in the 1960s. I was a Maoist and I thought that there was something totally unprecedented that Mao was trying to do in China. And Lacan answered me: “In Peking, as everywhere else, the master is money”. It was extraordinary in its anticipation and lucidity. He already had the idea that the future was the domination of capitalism in the world.

(ジャック=アラン・ミレールインタビュー「ラカンは資本主義の世界的支配を予見した」

Jacques-Alain Miller: “Lacan Foresaw the Global Domination of Capitalism” 8 August, 2022  Oscar Ranzani*



特に冷戦終焉後の剥き出しの市場原理の時代、つまり新自由主義の時代は主人がマネーなのはあらゆる分野においてモロだよ。


それほど昔のことではない、支配的ナラティヴは少なくとも四種類の言説のあいだの相互作用を基盤としていたのは。それは、政治的言説・宗教的言説・経済的言説・文化的言説であり、その中でも政治的言説と宗教的言説の相が最も重要だった。現在、これらは殆ど消滅してしまった。政治家はお笑い芸人のネタである。宗教は性的虐待や自爆テロのイメージを呼び起こす。文化に関しては、人はみな芸術家となった。唯一残っている支配的言説は経済的言説である。われわれは新自由主義社会に生きている。そこでは全世界がひとつの大きな市場であり、すべてが生産物となる。さらにこの社会はいわゆる実力主義に結びついている。人はみな自分の成功と失敗に責任がある。独力で出世するという神話。あなたが成功したら自分自身に感謝し、失敗したら自分自身を責める。そして最も重要な規範は、利益・マネーである。何をするにもマネーをもたらさねばならない。これが新自由主義社会のメッセージである。

Not so long ago, the dominant narrative was based on the interplay between at least four discourses: the political, the religious, the economic and the cultural, in which the political and the religious aspects were the most important. Today, they have all but disappeared. Politicians are fodder for stand-up comedians, religion calls up images of sexual abuse or suicide terrorism, and as for culture, everybody is now an artist. There is only one dominant discourse still standing, namely the economic. We live in a neoliberal society in which the whole world is one big market and everything has become a product. Furthermore, this is linked to a so-called meritocracy in which everyone is held responsible for his or her own success or failure – the myth of the self-made man. If you make it, you have yourself to thank; if you fail you have only yourself to blame. And the most important criterion is profit, money. Whatever you do must bring in the cash; that is the message.

(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, Higher education in times of neoliberalism, November 2015



ーー《もはやどんな恥もない[ Il n'y a plus de honte] …下品であればあるほど巧くいくよ[ plus vous serez ignoble mieux ça ira]》 (Lacan, S17, 17 Juin 1970)



文化は恥の設置に結びついている[la civilisation a partie liée avec l'instauration de la honte.]〔・・・〕ラカンが『精神分析の裏面』(1970年)の最後の講義で述べた「もはや恥はない」という診断。これは次のように翻案できる。私たちは、恥を運ぶものとしての大他者の眼差しの消失の時代にあると[au diagnostic de Lacan qui figure dans cette dernière leçon du Séminaire de L'envers : «Il n'y a plus de honte». Cela se traduit par ceci : nous sommes à l'époque d'une éclipse du regard de l'Autre comme porteur de la honte.](J.-A. MILLER, Note sur la honte, 2003年)



こういったことは、何もラカン派に依拠せずとも、ごく標準的な頭脳を持っていれば、誰もがわかっている筈のことだろうよ。


高橋悠治)あらゆる科学だろうと哲学だろうと結局取引関係にいくわけじゃないですか、だから取引関係に基づいて科学も経済もすべてができている。これこそ問題じゃないですか?〔・・・〕


でもそのね、すべてがビジネスにもとづいているということがますますはっきりしてきたというのは、ひとつの文明の衰えていく過程で露になってきた、そういう事実。言葉があれだけど。


つまり、文明が盛んなときは別に取引だろうがなんだろうが、そういうことはいわなかったし、それで成り立ってたわけですよ。それで、今すべてがビジネスだというようなことになったときに、そこから何か生まれてくるということはこれ以上ない。儲かる人は儲かるし、力のある人はもっと力があるし、そういうようなことでしかないわけでしょ。


そうすると、そういうことをいくら批判したって始まらないわけだから、どういうふうに違うものがあるかということになりますね。(高橋悠治×茂木健一郎 「他者の痛みを感じられるか」2005年)